イブニングハイティーを捲る
突然、開発室でお茶会が開催された。
いつものデスクにはダークグレーのテーブルクロスが掛けられ、その上には端末の代わりにクロスと同系色の大皿が並ぶ。サンドイッチ、プロセスチーズにオリーブ、分厚く切られたローストビーフ、そしてトライフルケーキまで絶妙に雑な感じで盛られていた。見る人が見れば、あるいはセンスのある盛り付けになるのかもしれないが、盛り付けていた二人を知ってると狙ってカジュアルにしているというよりも『てきとー』と表現した方がしっくりとくる。
時刻は午後5時を回ったところ。時間帯とメニューからハイティーだろう。労働者から端を発した手抜きティータイム。ならばこの気軽さで正解だ。
小一時間前、本日の作業が完了したところで、珍しくテュコくんが私たちに声を掛けたのだ。
「これから、もうひとりよんで、ここでごはんにするんだけど、もしよかったら」
たべていかないか、と。
実はこれまでも仕事中に突発的なブレイクはたびたびあった。部屋の中に煮詰まった空気が溜まってきたなと思うと、室長がいつの間にか大量の紅茶とスコーンを作成し強制的な休憩が命じられたりする。
紅茶はともかく、いくらズボラスコーンでも紅茶を煮出すのと同時間で作るのは無理だ。おそらくは、彼は薄々といつが煮詰まる日になると察しているのだろう。
我らが室長は言動や思考回路がぶっ飛んでるゆえに『狂人』と呼ばれているが、メンバーのパフォーマンスを維持することにかけては(も?)胸を張って他所へ自慢できる男だ。
ベルガモットの華やかなアールグレイの香りは、煮詰まっていた脳みそをふっくらと和らげる。クロテッドクリームとベリージャムで頂くスコーンほど、紅茶に合う食べ物もないだろう。
そんな強制的なお茶会が開催されることはあったが、『誘われる』ということはこれが初めてだった。
しかもこの開発室で夕食というのだ。
私を含めた同僚たちは一様にキョトンとし、しかして特に断る理由もなかったためか、うんうんと頷いたのだった。
テュコくんは頷いた我々の人数を「ご、ろく、なな……」と数え、私がここに来てから何度もお世話になっている簡易キッチンの方へ「じうにん」と声を掛けながら歩いていく。
現場に残っていた同僚は私を含め7人。簡易キッチンにいるテュコくんと室長2人を除くもう一人が、これから呼ぶという相手だろう。
その相手については概ね予想がついていた。
「お前は飲むなよ」
その一人は、一本のワインボトルを室長に渡しながら念を押した。外見だけ見れば、持ってきた本人も飲んではいけないと言いそうになってしまう。
室長はワインボトルを受け取りしげしげと眺めながらいつもの嘲笑で返した。
「本人が飲めないものを手土産に渡すとは流石だな」
「お茶会というには夜を回っているし、自室ではないようだったから他にも人がいると思ったんだよ」
そう言って、2人が呼んだその人は我々の方を振り返り笑いかけた。「正解だったな」
室長とテュコくんが呼んだ人物は、傭兵隊の隊長の一人だ。
開発室の外でテュコくんが彼を構い倒しているのをよく見かけるが、最初見かけたときは小さな彼が襲われているのではないかと思ったほど驚いた。
あの『死神』が、
襲われているようではないと分かった後は、それはそれで、じゃあテュコくんの趣味なのかとも思ってはいたが。
どうやらそういうことではない、と分かったのは、隊長がこの開発室へやってくるようになってからだった。
「誰かの記念日なのか」
テーブルに並んだ料理を見渡し、隊長は室長に尋ねた。
「いいや」
隊長の質問へ回答しながら、室長は大きなボウルに入っているアイスティーをレードルでグラスに注ぐ。初めて見るアイスティーのサーブ方法である。
アイスティーの入ったボウルは、氷を敷いた更に一回り大きなボウルに入っており、香りが薄まることなく冷たい温度を保てるようにされている。紅茶にこだわりのありそうなことをしている割には、どこの茶葉を使っているのかと聞いたときに、下町で売っているのを適当に使っていると返されてしまった。素材には頓着をしないらしい。
紅茶の色はやや暗い赤色。花の香りだろうか、しかし渋めの風味でさっぱりとする。チーズや肉料理には相性の良い味だ。室長は食事に関するトータルコーディネートが上手い。
「突発的な茶会ってことか」
「どこぞの隊長が最近肉の食いつきが悪いので、環境を変えてみようかと」
「それ本気か」
底意地の悪い笑みの室長に、隊長はびっくりした顔をしてこちらを振り返った。おおよそ、まさか自分のせいで我々が居残りされているのではと考えたのだろう。
幼気に見える顔に『申し訳ない』と如実に現れているので、私はニコニコと笑って手を振った。周りを見てみればだいたい同じようなリアクションだ。それを見た隊長も安堵を浮かべている。
理由はどうあれ私達は望んでここにいるわけで。
個人的にはチームメンバーとの親睦を深めるためと言われるよりも、この隊長のために開催したと言われる方が納得がいく。同僚たちも先ほど私と同じような反応だったということは、おそらく同じ感想なのだろう。
「付き合ってもらってありがとうな。
よかったらあのワインも空けてしまってくれ」
室長へ渡したワインを指しながら、隊長もまたこちらへ笑いかけた。
そうして最後の一人が揃い、イブニングハイティーが始まった。
皿に料理を取っては各々引っ張ってきた自分のワークチェアへ腰掛け、談笑しながら料理を食べる。合計十人分の料理を室長が用意していたことになるが、相変わらずいつ準備をしていたのか分からない。
その室長はテュコくんと隊長と一緒にいる。私は談笑の輪から少し外れた位置に椅子を持ってきた。紅茶を片手に雑誌を開く体制で、三人の会話に耳を澄ませていたかったのだ。
この三人の会話は、それぞれの人物の逸話を知っている上で聞くと別人かと思うほど緩く、そう思って油断していると、ときに鋭い一撃を食らうような、非常に興味深い会話なのである。
「この間、中庭でアルパカと話してたんだが」
予備の椅子に座った隊長は、テュコくんによって膝の上に置いた皿にもりもりと料理を盛られるのを眺めながら話しだした。料理において、基本的に彼に選択権はないのは共通認識らしく、室長はおろか当の本人さえツッコミがない。
「4月23日、アルパカはお前に薔薇を贈るんだってな」
「ああ、聞いたのか。子どもの頃から貰ってるぞ。最近は本数がえらいことになってる」
私は思わず紅茶を吹くところだった。どんなイベントだ。
テュコくんが室長に渡す薔薇を思い浮かべた。『とんでもない本数になっている』薔薇の束を抱えたテュコくんが出てくるので、雰囲気のかけらもへったくれもない。
薔薇の本数によっては意味があると聞くが、テュコくんは知っているだろうか。あるいは店員さんが気を利かせてくれるのかもしれない。
「108本あったときはさすがに確認した」
まさか店員さんも同僚に贈るとは思わなかったかもしれないものな。
すでに事故ってたことに奥歯を噛み締めて平静を装ったのだが、次に聞こえてきた声に決壊を覚悟した。
「かくにんされたけど、いまさらなかんじだったよな」
吹き出す前に私は雑誌を閉じて持っていたアイスティーを呷る。こういう会話は割とよく聞く。対処法は心得ていた。
飲み干したグラスを持ちボウルの方を確認すると、まだたっぷりと紅茶を湛えている。宝石のような透き通った色だ。
室長とテュコくんの間でキョトンとしている隊長は、どうやら108本の薔薇の意味が分からないようだ。「どういうことだ」と二人に尋ねている。
テュコくんがゆっくりと隊長へ答えると、彼は咀嚼の間を空けて素直に笑った。
「なるほど、確かに。 子どもの頃から一緒にいるんだ、今更だな」
屈託のない、至極納得して、それでいて楽しそうな様子で隊長は笑っていた。その空気がまさに室長とテュコくんの関係を示しているようで、聞いている私も小さく微笑んでしまう。
108本の薔薇の意味は、家族になろうという宣言だ。
隊長の肉の食いつきが悪い、と室長は言っていたが、その認識の上で親指の第一関節くらいの厚みを持つローストビーフを拵えてきたのであれば、なかなか鬼畜の所業である。
男性職員には大変好評であったが、私を含む女性陣は仲良く分割させてもらった。
もりもりされた皿の上に一際存在感を放つローストビーフに、隊長も困惑気味である。
「すんごい分厚くないか」
「お前が食べなかった期間分を詰めた設定だ」
「無言の圧力だった」
ちゃんと食べてたじゃん、と言いながらも肉をフォークで突き刺しそのまま齧りつく。切り分けるという発想が無いのは、最後まで責任を持って食べるということなのだろう。
話を聞いている限りだと、どうもこの隊長は職業に対して少食であるようだ。テュコくんと室長の会話にたびたび食事の話が上がるのを聞いていた。通常は何グラムで、昨日は少し少なくて何グラムで、という内容だったから、最初は二人が飼っているペットの話でもしてるのかと思った。
それが実は対人の話だと分かったときには、さすがにちょっと背筋が寒くなったものだ。
しかし当の本人はのほほんとしているし、彼を交える三人の空気は、私が見る限りまるでティーンズのくだらない会話をしているときのそれだ。隊長本人がまさかグラム単位で食事を管理されていることを知らない可能性が高いが、たとえ知ったとしても彼なら苦笑いで終わりそうな気もする。いいのか悪いのか、彼はそういう人物だった。
本隊内において人から逸脱気味の二人にあって、この隊長という存在は
自分で至った結論に自分で心を温めていると、出し抜けに隊長が先程の話題に戻った。
「大量の薔薇はどうしてるんだ」
「食べてる」
戻った挙げ句予想の斜め上を行く回答が返ってきた。せっかく継ぎ足した紅茶を再び吹き出すところだった。
薔薇をそのまま食べてる絵がまた似合うこと。
私と同じように隊長もびっくりしたようで、「どうやって?」と尋ね返していた。
「どうとでもできるが、ジャムにしているな。かなり大量にできる」
「そりゃ108本もあればな」
「こいつがたべようとするから、さいきんはちゃんとかずをきにしてる」
「相棒から貰ったものはなんでも食べたくなってしまうからなあ」
「何でも口に入れちゃうってお前赤ちゃんか」
予期せぬ隊長のツッコミに咽るところだった。言われてみればそうなのだが、室長相手によくその言葉が出てきたものである。
ツッコまれた本人は吹き出すように笑っていた。テュコくんも(私の代わりになんてことはないのだが)咳き込んでいたので、殺傷能力の高い一撃だったようだ。
味や形を確認したいというより、室長のそれは、テュコくんから貰ったものを身に取り込みたいということなのだろう。テュコくんの一部なのだ、感情を贈られているのだから。
ドライフワラーや押し花として外部に保存しておくのは勿体ないと考えるのではないか。
「薔薇のジャムか。おしゃれなことしてるんだなあ」
「おんしつがあったときは、そこではなたばつくってた」
「無農薬栽培してたからな、それをジャムにした」
「あ、そうか、農薬が使われてると危ない」
「むのうやくのばらで、はなたばをつくってくれるおみせがある」
「そんなのあるの?!」
驚く隊長に、テュコくんはゆっくりと頷いた。テュコくんがジャムにされることを前提で準備していることが意外だ。が、「じゃむおいしい」と続いたので至極納得である。
へえ、と頷きながら隊長はテーブルの上を眺めた。
「スコーンとかに乗せるのか」
「ここには持ってきてないぞ」
大量に作ると聞いたからか、今日のジャムにあるのかと思ったのだろう。隊長は肩透かしを食らったような顔で、「そうなのか」と伸ばしていた首を引っ込めた。
そこへ、テュコくんが「あれ?」といった様子で声を掛けた。
「たいちょ、このあいだ、ばらじゃむたべてたよ」
「え」
「せーふはうすで、このあいだ、あさにとーすとたべたでしょ
あのじゃむ、いつもおれとふたりでたべきってたし、わざわざほーむからもってきたんだって、びっくりした」
「え、俺もびっくりしてるんだが」
それぞれにびっくりしているらしい二人は、そこで言葉を切ると原因となっている本人を振り返った。当の室長は二人の様子をニヤニヤと面白げに眺めていたが、自分に視線が来るとにっこりと笑った。
「なんだ、気づいてたのか、相棒」
「めのまえでとりだされればきづく」
「綺麗なピンク色したジャムか。変わった香りがするなとは思ってたけど、あれは薔薇の香りだったのか。
あーーちょっと寝ぼけながら食べてたからよく思い出せん。もったいない」
「気になるならまた出してやるよ。二瓶あるからな」
室長は悔しそうな様子の隊長を可笑しそうに見やり、そう言った。室長の言葉を聞いた隊長は「頼む」と嬉しそうだ。食の細いらしい彼が食べる気になっているなら、二人としても願ったり叶ったりだろう。
と、まとめるには、いささか今の会話は含むところが多すぎた。
私は一通りの料理を盛った皿と、先ほど注いだ紅茶のグラスを持って席に戻った。キューカンバーサンドを食む。マスタードがアクセントに効いており、一口二口と進んでしまった。
紅茶をすすり、ぐるぐると回った頭を落ち着かせる。
ジャムのくだりから聞いていた話を整理してみた。情報量が多いのだ。
セーフハウスについてはひとまず追いきれないので置いておくとして。朝ご飯を一緒に食べたということは泊まり込んだのだろう。それも三人の様子から普段から泊まってそうな空気だ。仲が良いことは知っていたが、初めて知った。
そこまではまあ微笑ましいなと思うくらいなのだが。
二人で食べきっていたジャムを隊長にも出した、と。わざわざ朝にホームから持ってきてまで。前日から持ち込んでいたとしても、たまたま偶然そこにあったから出した、ということではない。
記念日に相棒から貰った薔薇で作ったジャムだ。これまで相棒と二人で食べきっていた特別なジャムだ。それを隊長にも出した意味は特別にあったとはいえないだろうか。
現に、この場所にそのジャムはない。
更に意味深であるのは、特別なジャムであることを隊長本人に言っていないし、相棒が気づかなければ相棒にすら教えることはなかったというのが伺えることだ。
そうして、今の会話からは彼の真意はまったく見えない。
彼らの会話は、隊長がジャムの作り方を質問した流れで進んでしまい、隊長もテュコくんも室長の意図を気にしている様子がない。
今の会話は、ただ綺麗なジャムを寝ぼけながら食べていたという小さな笑い話で終わってしまったのだ。
垣間見えた深い執着のような感情は、見間違いだったのではないかと思ってしまうほど、自然に流れてしまった。
テュコくんはジャムの作り方を話す室長と隊長をじっと見つめていた。彼は、きっとジャムを出した相棒の意図を知っているのではないだろうか。テュコくんはジャムに気づいていた。
テュコくんの視線は柔らかく、どこか昏い。こちらが二人に手を伸ばせば、切れそうなほど冷たい拒絶を受けそうな気がするのだ。
その二人の間で、隊長があまりにのんびりとローストビーフを食べている。
この構図に一度気づいてしまうと、目を逸らせない。次の瞬間、どんなバランスになっているのかが気になってしまうのだ。
「そのままにしておいてくれ。後は片付ける」
私が空になった皿を重ねようとすると、隊長は少し慌てたように駆け寄ってきた。
料理と紅茶、ワインは無事にすべて片付けられ、ハイティーはお開きとなった。アルコールの入ったメンバーはまだ雑談を続けているようだったので、アルコールの入ってない自分が少しでも片付けた方がよいかと手を出したところだった。
大した手間ではないと伝えると、隊長はにこりと笑った。
「付き合ってもらっただけで十分だ。
あいつが自分の職場の人間を誘うなんて驚いたし、誘った人たちが乗ってくれたのが嬉しいんだ」
隊長はそう話してくれた。彼は彼で、あの二人のことが心配なのだろう。
例えば、この隊長がいなかったら、今日テュコくんに誘われたとしても部屋に帰ったかもしれない。
室長のことは研究者としても管理者としても優秀も優秀であると思ってはいるが、『踏み込もう』と思うかといえば否だ。室長がどういう趣味趣向であったって、どんな思想であったって恙無く仕事ができればそれでよい。
それに、そもそものところ隊長がいなければ室長が相棒以外を誘うこともなかっただろう。
「ありがとう」
隊長の申し出に、私は素直に礼を言って皿を渡した。「任せてくれ」と気軽に返してくれるのが気持ち良い。
この人は窓なのだ。
我々から二人を、二人から我々を見るために彼を介している。
まあ、お互い覗いた先にどんな光景を見ているのかは、
(イブニングハイティーを捲る 了)
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