4話 夢現(ゆめうつつ)
シドが置きっ放しにして行った魚の入っていない
「
この村で目が覚めてからたった数時間のことで、まだ十分に状況が呑み込めていない
「突然人生が変わって、どう思う?」
「僕はまだ実感がなくて、夢を見てるんじゃないかと思ってる。君に出会ったことも、この景色も、全部夢なのかもしれない」
「夢でもいいんだよ。僕はここが好きだから、
リヤはくるりと再び背を向け、静かに空を見上げた。真っ青な空はどこまでも続いている。
「もしこの世界が夢だったなら、
任務があるからと帰路に着こうとしたリヤは「また今度!」と相変わらずの曇りない笑顔で手を振った。
アレンに促され、玄関を入ってすぐ、囲炉裏のある居間に
「先にこれを返しておきますね」
そう言ってアレンが持って来たのは
「これ、僕の……。そうだ!カバンとか、僕の荷物は?」
大会があったあの日、
「もう、要りませんよ」
今までの優しい顔からは想像できない真剣な顔に返す言葉を失う。
「
「僕の、生きてた世界?」
催眠術にでもかかったかのように世界がぐるぐると回り、頭がぼんやりとした。僕には必要ない。今までのモノ、全て。どうしてずっと大事に持っていたんだろう?そんな考えがふと浮かんで、消えた。
「そうだ、
突然アレンは思い出したかのように話題をかえ、それきりもう持ち物の話はしなかった。
「
アレンは真剣な表情のまま哲学じみた話を始めた。
「名前には時に自分自身を型にはめ、縛り付けてしまう力があります。名は体を表すとはよく言ったものです。しかし、私たちには名前を棄て、自由になる権利があります。そう、過去に囚われない自由が」
熱っぽく語られる「自由」という言葉からは不思議な魅力が感じられた。
「私は名前と同時に過去を棄ててしまいました。しかし、過去とともに歩むのももちろん自由です。
「僕は……」
言葉を続けられず、
「つらかったことも、悲しかったことも、忘れたいことも、全部僕のものです」
悪夢なら、悪夢のまま、醒めないことを願った。
「僕は、僕です」
アレンはヒデの置かれている環境について詳しく説明してくれた。
ヒデが連れて来られた
ただ田舎に連れて来られただけではなく、私設とはいえ軍が絡んでいた事実にヒデはひどく驚いた。なぜ自分などが選ばれたのか思い当たる記憶は一切なかった。
任務を遂行する少年たちは「
「し、始末って、その、まさか殺しちゃうんですか?」
「そうですね」
背筋に冷たいものが走った。そんなにあっさりと、涼しい顔で肯定してほしくない。
「ヒデ君が生きてきたこの十五年間。それよりもっと前から、私たちはそうやって生きてきたんです」
「まさか、アレンさんも……?」
優しい笑顔を何度も見せてくれたこの人も、人を殺してきたのだろうか。
「この村に住む人は全員、もう元の世界には戻れないんです」
全身から血の気が引いた。あの笑顔を絶やさなかったリヤも、目の前で微笑むアレンも
――ミンナ、ヒトゴロシ
「う、そ……」
「さっきだって、リヤくんは」
あぁ、今から人を殺しに行くのか、とヒデは虚空を見つめた。血にまみれた人生を負っても尚、笑い続けられる理由は。強さや弱さ、恐怖や哀れみなどという言葉は彼らの境遇を表すのにはいささか陳腐に思えた。泣けばいいのか、叫べばいいのか、自分の感情がわからなかった。
しばらく沈黙が続く。そんな時、玄関からアレンを呼ぶ声がした。声の主は初めて見る少年だった。
――彼も、また
ヒデは呆然と、方言交じりでアレンと話す少年を見遣った。どうやらここには帝国各地から子供が集められているようだとのらりくらりと状況を把握する。少しすると、アレンがヒデを呼んだ。
「紹介しておきますね。彼はチャコ君、
ヒデは軽く会釈する。また不思議な名前だ。
「お前がヒデか。なんや、泣きそうな顔しよって」
まじまじとヒデの顔を見て、チャコはゲラゲラと笑った。
「来たくて来た訳ちゃうんやろ?オトンとオカンが恋しいんか?」
「ち、違うっ!」
「したら泣くなや」
チャコはさっきまで大口を開けて笑っていたとは思えない真剣な顔をした。
「男やろ。受け止めぇ。ここに来たからにはもう帰られへんねん。これが
そう言うと、またにっと歯を見せて笑った。
「なーんてな。でもな、お前だけちゃうねん。みんな、来てもたんや。この光の当たらん世界に」
――そうか。みんな一緒なのか
また冷やかされるのが恥ずかしくて、ヒデは泣きそうなのを必死にこらえた。
――辛いのは僕だけじゃない
「せや、お前シドに
「あ、はい」
「どうせ、怖い顔で『お前なんか嫌いだ』とか言われたんやろ?」
チャコは不自然なほどのしかめっ面をつくって笑った。
「な、何で知って」
「アイツみんなに言ってんねん。俺も初対面で言われたわ!気にすんな。アイツに好かれるヤツなんかおらんから!」
チャコはまた笑った。そう言ってもらえると少し楽になった。アレンの説明でも分かっていた。シドはいつも独り。
「わかってるやろけど、シドには近付かん方がえぇ。アイツは何考えてるか分からんからな」
「あの、リヤもそう言ったけど、どうして?」
「お前は来たばっかりやからな。その内わかるわ。一緒に任務行った後、お前がどっちに転ぶか楽しみやな」
「近付くと、どうなるんですか?」
「死んでまうなぁ」
チャコの返答に愕然とする。
「シドに近付きすぎたら自分で自分の首絞める事なんで。ヤンはもうアカンな。アイツは近付きすぎたからなって、お前ヤン知ってんのか?」
「知らないです」
「せやなぁ、今の
ヒデは頷く。まだ一度しか会っていないが、彼の空気は明らかに人と違っていた。
「んで、次期大将がヤンって所やな」
「ヤンって人もシドみたいな?」
「いや、アイツは今の所ちゃう。けど、いつかはシドみたいになるかもしれん」
“魅了”や“洗脳”いう言葉が頭をよぎった。シドにはそんな不思議な力がある気がした。
「ってこの話ナシ!俺死にたないし!俺は、まだ生きなアカンのや……」
チャコは、何かを思い出す様に目を細めた。
「ちょっと話しすぎたな。アレンに用があっただけやったのに」
いつの間にかチャコとヒデは二人きりになっていた。ここに来なければ会う事も、喋る事もなかった人たちとの出会い。これは数奇な運命に感謝するべきなのか。
「まぁこれからよろしくな、ヒデ。死なん程度に頑張りや」
そう言って再び笑い、チャコは帰って行った。見送りついでに外に出たが、さっき帰ったばかりのチャコの姿は、もう見えなかった。
ヒデは闇に包まれた空間を見つめた。空は輝く星で埋め尽くされている。
「満天の星ってこう言う事なんだ」
初めて見た夜空を、ヒデはしばらく見上げていた。
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