8話 思考と存在

 満点の星空の中、ヒデはヤン、ノアと別れ、薄明かりが漏れる引き戸を開けた。「ただいま戻りました」という帰宅を知らせる言葉にはまだ慣れず、照れくささが残る。てっきりアレンが出迎えてくれるものと思っていたが、そこにはアレンではなく一人の男が立っていた。この村では着流しを着ている人が多く、ヒデはまだ後ろ姿では見分けることができないが、恐らく初対面だろう。

 困ったように頭をかいていた男は振り返ってヒデを見るなり「丁度いいところに!」と指を鳴らした。そして状況が呑み込めていないヒデの表情を見ると、男は「あぁ、すまんすまん」と再び頭をかいた。

「俺はジン。宰那岐カンナギと言う役職を担当している。よろしくな。俺はヒデ、お前に会いに来たんだ」

 ジンはしっかりとした体格には似合わない血色の悪い顔をしている。今まで会ってきた既死軍キシグンの面々とは違い、生気が感じられない。

「僕に、ですか?」

 こんな新参者にどんな用があるのだろうとヒデは不思議そうに首をかしげる。

「俺しばらくこっちにいなくて来るの遅くなったけどけどさ。本来もうちょい早く会うべきだったんだよ。とりあえずアレンにも話通したいんだが、今いないみたいでな」

「アレンさんいないんですね」

 出迎えてもらえそうにないことを知ってヒデは肩を落とす。

「多分リヅヒの所だ。あいつら仲いいんだよ。連れてってやろうか」

 ヒデがうなずくと、ジンは「任せろ」と外へ出た。

 リヅヒの宿イエへ向かう道中、ヒデは宰那岐カンナギについて尋ねてみた。いろいろな役職があるものだと初めて聞く言葉に興味がわく。

宰那岐カンナギって初めて聞いたんですけど、何ですか?」

「もとは俺が持つ力を宰那岐カンナギと言う。そこから役職名もそのまま同じものを使っている。それが何かって言われると、言葉で説明するのは難しいんだけどな」

 ジンは視線を泳がせながら困ったように顔をしかめる。

「簡単に言えば既死軍キシグンが持ってる武器に力を与えるのが俺の仕事だ」

「力、ですか」

 突然空想科学のような話をするんだなとヒデは訝しむ。

「力って言っても攻撃力とか防御力とかいうのじゃなくて、武器と所有者を結び付ける力というか」

 はっきり見えない話に、ヒデも「どう言う意味ですか?」と同じように眉間にしわを寄せる。

「俺たちの武器は、ただ闇雲に使えば良いってもんじゃない。武器と所有者の力が同等じゃないと上手く使えないんだ。だから武器の力が大きすぎても、所有者の力が大きすぎてもダメなんだよ」

「いまいちよくわかんないです」

 ヒデはさらに首をかしげる。

「『百聞は一見に如かず』ってな。明日見せてやるよ」

 そう言われても、見たところですんなり理解できることだとは思えなかった。頭の中でいろいろな考えを巡らせていると、見慣れた人影が前から歩いて来た。

「おかえりなさいヒデ君。それからジン君も、お久しぶりですね」

 ヒデはその姿を見た途端、「帰ってきた」という安堵感が心に広がった。

「丁度アレンを捜してたんだ」

「すみません。ちょっとリヅヒのところへ。何かご用でしたか?」

宰那岐カンナギの話をしようと思ってな」

「それはそれは。ありがとうございます」

 アレンは思い出したようにうなずき、笑顔を作る。

「説明は簡単にした。明日実際に見せてやるって話になってる」

「わかりました。よろしくお願いしますね」

「じゃあ俺の宿イエ向こうだから。また明日な、ヒデ」

「はい、ジンさん。おやすみなさい」

 ヒデとアレンは足早に去るジンを見送り、並んで歩き出した。思い返せば、アレンと肩を並べて外を歩くのは久しぶりだ。

宰那岐カンナギのお話は、いささか難しいと思います。理解するというより慣れるといった方が適切かもしれませんね」

「確かに、話を聞いてもよくわかりませんでした」

 先ほどの説明を思い返しながら、ヒデは再び渋い顔を作っていた。

「そんなに重要なんですか?宰那岐カンナギって」

「今となっては既死軍キシグンに欠かせないものです」

 未だに腕組みをして考え込んでいるヒデにアレンは「百聞は一見に如かずですよ」とジンと同じ言葉でにっこり笑った。


 翌日、太陽が高く昇った頃、ヒデはジンに連れられて射撃場に来ていた。そこには何故かチャコも一緒にいた。どうやら助手らしいが「何で俺やねん」と、ぶつぶつ不満を漏らしている。

「昨日言った通り、宰那岐カンナギの力は百聞は一見に如かずってやつだ。まずは俺が言う力がどんなのモノか見てもらう。チャコ、よろしく」

 チャコが渋々ヒデの前に持って来たのは、竹に藁が巻き付けられている「巻き藁」と呼ばれる物だった。竹は骨、藁は肉の硬さに似ているそうだ。なんとも物騒な説明だ。

「まずは力を使わずにやってみてくれ」

 ジンがそう指示すると、すぐにチャコが武器であるハリセンで巻き藁を叩いた。頬を勢いよく平手打ちされたかのような痛々しい音は響いたものの、的は倒れることなくしっかりと立っていた。

「何や、ジンの力使わんかったらこんなもんなんか」

 チャコは驚いたようにハリセンをまじまじと見る。本当にこの話し方とハリセンは気持ちがいいほどよく似合う。

「次はすっきり倒したるでー!」

 そう予告ホームランのポーズをとると、ジンの指示を待つことなく、チャコはハリセンを振りかぶった。風を切る音が聞こえたかと思うと、さっきよりも鈍く重々しい音が周囲に響いた。思わず目を閉じてしまったヒデが恐る恐る目を開けると、そこには的が変わり果てた形で倒れていた。

 チャコは「特大ホームランやな」と満足そうに大口で笑う。そんなチャコにジンは「さすが、既死軍キシグン三番手」とわざとらしく拍手をした。そして、「これが俺の言う『力』だ」とヒデの方を振り向いた。

 ただ力むだけでこんなに違いが出るはずはない。確かに説明のつかない特別な力なのだと感覚的に理解した。

「こんなの説明出来る訳ないだろ?」

 ジンはさも説明できないほうが正しいとでも言うように肩をすくめた。

「まぁ、原理はわからなくてもいいが」

 そう言うと、ジンは今までに何度も同じ説明をしてきたのだろう。簡潔に言えば、武器と人間が一心同体となったとき、初めて宰那岐カンナギの力が体現するのだそうだ。

 単に集中力が上がるだけなのか、それともジンの持つ現実離れした不可思議な力なのか、ヒデはいまいち納得できない様子でチャコに助けを求める。そんなヒデの視線に気づいたチャコは「俺もよぉわかってへんから大丈夫や」と声を上げて笑った。

 せっかくの説明を一蹴されてしまったジンは苦笑いをしながらヒデに弓を手渡す。

「お前はこの力がもう使えるはずだ。一回使ってみろ。ヒデの武器、下弦だったか?下弦を信頼するんだ」

 ヒデは促されるままに弓を受け取り、矢を手に取った。目を閉じ、精神を集中させる。やがて木々のざわめきが止まり、自分の呼吸音だけが聞こえる世界が広がった。静かに開かれたヒデの眼前には、風の動きさえも見えるような空間があるだけだった。この景色が見えるのは久しぶりだ。一呼吸おいてから慣れた動作でゆっくりと弓を引く。ヒデは一点を見つめたまま、張り詰めた弦から手を離した。放たれた矢は空間を切り裂くように直線を描き、時が動き始める。矢は命中するやいなや、巻き藁を真っ二つに割ってしまった。矢と言っても競技用のものだ。骨や肉と同等の硬さを誇る巻き藁を割るなど有り得ない話だった。

 自分の放った矢の威力を、唖然と見ていたヒデの後ろからチャコの声が聞こえる。

「始めてにしてはよぉやるやんけ」

 どうやら褒めているらしい言葉を残して、チャコはひらひらと手を振りどこかへ行ってしまった。ジン曰く畑当番らしい。「戦ったり、畑を耕したり、既死軍キシグンも楽じゃないな」とヒデは何度目か分からない溜め息をついた。


「みんなはどんな想いなんだろう」

 ヒデは自室から続く縁側で仰向けになりながら考えた。まだ日は高く、日光が燦燦と降り注いでいる。

「何をしてるんですか?」

 顔だけを庭に向けると、アレンが布団を物干し竿から取り込もうとしているところだった。天日干しをしてくれていたようだ。

「武器と自分は一心同体だと聞いたんで、みんなはどんな気持ちで戦ってるんだろうと思って」

「答えは見つかりましたか?」

「いえ」

 ヒデは起き上がり縁側に座り直した。そして「全くわかりません。それに、知ったところで」と、笑った。知ったところで、自分には計り知れないものであることは分かっていた。

「アレンさんは、どんなこと考えてましたか?」

宰那岐カンナギはジン君が初めてなんです。なので、ジン君以前からいる私たち世代の武器は銃のみでした。銃の腕前至上主義、といった感じでしたね」

「そうだったんですか」

 アレンは縁側から室内に入り、押入れに布団を片づける。ふかふかと崩れ落ちる布団と格闘しつつ襖を閉めると、ヒデの横に座った。

「私は銃を触るのが好きでした。今でも銃声を聞くと当時の記憶がよみがえります」

 優しい声には似つかわしくない言葉が美しい旋律のように紡がれる。ヒデは違和感を覚えることもなく耳を傾ける。

「今ののどかな生活はもちろん愛おしいです。ですが、私は任務で生死の境を彷徨うような生き方の方が性に合っているのかもしれません。はっきりと『生きている』と思えるんですよ」

「任務って、そんな気持ちになるものなんですか?」

「ヒデ君も今にわかりますよ」

 アレンはヒデの肩を優しく叩くと、室内に入ってしまった。ヒデはそのまま後ろに倒れ、空を仰いだ。アレンとは家族でも友達でもない不思議な関係ではあるが、ヒデにはかえってそれが心地よかった。

 どこまでも続く澄んだ空を眺めながら、ヒデはいつの間にか眠りに落ちていた。

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