7話 石

 人通りの無い道路沿いを歩いて行くと、寂れた町に出た。民家はなく、背の低い古びた商業ビルやオフィスビルが建ち並んでいる。しかしどのビルの入口にもシャッターが降ろされ、人影はどこにも見当たらない。絵に描いたようなゴーストタウンだ。

 しばらく行くと、前を歩く二人は薄汚れた三階建てのビルの前で立ち止まった。見て来た中でシャッターが開いていたのはこのビルだけだった。

「何ですか? ここ」

「探偵事務所所有のオフィスビル」

「探偵?」

「表向きは、だけどな。表で頼めないような依頼が来る、まぁ簡単に言えばよろず屋だ。裏の世界じゃ有名で俺たちの情報源の一つだ」

 ヤンはそう説明しながらガラスのドアを開け、階段で三階に上がる。ノックをすると返事がある代わりに色あせた鉄の扉が開いた。

「あれ? 今日はイチなのか」

 そこに立っていたのはイチと呼ばれた少年だった。確かケイの誘だったはずだヒデは名前と関係性を思い出す。ヤンの問いにイチはうなずき、そしてちらりとヒデを見た。

[よろしく、ヒデ。僕のことはイチって呼んで]

 黒いフェイスマスですっぽり覆われているイチの口元から電子合成音のような声が聞こえてきた。不思議な声色に少し驚いたものの、ヒデは至って冷静に「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「突然で悪かったな、間に合ったか?」

 イチはまたうなずきながら[二階]と言った。

「ヒデ、持って来い」

「はい!」

 勢いよく返事をしたヒデは階段を駆け下り、二階の扉を開ける。棚がいくつか置かれているだけの殺風景な部屋には少し大きめの段ボールが一個、ぽつんと置かれていた。三階に持って上がり、来客用のソファセットに座っている三人の前に箱を下ろす。大きさのわりには軽い箱だった。

「何ですか? これ」

「遺品を渡すのは誰だと思う?」

治持隊チジタイ?」

「ご名答」

 段ボールから出てきたのは帝国の人間なら見慣れている治安維持部隊チアンイジブタイの制服だった。

「俺とノアが治持隊チジタイ、ヒデは……」

 さらにヤンが箱から引っ張り出したのは、ヒデが通っていた高校の制服だった。だが、どう見ても女子の制服だ。

「女装、か」

 ヤンはその手があったかとでも言うような納得した顔でヒデを見遣る。ヒデは顔を引きつらせながら思いきり首を横に振った。

「母親に会いたいんだろ?」

 またもヤンが意地悪く笑う。

「それはそうですけど!」

「でも今から行くのはヒデの地元だし、顔バレちゃうとマズいでしょ? 仮にも死人なんだから」

 必死に抵抗するも、ノアすらヤンに加勢する。

「だからって女装なんて!」

「変装の基本だろ。大丈夫大丈夫、イチが綺麗にしてくれるから」

「綺麗とかいう問題じゃなくって!」

「僕もした事あるし」

「俺も」

「あとキョウもしたよね。あれは可愛かったなぁ~」

 思い出すようにノアが目を閉じる。確かにヤンとノアのような整った顔立ちは女装しても似合うかもしれない。既死軍キシグンは何でもするのかと溜め息が出る。

「いいかヒデ、生きるためだと思え!」

 ヒデの両肩を掴み、わざとらしく力を込めてヤンが言う。生きるというのは本当に大変な事だとヒデは諦めの表情をした。


 渋々着替えたヒデは鏡に映った自分の姿を見る。滑稽以外の何物でも無い。お世辞にも似合うとは言えず、再びヤンに抗議をした。

「だから大丈夫だって。イチが化粧してカツラ付けてくれるから」

 しかしヤンは視線を合わせずヘラヘラと笑うだけだ。化粧とカツラだけではどうにもならない気がした。

「ほら、女の化粧って、別人レベルになるやつがあるだろ。イチは上手いぞ」

 一流レベルの化粧までできるなんて一体どんな集団なんだと、半ば引きずられながらヒデは椅子に座らせられた。

 化粧というものはもっと時間がかかると思っていたが、案外早く仕上がった。先ほどまで滑稽だった鏡に映る自分は、今では自分でないように見える。きっと道を歩いていても男だとは気付かれないに違いない。イチが手慣れているあたり、なんだか既死軍キシグンのメンバーが不憫に思えた。そんな事を考えていると、治安維持部隊チアンイジブタイの制服に着替えた二人が戻って来た。

「おぁ、綺麗になったな」

「でもこれで僕はどうすれば」

「その顔で喋らないでくれ」

 ヤンとノアはがくりとうなだれる。声は勿論男のままだった。イチが[声が女の子になるから]と飴を差し出した。仕組みはわからないが、声色が数時間変わるようだ。ヒデがそれを受け取ると、ヤンが「行くぞ」と階下へ促した。一階にあるハッチを開けるとそこにははしごがあり、それを降りると地下道に着いた。

「ここ通って行くんですか?」

「俺たちの交通手段は基本、地下だからな」

 そう先導するヤンとノアに続いて少し歩くと、開けた場所に出た。

「目的地まではあれに乗る」

 ヤンが指差す先には、数人乗るのがやっとの小型の電車のようなものが線路上に置かれていた。格納庫かと思われる場所には同じ形をした乗り物がいくつか並んでいる。初めて見る乗り物にヒデは首をかしげる。

「これは、電車?」

「電車と言えばそうだけどな。ジンとイチが造った移動器だ」

 説明をしながらヤンたちはさっさと移動器に乗り込み、前方に付いている操作盤を触る。ガタンと少し車体が揺れると、ゆっくりと動きだした。移動器は徐々にスピードを上げ、やがてかなりの速さになった。一体どこまで続いているのか、道中いくつもの分岐点を通り過ぎた。

「この地下道ってどこまで通ってるんですか?」

「国営地下鉄より広範囲だって聞いた事あるよ。まぁ冗談だろうけどね」

「冗談に決まってるだろ。国鉄って帝国全土通ってるじゃねぇか」

「そうだよね~。でもかなり遠い所以外は基本これだから。結構広いんじゃないかな?」

 ヤンもノアもただの交通手段として認識しているようで、詳しくは知らないようだった。

「誰が造ったんだろ」

「第三次世界大戦の遺物だとは聞いている」

「そんなに昔の」

 それは歴史の教科書に載っているような昔の話だ。ヒデたちが暮らす葦原中ツ帝国アシハラノナカツテイコクが軍事国家として歩み始めたきっかけでもある。


 移動には時間がかかるようで、暇を持て余したノアとヤンは座席で居眠りを始めてしまった。話相手もいないヒデはもう一度持っている荷物の中身を見た。阿清アズミヒデの事故死。みんなはどう受け止めたのだろうかと遺品を手に取る。ご丁寧に事故にあったかのような傷や汚れが付けられている。折れた作り物の弓まで入っていた。

 しばらくすると移動器が止まった。きっとヒデの家に近いのだろう。移動器を降り、そこからまた地下を歩く。程なくして行き止まりになったが、壁にはハシゴが付いていた。上を見上げると、気が遠くなりそうな程出口は遠く見えた。

「よし、ここからが本番だ。いいか、ヒデ。お前の顔見知りとすれ違うかもしれないが、絶対に目を合わせるな。誰もお前の事はわからないんだからな」

 ヒデはうなずき、イチからもらった声が変わるという飴玉を飲み込んだ。ヤンとノアが先に、のぼり慣れた様子であっという間に出口に辿り着いた。ヒデもそれを追いかけた。

 外に出ると、そこはリヤと出会った公園の茂みの中だった。滅多に人が来るような場所ではない。ヤンが出口の蓋を閉めると、もうそこにハッチがあるとは分からなかった。道理でヒデも知らないはずだ。

 見慣れた公園、見慣れた街。なのに、何だかよそよそしく感じられた。幸い、ヒデの自宅までに知り合い会うことはなかった。ヒデはほっと胸を撫で下ろす。自分が誰だか分からないとはいえ、こんな格好は見られたくなかった。結局は母親には見せることになるわけだが。

 角を曲がると寂れた国営アパートが見えた。十五年間住み続けた、楽しい事も、哀しい事も経験した懐かしい家だ。この家を既に「懐かしい」と思ってしまう自分が嫌だった。

「大丈夫?」

 ノアが顔を覗き込む。

「やめても良いよ?」

「大丈夫です。こんな格好までしたんだから」

 ヤンはそんなヒデのことばにかすかに笑った。

 アパートの階段をのぼり二〇三号室をノックすると、「はい」という声とともに女性が出て来た。少し痩せた気がしたが、確かに母親だった。

「こんにちは。帝国軍治安維持部隊チアンイジブタイです」

 ヤンが帽子を取り、見たこともないような満面の作り笑顔で挨拶をする。

ヒデの事?」

 ヒデは自分の名前に反応する。母親に「ヒデ」と呼ばれたのは何年振りだろうか。

「はい。これは阿清アズミヒデ君の遺品です。本部から返って来たのでお返しします」

 そう差し出された荷物を母親はしばらく見つめると、「わざわざありがとうございました」と引き取った。

「あと、一つお願いがありまして」

「では」とドアを閉めようとする母親をヤンは引き止め、ヒデを振り返った。

「彼女、阿清アズミ君の同級生なんですが、最期に阿清アズミ君にご挨拶をしたいと」

 母親と目が合ったヒデは軽く頭を下げる。こんな他人行儀なあいさつをする日が来るとは思わなかった。母親は少し悩んだような表情で沈黙したが、「どうぞ」とヒデを室内へ招いた。

「それでは、私たちはこれで」

 治持隊チジタイの二人は再び脱帽して礼をするとあっさりと元来た道を引き返して行った。

 ヒデは母親からの弔いなど少しも期待してなかった。自分を殴り続けた母親はきっと自分がいなくなって清々していることだろう。心臓が破裂しそうなほど苦しい記憶がよみがえった。どうして自分は母親に会いたいなどと思ったのだろうかと後悔をし始めたとき、棚の上に見たことがない写真立てが置かれていることに気づいた。学校から提供されたであろう学生証の写真だ。傍に置かれている小さな箱は恐らく骨壺だろう。あれにはいったい何が入っているのだろうかとぼんやりとそんな事を考える。

「わざわざ来てくれたのに、こんなので悪いわね」

 申し訳なさそうに母親は目を伏せる。ヒデは「いいえ」と静かに首を振った。

 まさか自分で自分に合掌する日が来るとは夢にも思っていなかった。消えてしまった父親も、自分を殴り続けた母親も、ヒデは憎み続けていた。積年の恨み、それが既死軍キシグンに来てたった数日で薄れてしまった。助かったという安堵感からなのか、開放感からなのか、ヒデにも理由はわからなかった。どこで人生が狂ってしまったのだろうか。幸せと不幸せの岐路は一体どこだったのか。必死に記憶の糸をたどってみても、そこにはただ濃い霧が広がるばかりで何も見えることはなかった。

「ごめんなさい」

 ヒデは無意識のうちに涙を流していた。母親は驚いたように「どうしてあなたが謝るの?」と困った顔をした。

 言葉が言葉にならない。これ以上、何を言えばいいかわからない。伝えるべき最期の言葉に正解があるのかすらわからない。

 もう戻れない。

 それだけがはっきりとした。


 ふらふらと街を歩きながらも、十五年歩き続けた道はヒデを目的地へと導いた。広い公園のいつかリヤと出会ったベンチで二人が待っていた。ヤンの「帰るぞ」という、素っ気無い言葉が今は嬉しい。

「さようなら、阿清アズミヒデ

 ヒデは一人振り返り、二度と見ることはないであろう故郷を目に焼き付けた。


 移動器に再び乗り込み事務所に戻ると、ヒデはあっという間に元の服装に着替えてしまった。

「えーメイク落としちゃうの?」

「当たり前です!」

 勿体ないなぁと、ノアは不満そうだったが構わない。こんな事はもう二度とごめんだと喉に違和感を覚え何度か咳をした。

 ソファに座ってあくびをするヤンは面倒臭そうに伸びをする。

「あいつもいねぇし、帰るのは明日にするか? 俺眠いんだけど」

「僕は今日帰りたいなぁ。自分の布団でゆっくり寝たいし」

 窓の外はすっかり夕焼け空だった。無人のビルたちが黒い影を作り、不気味な街の景色を作り出してる。

「こんな暗いのに樹海なんて大丈夫なんですか?」

「俺たちは迷わない」

 ヤンはヒデの目をまっすぐ見た。

「僕らは迷わないよ」

 それはリヤの言葉だった。樹海は人を惑わす魔の領域。だからこそ、人でなければ迷うことはない。

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