10話 生を問う
練習を始めてから早数時間。ヤンの教え方が上手いのか、ヒデの飲み込みが早いのか、だいぶ様になってきた。気が付いた時にはもう射撃場には二人しか残っていなかった。ヤンは日が傾き始めた空を見上げる。
「そろそろ終わるか」
流石のヤンも疲れたらしく、誰かが置きっぱなしにして行った手入れ用具が入った箱を足元に置くとその場に座った。ヒデも手を止め、同じように横に並んで座り込む。青々とした芝生が柔らかくて心地よい。
ヤンは再び拳銃を手に取ると、流れるような動作で手入れを始めた。ヒデももたもたと必死に真似をする。
「シド以外は全員同じ自動式拳銃だ。覚えるまではアレンにでも聞けばいい」
お手上げ状態になったヒデの拳銃をもとに戻しながら、ヤンは「お前さぁ、シド苦手だろ」と図星をついてきた。
これは素直に答えて良いものなのだろうか。返答に悩んでいるヒデを見てヤンは声を出して笑った。誰が見ても困ったような表情をしていたのだろう。
「別に本人に言ったりしねぇって」
「あの、あんまり、得意ではないかな」
今更隠しきることもできないだろうと、ヒデはほんの少し予防線を張りながら答える。
「でもシドも僕のこと嫌いみたいだし」
おどおどしたヒデを横目にヤンは「それは違うな」とはっきり否定した。「でも」と反論しようと口を開くよりも早くヤンがそれを遮る。
「シドは俺たち
ヤンは仰向けに寝転がり頭の後ろで手を組む。暮れなずむ天を仰ぎながら、何事か思案しているようだった。ヒデも薄紫の空を眺め、ヤンの言うことも一理あるなと考えを巡らせる。
さらさらと風が芝を撫でるように吹く。しばらくの静寂の後、ヤンが静かに沈黙を破った。
「ヒデには生きる理由ってあるか?」
ここへ来るまでただ毎日をやり過ごすことだけで精いっぱいだったヒデは、考えるまでもなく「ない、かな」と小さくこぼした。その答えを聞くと、ヤンは一言「そうか」とだけ返した。ヤンは何を考えているのか、ヒデに目を向けることはない。一度ゆっくり息を吐き出すと、ヤンはぼんやりとした口調で話を始めた。
「俺はここへ来る前、自殺に失敗したことがある」
突然のことにヒデは目をしばたたかせる。過去を話すなど一体どういう風の吹き回しかと不思議そうな顔でヤンの顔を見る。しかし一方のヤンは視線を合わせることなく、どこか遠くの空に思いをはせているようだった。
「その時、シドに出会った。シドは『生きろ』とも『死ぬな』とも命令しなかった。ただ、『生きていい』と言ってくれた」
ヤンは立ち上がり、ヒデを振り返る。優しくも厳しくもない眼差しだった。
「生きる理由がない人間はここでは弱い。俺はシドのために生きると決めた。最期もシドのために。そしたらさ」
ヒデは一人帰路についた。ヤンはまだ射撃場に残るらしい。ヤンの最後の言葉が頭から離れなかった。今の自分では到底理解できない事だ。たいして歳も変わらないのに、ヤンは自分の生き方を持っている。自分はこれからどう生きたいのか、どう生きればいいのか、そんなことを考えながら歩いた。
ヒデは四枚目の予定表に目を通す。他の
どうやら今日は会議があるらしい。時計が存在しない
ヒデが会議場の引き戸を開けると、入り口には既に数人分の靴やサンダルがあった。乱雑に脱ぎ捨てられているもの、きちんとそろえられているもの、それぞれ性格が出ているなとヒデは端にサンダルをそろえて脱いだ。
しばらくすると、情報統括官のケイが入って来た。
「今回の議題は選抜任務だ」
選抜というのは、任務に行く人を選ぶ事だと聞いている。今までの会議では近況報告のみだった。いよいよ任務かと、ヒデは緊張した面持ちでケイを見る。ケイはホッチキス止めされた資料に視線を落としたまま話始める。
「まずは内容。今回は麻薬だ。また国内栽培が見付かった。三年前の地震で落盤したトンネルの向こうでやってるらしい。今は立ち入り禁止になっている場所だからか帝国も放置してたようだ。迷惑な話だな、まったく。人数は三人。内ヒデは強制的に参加させる。従って残り二人。では解散」
ケイの「解散」ということばを聞くと、何人かが立ち上がって会議場を後にした。不思議に思ったヒデは隣に座っていたヤンに小声で問いかける。
「どうして出て行くの?」
「任務は強制参加と自由参加の二種類ある。今回はお前だけ強制だ。あとは行くかどうか自分で決められる。ケイの話が再開した時まで残れば参加の意思があるって事だ。つまり今出た奴等は今回はやらないって事。結構意思尊重してんだろ?」
ヤンのわかりやすい回答に頷く。任務へ行く
しばらく待つと、ヒデの他に、ヤン、シド、ジュダイ、ジライの五人が残っていた。ケイはそれぞれの顔を見ながら「そうだな」と頭をかく。
「今回はヒデがいるからシドとヤンに行ってもらおうかな。ジュダイとジライは、実はもう一つ任務あるからそっちを頼む」
その後ケイから受けた指示はたった一つ「出発は明日、日の出前」だけだった。あとは任せたと言う事らしい。そして、二人に説明があるからと、三人は早々に会議場を追い出された。
外に出た途端ヤンが小突いた。
「初任務だな」
「うん、そうだね」
「どんな気持ちだ?」
「えっと、仲間入り出来て嬉しい、とは思うよ」
相変わらずシドは無言を貫いているが、意外にも二人に歩調を合わせている。意外な一面があるものだとヒデは歩を進める。
「そうか、嬉しいか」
ヤンはくすくすと忍び笑いをする。
「俺たちにはもう無い感覚だな。ただのなんてことはない日常だ。その感情は大事にしとけよ。なぁ、シド」
会議場を出て最初の分かれ道で三人は立ち止まる。返事は元から期待して無かったようにヤンは「じゃ、また明日な」と別れを告げ、そのまま道沿いにある自分の
シドと二人きりになってしまったヒデも、特に話す事も無いので足早に立ち去ろうとした。そんな時、シドが口を開いた。
「勘違いするな。俺達は仲間じゃない」
鋭い視線はヒデではなく、まだ薄暗い空を見ている。そしてそのままヒデを見る事無くシドは帰っていった。
「……どういう事?」
仲間でないなら、一体この集団は何なのかと、独り残されたヒデは首を傾げる。
「何か用?」
どうやら帰宅したヒデに気付いていなかったらしい。イチはびくりと驚いたように振り返った。
「あ、もしかして今から帰る所?」
イチは頷き、聞き慣れた電子合成音で来た理由を教えてくれた。
[制服、渡した。明日がんばれ]
「うん。メンバーがメンバーだし、足だけは引っ張らないようにしようかなって」
[誰]
「シドとヤン。やっぱり僕はシドが苦手みたい」
ヒデは苦笑した。イチはじっとヒデを見ると、不思議な声色で諭す。
[シドは強い。戦い方を学ぶといい]
「そんなに強いんだ」
イチは声を発する代わりに頷いた。
「そっか。まぁ薫陶で見てると何となくわかったけどね」
ヒデは今までの薫陶を思い返す。シドの一挙手一投足に関心しない事はなかった。
「とにかく明日は頑張ってくるよ。初任務だから」
イチはまた頷いた。「頑張れ」と言う事だろうとヒデは解釈する。
手を振ってイチを見送り、
「お帰りなさい。イチ君は何と言ってましたか?」
どうやら会話が聞こえていたらしい。会話と言っても電子合成音は遠くまで聞こえづらく、室内まで聞こえるのはヒデの声だけだった。
「明日頑張れって言ってくれました。あと、シドから学べば良いって」
ヒデはアレンの横に座る。
「そうですね、シド君は言葉こそ少ないですが、頼りになりますよ。行くのは二人だけですか?」
「あとヤンがいて、三人です」
「そうですか。その二人なら安心です。きっといい勉強になりますよ」
アレンはにっこりと笑う。
「明日の集合はいつですか?」
「日の出前に出発だと言ってました」
「それなら早めに寝た方がいいですね。寝る前に明日の用意をしてくださいね。基本的に武器と銃さえあればいいですから。何かわからない事があればきいてください」
「明日の用意、か」
自室に戻ったヒデは言われた通り用意を始めた。任務がどうなるかはわからなかったが、少し楽しみに思う自分がいた。準備が整うと、自分で焚いた風呂に入り、布団を敷いていつもより早めに床に就いた。
しかし、一向に眠くはならなかった。シドのことばを思い出す。
「仲間じゃないなら何なんだよ。命を懸けてまで一緒に戦うのに。シドが言う仲間って何? 僕が考えてるのとは違うのかな?」
そしてもう一つ思い出す、一生忘れることはないであろう言葉。
――笑って死ねるかなって
そんな事を考えている内に、いつの間にか眠っていたらしい。まだ陽が昇らない頃、アレンが起こしに来た。朝はそんなに苦手ではないが、これほど早いとまだ眠い。ヒデはまだ寝ぼけた声で挨拶をする。食べる気にはならなかったが、アレンにすすめられて少しだけ朝食をとった。顔を洗って部屋に戻る頃にはぼんやりとしていた頭も冴えていた。
改めて真新しい制服をまじまじと見る。白地に青いラインが入っている爽やかな色合いで、独特な形の襟をしたロングコートとズボンだ。袖を通すのが神聖な儀式のようにさえ思えた。
玄関でブーツを履き、アレンに挨拶をする。再びここへ戻ってくるときはどんな気持ちなのだろうかと漠然と未来を想像する。
「初任務、頑張って下さいね」
アレンはそう微笑むヒデを送り出した。
集合場所である村の入り口に着くと、すぐに二人共やってきた。
「おはよー。ちゃんと起きれたみたいだな」
ヤンはあくびをしながら眠たそうな顔をしていたが、シドは昨日と代わらない表情をしている。三人揃えば十分と言わんばかりに、シドの「行くぞ」という声で森へ入っていった。
ヒデは村から出るのは二回目だった。村から出たときは基本的に一度ゴーストタウンにあった探偵事務所に立ち寄るらしい。移動器の乗り場はそこが最寄りだそうだ。薫陶のお陰で樹海を走り抜ける二人について行くのは以前より楽になっているように感じられた。わざと遅く走ってくれている可能性は十分考えられたが、純粋に成長したと思いこむことにした。
森を抜けてしばらくすると、寂れたビルが現われた。何十日も前に見た探偵事務所のビルだ。「マジでめんどくせぇ」と珍しくため息交じりにヤンが天を仰いだ。
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