9話 苦手

 ヒデにとって堅洲村カタスムラでの暮らしは新しい体験ばかりだった。スイッチ一つですべての家電を操ることができる世界から、畑を耕し、洗濯板で服を洗う世界に変わってしまった。風景と同じように、暮らしもまるで時代に取り残されたようだった。テレビや本でしか見たことのなかった「昔の生活」は新鮮ではあったが、慣れるには時間を要した。

 そんなある日の早朝、ケイがヒデの宿イエへやって来た。情報統括官のケイは既死軍キシグンのすべてを握っていると言っても過言ではない。その傍ら、先日ゴーストタウンの事務所にいたイチの宿家親オヤも兼ねている。かなりの放任主義だとあとでアレンから教えられた。

 ケイはアレンの取次で玄関先にヒデを呼びつけると、一枚の紙を手渡した。「予定表」と呼ばれるメモ程度のその紙は十日ごとにケイからイザナに届けられる。しかし、予定表と言われている割には「薫陶くんとう」「畑」「会議」と三つの単語が数ヵ所に書かれているだけの簡素なものだった。

 ヒデは目をぱちくりさせながら予定表とケイを交互に見る。その無言の訴えにケイは説明を始めた。横では正座したアレンがにこにこと二人の様子を見ている。

「薫陶は、平たく言えば訓練、畑もそのまま畑当番の意味だ。会議は俺から近況報告とか任務の説明とか、その時によって色々する。とりあえず今日は薫陶だ。あとで射撃場に来てくれ」

 一方的に簡素な説明をするだけすると、ケイはさっさと玄関を出てしまった。アレン曰く過労死の境を生きている人らしい。こんなのどかな村にはそぐわない言葉だなとヒデは小さくなるケイの背中を見ていた。


 太陽が高く上ったころ、ヒデがアレンに連れられて射撃場に着くと、そこでは既にジライとレンジが楽しそうに話をしているところだった。この二人は見た目からしてヒデが普通に生きていたら絶対に交流のなかったタイプだ。そのせいか、少し苦手だった。

「よぉ、ヒデ。今日から薫陶なんだな」

 ジライがヒデに気付き、話を中断する。レンジも「よろしくな」と軽くあいさつをする。

「ジライ君とレンジ君がいたことですし、私は帰りますね」

「はい!ありがとうございました!」

「頑張ってくださいね」

 そう微笑むとアレンは元来た道を引き返して行った。そんな姿を見てジライは「アレンさんってやっぱりめちゃくちゃ優しそうだよな~」と羨ましそうな声を上げる。

「よかったなぁ、ヒデ。優しい宿家親オヤで。俺なんか毎日アカツキと殴り合いしてっからな」

 そう言うとジライとはげらげらと笑い出した。レンジも「俺はお前がイザナのアカツキに同情するぜ」と歯を見せる。

 しばらくすると、他のイザナたちも集まり始めた。その中にはシドもいた。相変わらずの着流し姿には近寄りがたい空気を纏っている。そういえばこの人も苦手だったなとヒデは横目でその姿を一瞥した。

 今日の担当であるらしい宿家親オヤのシーナが声をかけると、全員の視線が集まる。

「残念ながら今日は何の面白みもない、いつものやつだ。とりあえず村十周してこい。続きはそれからだ」

 シーナがそう言い終わるや否や、ヒデを残して全員が一斉に走り出した。案外普通の内容に驚いている暇もなくヒデもやや遅れてついていく。

 走るのは苦手ではなく、どちらかと言うと長距離は得意だった。そんなにタイムも悪くない。しかし、最後尾にさえついていくのは大変だった。学校で一番速い人たちの集まりなのではないかと思えるほど速かった。道が楕円状になっているせいもあって、あっと言う間に最後尾を走っていた、一見すると女の子と見間違えてしまうような小柄なイザナの後ろ姿も見えなくなった。


 ヒデはふらふらになりながらやっと十周を走り終えた。みんなはかなり前に走り終えている様子だった。

「お疲れ。続けるぞ」

 そうヒデに声をかけるシーナの視線の先には大量の丸太が転がっていた。次のメニューは薪割りだった。普段カマドや風呂は薪を使っている。ヒデはあの薪はこの時に割っていたのかと、自給自足という言葉が頭に浮かんだ。

 薪割りなんて単に斧を降り下ろすだけの作業だと思っていたが、それが甘い考えだと気付くのに時間はかからなかった。勢いよく振り下ろされたヒデの斧は薪の途中で引っ掛かってしまった。そのまま斧を下ろそうにも、上げようにも食い込んで動かせそうにない。見かねたシーナが軽々と丸太ごと斧を振り上げ、薪割り台に叩きつける。爽快な音を立ててあっけなく丸太は二つに割れ、地面に転がった。見ていたヒデは思わず拍手を送る。

「コツが要るんだよな、これ。教えてやるから覚えてくれ。畑当番と薪は俺たちの死活問題だからな」


 シーナに教えてもらった方法で何とか薪を割っていると、たった数分で全身が悲鳴を上げ始めた。単調な作業とは裏腹に今までにない重労働だった。弱音を吐きそうになった頃、運良く割る薪がなくなった。ヒデは助かったと内心喜んだのもつかの間、シーナの「次で最後だ」という言葉に、まだ続くのかと肩を落とした。

「久しぶりに射撃やるぞ。ヒデは残っといて、あとは自由解散」

 その言葉を聞くと、それぞれ懐から銃を取り出し、射撃台へと歩いて行った。シーナとヒデは他のイザナから少し離れて座った。

「一応聞くが銃って初めて、だよな?」

「当たり前じゃないですか」

 何を当然の質問をしているのかとヒデは苦笑いをした。帝国では個人での銃の所有は認められていない。持っているのは軍人か、危ない世界の人たちだけだった。

「俺たちはそれぞれ違う武器使ってるだろ?だが、意外と銃を使うことも多い。護身用だとでも思っといてくれ。俺は村の中でも常に携帯しといたほうがいいと思ってる。まぁ個人の自由ではあるがな」

 そう言うとシーナは手元にあった銃をヒデに手渡した。

「リヤのだ。あいつ、全然使わなかったんだよな。代わりに使ってやってくれ」

 ヒデは手にした銃に確かな重みを感じた。自分を護るものでもあり、それと同時に人の命を奪うものでもある道具に不思議な感情を覚えた。

 シーナは銃を解体しながらゆっくりと説明し始めた。少なくとも使用後はメンテナンスをしないと思わぬ不具合に見舞われるらしい。あっという間にシーナの銃は元の形を取り戻した。見よう見まねで初めての作業をするヒデは、こんなもの使う日がこなければいいとぼんやり考えた。

「少なくとも宿家親オヤはみんな詳しいから、またわかんねぇ事あったら聞いてくれ。ラッキーなことにアレンは最高の狙撃手だったしな」

 いつもの優しいアレンには似つかわしくない「狙撃手」という言葉にヒデの背筋に冷たいものが走った。しかし冷静沈着なアレンが息をひそめて獲物を待っている姿は容易に想像できた。

 ひと段落付き、ふと気が付くといつの間にか射撃場には銃声が響いていた。シーナは「最高の先生を教えてやるよ」と射撃台の一番端にヒデを連れて行った。

 そこには気だるそうに銃弾を装填しているシドがいた。声を掛けられる前にシドは手を止め、シーナを睨んだ。回転式拳銃を手にしているその姿はいつにも増して殺気を放っていた。

「コイツ、お願い」

 ヒデは「お願いだからやめてくれ!」と言わんばかりの露骨な表情だったが、シーナはお構いなしに続ける。

「俺が教えるよりお前の方がいいかと思ってな」

 ヒデは「シーナでお願いします!」と心の中で叫んだ。しかしそんな叫びも虚しく、意外とあっさりシドは役目を引き受けた。ヒデが驚いているとシーナは、「頼んだぞ」と残し、別の人の所へ行ってしまった。ヒデが名残惜しそうにシーナの方を見ていると、「撃て」とシドが言った。

 少し戸惑ったが、促されるまま的の中心を狙って引き金を引く。乾いた音とともに衝撃が肩を走る。ヒデは殴られたような痛みに顔をしかめるが、シドはそんな様子には興味を示さず的を見遣る。

「お前は矢を放つときも怖気づくのか」

 肩を押さえながら、やっぱりこの人は苦手だと思った。

「基本的には腹部を狙え」

 たった一言、そんな物騒な助言を残してシドは射撃台を後にした。元々シドの指導にはあまり期待していなかったが、引き受けた割には何も教えて無いじゃんと言わんばかりに溜め息をついた。

「そう溜め息ばっかりつくなよ」

 笑いながら声を掛けてきたのは隣にいたヤンだった。

「あれでもシドなりに教えたつもりなんだろ。ただ言葉が足りてないって言うか、普段からあんまり喋んないしさ。何なら俺が教えてやるよ」

 イザナの中でシドの次に権力のあるヤンは、どうやら思っていたよりも優しいらしい。ヒデは「ありがとう」と笑顔を見せた。

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