5話 下弦

 ヒデがチャコを見送って部屋に入ると、アレンが晩ご飯を用意していた。手料理なんて何年振りだろうかとヒデはありがたくいただく事にした。

 ご飯を食べながら改めて部屋をぐるりと見まわす。初めは囲炉裏にももちろん驚いたが、携帯電話やパソコンをはじめとする電子機器が発達した世界とは思えないほど前世紀的な室内だった。思い返せばチャコを見送った暗闇には外灯もなかった。

「ここって、電気とかガスとかないんですね」

「そうですね。村全体としては電気と水道は多少通っていますが、ガスはありません。ありがたいことに下水は整備されています」

 アレンはさっさと食事を済ませ、ぱらぱらと本のページをめくっていた。小説のように見えるそれは、この村での数少ない娯楽なのだろうか。

「私たちの宿イエには電気も水道もありませんが、既死軍キシグンを管理している情報統括官の宿イエなどにはありますね」

 生まれたときから電子機器があふれた日常が当たり前だったヒデにとっては驚きの生活だった。そういえば、とオイルランプを片手に宿イエの中を案内してもらったが、薄暗い屋内はいやに肌寒く、ヒデは初めて先の見えない暗闇に恐怖を感じた。

 アレンに教えてもらいながら一通り夜の家事を終わらせ、ヒデは与えられた自室に戻った。文机があるだけの六畳の和室で、寝ていた布団は押し入れに片づけられていた。外向きの障子を開けるとすぐ縁側がある。ヒデは使い方を教えてもらったばかりのオイルランプに火をつけ、縁側に座った。そしてこの村で目覚めてから数時間の出来事を思い出し、頭を整理する。

 まだ理解しきれていないことは多かったが、すんなりと自分の置かれている環境を受け入れられていることに気づき、驚いた。初めて会ったはずのリヤやアレンたちを訝しむ気持ちも不思議とわいてこない。

 しばらく星空を眺めてぼんやりしていると、「失礼します」とアレンが部屋に入ってきた。慌てて部屋に戻り、アレンと向かい合って座った。

「この弓に名前をつけてあげてください」

 アレンは手にしていたヒデの弓を置き、続けた。

「今後、この弓はヒデ君の武器になります。既死軍キシグンでは名前が重要な役割を果たします。ヒデ君が、ヒデ君として生きると決めたように」

 ヒデはしばらく考え込んでしまった。何かに名前を与えた事など今までなかった。そんなヒデを見兼ねたアレンが教える。

「例えば、シド君の武器は銃で、名前は“天隔地テンカクチ”です。チャコ君のハリセンは“林火白水リンカハクスイ”と言う名前です」

 さすがとしか言いようがない。「武器にハリセンか」とヒデは心の中で笑った。そしてまじまじと弓を見つめると、さっきまで見ていた夜空がふと頭に浮かんだ。

下弦カゲン、かな」

 弓は丁度弧を描く部分がアレン側、つるの部分がヒデ側にあり、ヒデからは下弦の月のように見えた。

 アレンは微笑み、「いい名前ですね」と言った。

「せっかくのヒデ君の腕が鈍らないように、明日は練習してみましょうか」

「楽しみです。明日」

 久しぶりに練習ができると聞いてヒデは声を弾ませた。しかし、その一方でアレンは初めて見せる表情をしていた。

「楽しみにする明日なんて、私たちには」

 そこまで言いかけてアレンは言葉を詰まらせた。そして、ずれた眼鏡を直しながら「すみません。こんなこと、言うべきではなかったですね」と再びいつもの笑顔に戻った。

 そして、何か言いたげなヒデに気づいたアレンは言葉を続ける。

「こちらの世界では、知らない方がいい事もあるんですよ」


 陽が沈み、世界に影を落とし始めたころ、都会の中心地で爆発音が響いた。一部の建物は倒壊し、人々が逃げ惑っている。

「おぉ、派手にやりやがったな。なぁシド、どう思う」

 双眼鏡を片手に、少年が面白そうにビルの屋上から爆発現場を眺めている。

「こりゃ治持隊も骨が折れるだろうな」

 少年が一人で会話を続けていると、ピアス状の無線から、情報統括官であるケイが二人を呼ぶ声が聞こえてきた。

『シド! ヤン! リヤと無線が繋がらない。一体何があった』

「たった今、近くで爆発があった」

 簡潔にシドが状況を伝える。目の前の惨状をものともせず、涼しい顔で夜風に漆黒の髪をなびかせている。

『リヤが巻き込まれたかもしれない。捜してくれ』

「了解」

 無線を切ると同時に、ケイは血が出るほどの勢いで拳を机に叩きつけた。

「くそっ! 蜉蒼フソウめ!」


 ヒデが眠ってどれぐらい経ったのだろうか。部屋の外、居間の方から人の話し声が聞こえるような気がして、何かあったのだろうかと夢半分で考えた。

 ――こちらの世界では、知らない方がいい事もあるんですよ

 先ほどのアレンの言葉が頭をよぎり、「あぁ、そうだった」と、抗うこともなくまた夢の中に引きずり込まれた。


 さらに夜は更け明け方近くなったころ、ケイの宿には何人かの宿家親オヤが集まり、モニターに映されている爆発現場をざわざわと見ていた。

「おいアレン、ヒデにもこのこと言うのか?」

 宿家親オヤの一人がアレンを振り返る。アレンは考える間もなく「いつかわかることですから」と返した。そして、どこか遠くを見つめるように「リヤ君はヒデ君と親友でしたからね」とつぶやいた。

 ざわつく室内に重い足取りでリヤの宿家親オヤであるリヅヒが入ってきた。水を打ったように静まり返る。リヅヒはモニターを見た途端、声もなくその場に崩れ落ちた。

「俺の指示に間違いはなかった。だから情報統括官として謝るつもりはない。しかし……」

 ケイがリヅヒの肩にそっと手を置いた。

「すまなかった」

「あの爆発じゃ仕方ない。だけど、だけどお前が指示を出さなきゃ!」

 リヅヒはケイの手を振り払い、胸倉を勢いよく掴む。

「殴れよ。それでお前の気がすむなら」

 悔しそうな顔をしながら、リヅヒは震える拳で力任せにケイの顔を殴った。殴られた衝撃でケイは激しい音を立てて襖ごと隣の部屋に倒れ込んだ。しかし文句ひとつ言わず、口から流れる血を拭う。

「俺だって既死軍キシグンだ!」

 リヅヒは声を荒げた。

「お前のせいじゃないのはわかってる! お前を殴っても何も変わらないのもわかってる! 俺だって覚悟してた! けど……」

 がくりと再び膝をついた。

「事はおさまったか?」

 そこへミヤとシドが入ってきた。シドは先ほど村に帰ってきたばかりのようで、汚れ切った既死軍の制服を着ている。

「たかが一人死んだぐらいで騒ぐな」

 シドは冷ややかな目でリヅヒを見て言い捨てた。その言葉に激昂したリヅヒは涙でぐちゃぐちゃの顔のまま今度はシドに殴りかかった。しかし、シドはあっさりと避け、反対にリヅヒを投げ倒した。

「頭を冷やせ。覚悟していたなら受け止めろ」

 そう言うと、シドは不機嫌そうに前髪をかき上げ、部屋から出て行った。

「頭を冷やせ、か。そうだよな、俺がわめいても、何も変わらないんだよな」

 仰向けに倒れたまま、リヅヒは目を閉じた。

「ごめん」


 障子越しに差し込む太陽の光でヒデは目を覚ました。夢を見ていた。しかし、夢と言うにはあまりにも鮮明だった。

「これで良かったの。もう、私があなたを傷付ける事もない。これで、良かったの……。だけど」

 今でもはっきりと思い出せる夢の中の声をヒデはよく知っていた。忘れるはずがない。十五年間、聞き続けた声だ。

 母親が「ごめんね、秀」と自分の遺影を手に涙を流していた。自分が突然いなくなって母親はどうしているのだろうか。夢のように泣いているのだろうか。そんな事を考えながら、ヒデはのろのろと服を着替え、部屋を出た。

 居間へ行くと、アレンが朝食を用意していた。

「おはようございます。早いですね」

「おはようございます。アレンさんこそ、朝からこんなにありがとうございます」

「昨夜は寝ていませんから、何かしていないとうっかり寝てしまいそうで」

「えっ徹夜ですか?」

「いつもの事ですよ」

 意外と既死軍キシグンはハードワークらしい。


 食事が終わってしばらくすると、アレンが「失礼しますね」と弓を持ってヒデの部屋に来た。

「では、昨日言った通り、早速練習しましょうか」

 そう言うと、アレンはヒデを外へ連れ出した。しばらく歩くと広場へ出た。リヤが案内してくれた時に射撃場だと言っていた所だ。射撃台の上には、矢が数十本既に用意されていた。

「弓を使うのは大会以来ですね。四日前、になるのでしょうか」

 まだ四日しか経っていないのに、もう何年も昔の事に思える。どうやらこの村は時間感覚も狂わせてしまうようだ。そういえばこの村で時計やカレンダーを見た記憶がない。

 弓道を始めて以来、四日間も練習しないのは初めてだった。しかし、感覚は全く鈍っていない。ヒデは心を落ち着かせ、弓を引く。放たれた矢は的の中心に刺さった。拍手が聞こえる。

「初めて見ましたが、聞いていた通り素晴らしいですね」

「ありがとうございます」

 どんな状況でも褒められるのは嬉しい事だ。ヒデは照れながら頭をかく。

「もう一回やっても良いですか?」

 弓を引く感覚が懐かしい。やはり弓道が好きだとヒデは思った。

「どうぞ。矢はいくらでもありますから」

 その言葉を聞くとヒデは夢中で弓を引き続けた。思い出がよみがえる。

 弓道を始めたきっかけは単純だ。中学に入って初めて勧誘された部活だったから、それだけだ。選んだことに特に深い意味はなかった。家に帰る時間が遅くなればなるほどいいと思っていた秀は遅くまで残って練習を続けた。忘れられない、初めて矢が的に当たった時の感動、初めての表彰台。だけど、いつからだろう。表彰状を破り、メダルやトロフィーを捨てるようになったのは。

 一筋の涙が頬を伝った。

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