珈琲に溶かした終末論
「やあ」
と声を掛けたのだが、白い彼は剥き出しの敵意をちっとも引っ込める気配はない。
ホームは傭兵隊居住区側の通路である。本来ならここにはいないはずの私の存在に、白い彼は明らかに不機嫌そうに鼻の上にシワを寄せている。
正式に『ナックブンター』を抱え込んだ立場にある私なのだが、この白い男とその相棒には頗る不評を買っている。胸を張れるくらいに。
彼の本名を私は知っていたが、ここは敬愛する某隊の隊長に倣ってアルパカと呼ぶことにしよう。本隊最強と謳われる人物にしてはなんともふんわりとした見た目の動物のイメージだが、その実気性は粗いらしいのでぴったりなあだ名である。
「一人? 珍しいね」
広くもない通路だ。私を無視しても傍らを通り過ぎるしか無い。そんな無愛想なアルパカにもう一度声を掛けてしまうのは特に意味はない。
人に言わせればおそらく「嫌がらせ」に相当するだろう。彼が私を嫌っていることを知っていての所業だからだ。
だが声を掛けた理由はもう一つあった。彼の後ろに私の目的の人物がいるかもと思っていたからだ。ホームにいる間はほぼアルパカとその人物はセットみたいに一緒にいる。これがアルパカの相棒ではないところが面白い。
しかし、今のアルパカの後ろは空っぽだった。
「たいちょは、いまいない」
振り返った榛の目が一度私とその奥へ視線を走らせ、それからポツリと声が返ってきた。
隊長─── 傭兵隊『ナックブンター』の隊長である。アルパカがほぼ常に身辺警護をし、私がこれから伺おうとしていた人物だ。
自室にはいない、と彼は言ったのだ。
「ああ、そうなんだ。訓練かな」
まだ『ナックブンター』はオフの期間だった気がしたけれど。アルパカから答えは返ってくるとは思っていなかったが、その通り彼は答えずにスタスタと歩いて行ってしまう。
自室にいないならば仕方ない。
私もくるりと方向を変える。必然、アルパカの後を追う形になる。自分の後をついてくる私にアルパカは「なんでだよ」とばかりの顔で見た。
「そんな顔をしないでくれよ。そりゃこうなるだろ」
だって来た道を戻るのだもの。
肩を竦めて見せたがアルパカの反応は薄く、まるで私の存在を無かったことにしたように再び歩き始めた。
「君も隊長さんを尋ねに来たのかい。
どこにいるか心当たりは?」
重ねて確認してみたが、アルパカはこちらを見る気配もない。
この男は分かりやすい。
私をあの小さな隊長に近づけたくないのだ。そんなことは立場上できないというのに、アルパカは頑なにこの態度を崩さない。明確に拒絶を伝えてくる。
そこが私は楽しくてちょっかいを出してしまうのだが。当の隊長に話すと「相棒が怒るからやめてくれ」と困らせてしまうところも美味しい。
その相棒は、周囲からこそ「分からない」人間と思われているようだが、私にはあまりに明快な男に見える。
ただ我々に興味が無いだけだ。だから理解されるための努力をしない。それだけなのだ。
「君は何の用?
遊びにきたの?」
めげずに(めげる要素などないが)アルパカに尋ねる。すると、ついにアルパカは私を振り返った。
振り返るだけじゃ足らず胸ぐらを掴み上げる。
「お前に話すことはなにもない」
低く低く凄まれたその声は、いつものふんわり具合は無く地の底から這うように響いた。
リアクションが過剰なのだ。楽しくはあるが何故ここまで拒絶されるのかがちょっと不思議だった。別に彼の大事なものを損傷したわけでもない。
損傷しかかったことはあったかもしれないが。悪意はなかったし、私自身あの隊長が損なわれてしまうのは本意ではない。ここ最近の彼自身の欠損を省みない勇み足に懸念すら覚えている。
だがそんなことを正直に言う必要もなく、私がニコニコと彼を見上げているとアルパカは突き放すように手を放して歩き始める。
もう一度声を掛けるには何か代償を伴うような気配だったので今日はここまでだろう。
私はおとなしく彼の後ろを歩いたが、適当な横道を見つけるとそちらへ逸れて彼とは別れた。
「だから…… やめてくださいと言ってるでしょうに」
数時間後、無事目的の隊長を捕まえることに成功した。私がアルパカとの経緯を彼に話すと、彼はやはり困ったような顔をして返してきた。
「最近君が構ってくれないからさみしくて」
「つい最近一緒に任務をこなしたばかりだった気がしますが。
オフの平日はだいたい隊長室にいます。寂しついでに部下にちょっかい出すならこっちへ来なさい」
「お仕事中にお邪魔していいの」
隊長室のデスクに座っていた彼は、入ってきた私を簡易テーブルの方へ勧めた。彼と…… いや、彼に倣えば『ナックブンター』と私との仲だ、遠慮せずテーブルに着いて彼のコーヒーを待つ。
特段美味いコーヒーが出てくるわけではない。そこらで大量生産されている市販のコーヒーで、淹れ方もこだわっているわけではないらしいので、本当にふつーに不味くはないコーヒーが出てくる。
だが、私はそのコーヒーが嫌いではなかった。
「私は貴方の身を案じて言っています」
良い香りのするカップを私に差し出しながら隊長は続けた。
たまに彼の言葉がやや
ちょっと距離を感じてしまって寂しい気もする。
「さすがに引きどころは分かってるし、彼もさすがに公衆の面前で暴力を振りかざしたりはしないだろうよ」
コーヒーを受け取りながら返すと、しかし隊長はまだ困った顔をしている。
「月のない夜道に気をつけろ、という方向の話をしています」
「ひぇ……」
困った顔で言うことが怖いんだこの隊長は。割とすぐに手が出るし。手を出すのはもっぱら外の人間に対してで、部下やあの二人はもちろん私にもデコピンの一つもくれやしないが。
相対敵対する対象へは「ほかに手段があっただろ」と思う場面でも躊躇なく物理的解決を選択することがある。「何か配慮する必要でも?」とばかりに。
この人畜無害な顔をした小柄な青年は、基本の軸が戦場にあるのだ。戦場へ持ち込めそうな要素があればどんどんそちらへ放り込んでいく。
直接的な手段という意味では、隊長が心配しているアルパカの相棒はもう少し慎重なように見える。
「白い子の方はそうかもしれないけど、彼の相棒が止めてくれると思うんだ」
と、私が言うと隊長はぱたぱたと真っ黒な目を瞬かせた。驚かせたらしい。私はちょっと得意げになる。
なにせこの隊長を驚かせるのは結構難しいのだ。
「貴方がロレンソを信頼しているとは、驚きです」
「君が信じているものを信じなくてどうするの」
素直に返してくる隊長へさらに返してみた。もちろん嘘だけども。べつに私があの赤毛の男を好意的に信頼しているわけではない。
だが、この人は間接的にでも自分の仲間や身内にあたる人を信じてくれる(と態度に示す)人には、ほぼ無条件で信用してしまう。その真偽を図ろうともしない。
それなのに、彼自身を信じているという言葉はあまり響いていないようなのだ。不思議な男である。
隊長は私の言葉にパッと笑った。ひとまずそれでいい。
話題のその男は、自分の脳みそがほかに類を見ない一級品である自覚以上に、自分がたった一人の人間であるという認識を持っているのだろう。
いかに計算処理速度に優れる脳を持っていようと、口は一つで手足は二本ずつしかない。もちろん人を駆使することに長けていて疑似的に手足は増やすことはできるが…… どこまでいっても本体は一つだ。
できることが限られている。自ら選択肢を作り出せる彼でさえ、選べる選択肢は一つだけなのだ。
それを彼自身が誰よりもよく分かっている。
つまり、もし私を本気で消したいのなら奇襲夜襲なんて手は使わない。もっと確実に葬れる算段を持ってくるし、『ナックブンター』を抱えた私を早々葬れるような状況に陥れることは困難だ。少なくとも彼らが被るリスクを上回る利益が現状無いのではないか。
なぜなら、私はこの小さな隊長の少なくない信頼を得てしまっているのだから。
「ありがとうございます。仲間を信じてもらえるのは嬉しいです」
なんて。この人が笑って言うものだから。
あの二人の対策に隊長に取り入ったわけではないけれど、まあ間違った手段ではなかったらしい。どうでもいいけれど。
私の目的はあの二人には関係ないことだし、この隊長でもなかったし『ナックブンター』はただのツールに過ぎない。
どうせ誰がどうこうしても終わっていく世界なのだ。ならばせめて面白いことをしたいしなんなら自分が全部壊してしまいたい。
そうしてなんと、割に現実的な道具が目の前に揃っていた。
本隊の軍備資材・関連各所およびそれらとの優位性と、…… この隊長だ。
私はコーヒーカップの縁を指先で軽く弾きながら続けた。
「でも、もっと君が遊んでくれたらなあ、私も彼らにちょっかいを出さなくて済むんだけどなあ」
「遊ぶと言ったって、貴方だって暇なわけじゃないでしょうに」
いじけてみせるが、隊長は小さな頭を傾げてしまう。私がこうして強請るのは彼をおいてほかにいない。そもそもほかの人間にならもっと確実に有無を言わせぬ手段を講じている。
元来人を困らせるのが好きな性分だ。その性分が発揮されたのが先ほどのアルパカとの流れだったが。
この人とは会話をしたいのだ、私は。きっと。
「いつも忙しいわけではないし、君が遊んでくれるなら調整くらいいくらでもするさ。
ねえ、オフの平日はだいたいここにいるって言ってたけど、オフなんだよね、別にここにいなくてもいいんでしょ」
「まあ、そうですね。ただ書類作業が」
「じゃあオフに入ったら一日付き合ってよ、下町に遊びに行こう。一日だけなんだから仕事の調整はつけてよね」
休日を奪わなかっただけ配慮したと思ってほしい。休日はきっと副隊長や『ナックブンター』の部下たちやあの二人と過ごすのだろうし。
仕事がどうのと言いかけた隊長を押し通すくらいの強さで遮ってしまえば、彼は苦笑いをする。彼から見れば私は年下で、彼にしてみれば年下の子どもが駄々をこねているくらいにしか思われてないだろう。
なぜ駄々をこねるのか、とは考えてない。
「傭兵隊の『マージナル』なんぞと一緒にいて評判を落としても知らんぞ」
ふふ、と珍しく砕けた口調で隊長が返す。あのアルパカを至極可愛がっている人だ、こういう子どもじみた仕草を好意的に捉えてしまう。理論的に話すよりもずっと効果的だ。
「残念ながら、ただの『マージナル』じゃないんだよなあ」
私も笑って返してみれば、隊長は冗談と笑い飛ばした。私は本気でそう思ってるわけなのだが。
懐かれるのが好きというよりは、単純に子どもが好きなのかもしれない。何しろこの人は自分が懐かれようが嫌われようが、その人物自体に対しての評価がブレない。良くも悪くも、だが。
相手が自分をどう思っていようと、彼の感情や評価に影響を与えられることなんて早々ないのだ。
まるで世界から隔絶したところに存在している。
この孤独が、もしかしたら彼が世界を壊す要因になっているのかもしれない。この孤独は作られたものだ。
私が面白いことをしたいと思った動機も、世界中が死んでいく動向も、すべてお前の思考があったからなのかもしれないぞ。
…… なんてこの人に告げたら、一体どんな顔をするのだろう。
あるいはそれを恐れて、アルパカは私をこの存在に近づけたくないのではないか。
アルパカの懸念は間違っていないが、私の心情においてはそれは間違いだ。
「じゃあ決まりね。今回は明日でいい?」
「急だな」
「今日じゃないだけ配慮したと思ってほしいなあ」
しおらしく図太い発言をすると、隊長は「そうだな」とそうは思ってないだろう笑いで了承した。
面白いことがしたいのだ。世界が終ってしまうなら。
この本隊でなら、舞台に相応しい素材を終末の渦中に放り込める可能性がある。
小さな手を連れて煙る硝煙の果てまで行けたらさぞ楽しいだろう。
平凡なコーヒーの香りが空になったカップの底に燻っている。
アルパカの懸念は正しくはない。
私はいま、毒を食らわば皿まで、という気分なのだ。
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