6話 不帰(ふき)
鳥のさえずりが聞こえる穏やかな朝、ヒデはアレンを捜して
部屋に入ってきたアレンの和服からはいつもと違う匂いがふわりとする。違和感を覚えたのか、無意識にアレンの後ろ姿を目で追っていたようだ。そんな視線に気づいたアレンは振り返り、再び笑顔を作る。
「どうしましたか?」
「いえ、何だか、いつもと違う雰囲気がしたので」
ヒデも自分でも不思議だと言うように首をかしげる。
「この村は普遍的なようで、実はそうでもないんですよ」
「アレンさんって、時々哲学みたいな話しますよね」
台所に立ったアレンは髪を後ろで束ね、軽快な音を立てて野菜を切り始める。ヒデも隣に立って手伝いを始める。
「そうですね。私はこんな哲学じみた空想に取り憑かれているんですよ」
まじめな顔でそんな話をするアレンが珍しく、ヒデはおかしそうに声を出して笑う。
親子ほど年も離れていなければ、兄弟という年齢差でもない。しかしヒデにとってアレンは本当の家族のように感じられる存在だった。一緒に過ごした時間はまだ浅いが、いつでも笑顔で暖かく受け入れてもらった経験が全くないヒデがアレンを慕うのは当然のことだろう。
昼頃、ヒデが縁側で弓の手入れをしていると、アレンがやってきた。
「いつお伝えするか迷ったのですが」
アレンは言葉少なにうつむいて眼鏡のずれを直した。いまだに迷いがあるようだった。ヒデはぽかんとした顔でそんなアレンを見つめる。
そしてアレンは決心したように一呼吸置き、至って冷静な声で伝えた。
「リヤ君が亡くなりました」
ヒデは突然のことに言葉を失い、硬直したように同じ表情のままアレンを見ていた。
「今朝いなかったのは火葬に立ち会っていたからです」
ヒデは何か言葉を発そうと口を何度か動かしたが、声になることはなかった。今でも眼前に浮かぶ、「また今度」と笑って手を振った、あれが最後に見たリヤの姿だった。
声を出す代わりに涙があふれた。
「よく聞いてください」
いつになく真剣な表情でアレンはヒデの両肩を掴む。
「
「
ヒデは絞り出すような声で受け答えをする。
「リヤ君は
「何で、そんな事を」
「表向き、
アレンは手を離し、背を向けた。そして何かを思い出すかのように小さくつぶやいた。
「酷いじゃありませんか。私たちだって」
ヒデは今まで何度かニュースで「
陽が傾き始めた頃、ヒデはアレンとともに墓地へ来ていた。リヤに村を案内してもらったときには教えられなかった場所だ。
「墓」と呼ぶには質素すぎるそれの下には、リヤが眠っている。もう目覚める事のない少年は、永遠に少年のまま眠り続ける。人が死ぬと言うのはこういう事なのだと痛感する。道端で摘んだ花を供え、手を合わせた。
墓地と言われるだけあって、リヤの墓以外にも幾つか同じようなものがあった。みんな
ここに書かれている名前はその内一人ひとり消されていくのだろうか。そして、いつかは自分も。そんなことをぼんやりと考えながら名前を見つめた。
人が生まれても、死んでも、変わらずに太陽は沈み、月は昇る。
リヤの死が影響しているのか、ヒデは以前にもまして連日母親の夢ばかり見るようになった。母親が泣いている夢だ。もしかして今更会いたいのだろうかと自分でも不思議に思うほどだった。
目が覚めるともう陽は高く登っていた。布団を片づけて居間へ行くと、相変わらずアレンが書類仕事をしていた。ヒデはおずおずと声をかける。
「あの、アレンさん。僕のお母さんがどうしてるか、わかりませんか?」
そんなヒデの問いに、驚いたようにアレンが瞬きをする。
「偶然ですね。実は今日、あなたのお母さんの所へ行く予定なんです」
「どうして行くんですか!?」
思いがけない返答にヒデはアレンにずいと顔を近づけた。その勢いに圧倒されたアレンが身を引きながら続ける。
「ヒデ君は表向き事故死となっています。ですから、ヒデ君の持ち物を『遺品』として返しに行くんです」
「そう、ですか」
ヒデは初めて以前いた世界で自分がどのような扱いになっているかを知った。
「ヒデ君も行けるかどうかケイに聞いてみましょうか」
「いいんですか!」
「ケイがダメだと言ったらダメですけどね」
そう釘を刺してアレンは早速、
「お待たせしました」
やっと玄関から声がしてヒデは慌てて出迎える。
「お帰りなさい!」
「予想範囲内、だそうですよ」
ヒデは手放しに喜んだ。
「現世に執着すると、地縛霊になってしまうんですって。ケイも不思議な人ですね」
アレンはクスクスと笑い、ヒデに詳細を伝えた。
一緒に行くのはヤンとノア、二人とも初めて会う
集合場所である村の出口には既に二人が来ていた。
黒髪の少年が名前だけの自己紹介をする。
「俺がヤンで、こっちがノアだ。行くぞ」
どうやら黒髪の少年がヤンらしい。二人は素っ気なく樹海へと歩き出した。獣道すらない樹海では二人がいなかったら、きっとヒデはすぐに迷っていただろう。しばらくしたところでノアが思い出したように手を打った。
「そうだ。これ、持っといて」
そう言って今まで背負っていたリュックをヒデに渡した。ズシリと重い。中身を見ると、
「これ、僕の」
ノアが「自分のだから当然じゃん」と言いかけた言葉をヤンが遮る。
「お前のじゃない。それは
そうはっきり言われると、なんだか哀しかった。
そんな言葉を放ったヤンが振り返り、今度は意地悪そうにニヤリと笑う。何を言われるかと思うと、自然に背筋がのびた。
「お前、モテたんだな」
何を言われるのかと身構えていたヒデは肩透かしを食らって素っ頓狂な声を上げた。よくよく見ると、いつの間にヤンの手には黒い携帯電話があった。
「いいねぇ、モテる人は」
「何で!? ロックかけてたのに!」
「そんなのケイに頼めばすぐだ。大会では大活躍だったそうで。『
からかうようにヤンは声色を変えて読み上げ、ノアも声を上げて笑う。
「俺は詮索好きなんでね。メール受信件数の男女比は三対七、括弧俺調べ、ってところか?」
「返して!」
「返してほしかったら俺たちに追いつくことだな!」
そう言うと二人は駆け出した。こんな右も左も森の中で迷子になる訳にはいかないと、ヒデは重たい荷物を持ち必死で追いかけた。
何分追いかけたかわからないが、しばらくすると森を抜け、申し訳程度に整備された小道に出た。やっと樹海の出口のようだ。
「お疲れさん」
出口でヤンとノアは待ってくれていた。息を切らすヒデと違って、全く疲れているように見えなかった。相当訓練されているのだろうか。
「よく付いて来られたね」
「来なかったら置いてくつもりだったんだけどな」
二人はゲラゲラと笑っている。どうやらヒデは試されていたようだ。
「け、携帯、返して」
張り裂けそうな肺の痛みを感じながらも、やっとのことで声を絞り出した。
「はい。よく頑張ったで賞」
ヤンは笑いながら携帯電話をヒデの手に納める。手にした懐かしい自分の遺品。これでメッセージを送る事も、電話をかける事も、二度とない。ヒデは携帯を見つめ、そしてカバンに入れた。
十五年間生きた自分との決別。一年前の自分は、いや、大会前の自分はこんな事を想像していただろうか。
もっと未来だと信じて疑わなかった最期の別れを、すんなりと受け入れた自分が悲しかった。
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