大切なものを守るために part2



「見て、ハルト! お母さんのお腹、よく見たら……!」


「腹……!? 腹がどうした!?」



 ――こんな時に何をどうでもいいことを!



俺は思わずそう憤りながら、改めてララの母を見上げる。



 一糸纏わぬ姿であるせいで、その腹もよく見えるには見えるが、特に何か変わった様子はない。見つめることに申し訳なさを感じるくらい、成熟した女性の普通のお腹である。



「もっとよく見て! あのお腹……妊娠してるんじゃない!?」


「え? 妊娠……?」



 ギョッとしながら、再度その腹へ目を向ける。



 すると、言われてみれば少し、ほんの少し普通よりも腹部が張って出ているような気がしなくもない。



――いや、待て。



 あの腹には、確かに見覚えがある。



 俺が小学生だった時、妹を妊娠していた母の腹を見たことがあったが、あれとそっくりな腹だ。



「ハルト……お願い! お母さんと、お母さんのお腹にいる子どもを殺さないで!」


「――――」



 俺は言葉を呑む。



 覚悟はできていたはずだった。



 ララと、セリアさん、そして街の人たちを守る。そのためなら、どんな非情な決断でもしてみせる、と。



 がしかし、その覚悟が思わず揺らいだ。揺らいでしまった。



 腹の中に、『子ども』がいる。



 俺の妹――結花の笑顔が、目の前にフラッシュバックする。



 ――ダメだ、迷うな! ララを絶対に守る。そう決めたんだろう!



 いや……でも、無理だ。



 迷わないなんて無理だ。



 俺にはできない。



 俺には殺せない。



 腹の中の子どもを殺すなんて――そんな覚悟まではできていない。



「お、おい! 周りを見ろ!」



 唐突、カピドゥスが叫んだ。言われて周囲を確認すると、白い煙が地面から立ち上り始めている。



 蒸気――だが、次第にそこへ煙臭さが混じり始め、ボッ、ボッと小さな火が草や木々の至るところで生じ始める。



「まさか、水の温度を上げて発火させているのか……!?」



 たとえいくら高温になったところで、水が火元になるなんて聞いたことがない。だが、相手は水のマナを操る精霊、常識など通用する相手ではないのだ。



 そんな俺の動揺を嘲笑うかのように、いつの間にか空を覆っていた暗雲の中で雷鳴が響き始める。俺は叫ぶ。



「く、来るぞ! 俺から離れるな!」



 言い終えた瞬間だった。



 周囲が閃光に包まれ、聴力の許容量を越えた炸裂音。



 絶え間なく雷撃が俺たちへと降り注ぎ始め、ララが立っていられないほど空気が、地面が激しく揺れる。



 それに加えて、空に浮かんだ水球から放たれる水と氷の弾丸。



 勢いを増し、周囲の森を呑み込み始める炎。



 ――どうすればいい。やはり俺がここでララの母を、その腹にいる子どもごと殺すしかないのか?



いや、できるかどうかじゃない。やらなきゃいけないんだ。ここで迷うことなんて許されないんだ。



 ララに恨まれてもいい。



 捨てられてもいい。



 いつか死んだ時、地獄に墜ちても構わない。



 俺はここで、殺さなければならない。



 俺の大切なものを守る、そのために。



「おい、カピドゥス! 俺の《属性紋》がまだ働いてるうちに、その鎧を兜以外すべて脱げ!」


「な、なんだって!? 今なんと言った!?」


「鎧を脱げと言ったんだ!」


「な、なぜ鎧を……? お前はワシに死ねと言うのか!」


「逆だ! むしろ死にたくなかったら早く脱げ! 脱がねえなら、今ここで俺がテメエを焼き殺すぞ!」


「は、はいぃ!」



カピドゥスは素晴らしい返事をして、護衛の手を借りてフルアーマーの鎧を脱ぎ始める。



「よし、脱いだらそれを人が寝ているように地面に並べてくれ! ついでに剣もだ!」



 護衛のマージは怪訝そうな顔をしながらも、ベルトを外して脱がせた鎧の部位を地面に並べていく。



「ララ、俺を鎧の頭の位置に置いてくれ! それから、鎧が衝撃で飛んでいかないように押さえていてくれ!」



 精霊の攻撃は止まることを知らず降り注ぎ続けている。そのせいで並べた鎧が弾んでズレてしまっているのだ。



「え、ええ。でも、何を……?」


「全て脱いだぞ! これで一体どうやって助かると言うのだ!」



 ステテコパンツと鎖帷子という姿になったカピドゥスが、地面に這いつくばって頭を押さえる。



「ララ、早く!」



 言うと、ララは慌てた様子で俺を指示どおりの場所に置く。



 よし――



 俺は神経を研ぎ澄ます。



 神経を研ぎ澄まして、鎧に流れるマナの気配を探る。



 不思議と周囲の轟音が気にならない。



 感じるのは、鎧に――『俺の身体』に触れているララの手の感触だけだ。



「これって……」



 鎧の表面、足先と手先へと向かって木の根のように伸びていく黒い紋様。いつもは俺を被ったララの肌に表れているそれを見て、ララが驚きの声を漏らす。



――大丈夫だ。行ける。



 俺は『神経』の通った拳を試しに握りしめ、それからゆっくり上半身を――鎧の肉体を起こす。



「アンタ、こんなことができたの……?」


「いま初めてやってみたが、マナが込められたいわゆる『魔装具』なら、俺と『同期』することが可能なはずだとは思っていた」



足も、手も問題なく動く。まるで、また肉体を取り戻したような気分だ。



 兜という身体になって解った。手足を自由に動かせるということが、どれだけ幸せだったかということが。

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