ここは天国か? part1
五、六メートルほどの石造りのトンネル(おそらくは門だろう)をくぐると、急に周囲の音が賑やかになった。
すれ違う馬車の蹄と車輪の音。
人々の賑やかな話し声。
どこからともなく漂ってくる食べ物の――人々の生活の匂い。
カゴの隙間からも、行き交う人々の姿が多く見える。
どうやらララの言う通り、このサーマイズという街はこの地方の中核的役割を担う街らしい。
コツコツと石畳の上を歩くララの足音からもそれを感じつつ、流石に街中で喋るわけにもいかないのでじっと黙っていると、
――ん? 着いたのか?
ララがピタリと足を止めた。
それでそう思ったのだが、その矢先、何やら不穏な会話が聞こえてきた。
傍にある家の中から。若い女性一人と、ガラの悪そうな男二人の声。
「ですから、そのようなことを急に言われても……」
「しょうがねえだろ? カピドゥス様が言ってるんだから、お前は大人しく従うしかねえんだよ」
「ですが、今月の支払い分はちゃんと納めたはずですし……」
「だから言ってるだろ。別に払えないなら払えないで構わねえんだ。他にやりようがあるんだからよ」
「はあ……」
「まあ、待ってやって三日だな。三日経って何もできねえようなら、また来るぜ」
ヘヘヘ、と粘り着くようなイヤらしい笑い声。そして、すぐ近くで扉の開けられる音。すると、
「よお、ララじゃねえか――って、今日はゴミ拾いか? 流石は冒険者、精が出るねぇ」
男はイヤミたらしく言って、その連れと共にどこかへと去っていく。
「ララ、アイツらは……?」
「…………」
ララは何も答えず、悔しさを押し殺すようにその場にじっと佇む。
だが、やがて決意したように踏み出し、開けっぱなしにされていた扉から中へと入る。
すると、ほんわかした暢気な声で、
「あら、お帰りなさい。ララちゃん」
「セリア姉、なんでヤツらがまた来てるの?」
詰問するようにララが問う。けれど、その返事はあくまで暢気だ。
「さあ、どうしてなのかしらね……? 今月分の上納金はちゃんと払ったばかりなのに……。もう受け取ったことを忘れてしまったのかしら?」
「そんなわけないでしょ! っていうか、セリア姉! なんであんなヤツらにお茶なんか出してるのよ!」
「だって、いつかはこの店のお得意様になる人かもしれないし……」
「なるわけないでしょ! あんなの、ただのどうしようもないゴロツキよ!」
「そうか。やっぱりそういう怪しい連中か」
「あら……? 今、なんだか男の人の声がしたような……?」
はあ、とララは重く溜息をついて、
「こんな大変な時に、なんでアタシもこんなの拾って来ちゃったんだろ……」
背中からカゴを下ろし、俺を指でつまみ上げる。
「いま喋ったのはコイツよ。――ほら、セリア姉に挨拶しなさいよ」
「あ、ああ、初めまして、えーと……セリアさん。俺、ハルトって言います。よろしくお願いします」
「あらあら、これはご丁寧に。変わった格好をしているんですね」
そう言って、雑貨店らしき店のカウンターの中から出てきたのは、これぞ紛うことなきエルフ族の女性であった。
白い肌、腰ほどもある金色の長い髪、空を映したような青い瞳。母性を感じさせる柔和な顔立ちと、そして何より、その『巨大』とも言える胸のふくらみ……。
だが、しかしよくよく見ると、
「あれ……? セリアさんはエルフでは――ララのお姉さんではないのですか?」
その耳が、ララのように尖っていない。髪から覗いているのは、ただの小さくてかわいらしい耳だ。
「ええ、違いますよ。わたしたちは、ええと……姉妹のような幼なじみ、という感じかしら?」
「まあ、そんな感じじゃない?」
セリアさんの視線を受けて、ララが髪についた汚れを気にしながら言う。
なるほど、と改めて二人を見比べる。
確かに、あんまり……というか全然、似てないな。
金髪のセリアさんと、黒髪のララ。
タレ目気味のセリアさんと、ツリ目気味のララ。
お淑やかな雰囲気のセリアさんと、ツンツンと生意気な雰囲気のララ。
豊かな女性的ふくらみをお持ちのセリアさんと、『ささやか』なララ……。
ほとんど何もかもが対照的だ。
「っていうかセリア姉、コイツのこと受け入れるの早すぎじゃない?」
「そうかしら?」
キョトンとしたような顔をするセリアさんに腹を立てたように、ララは入り口脇に置かれていたイスにドスンと腰掛け、
「そうよ。コイツを拾ってきたアタシでさえ、まだ混乱してるんだから」
「『拾ってきた』? どこかの魔道具屋さんで買ってきたのではないの?」
「それが違うのよ。まあ、話すと少し長くなるんだけど――」
そう前置きして、ララはここまであったことをセリアさんに話し始める。
俺がどこからともなく川を流れてきたこと、急に喋り出して驚いたこと、どうやら前世では人間だったらしいこと、大グモに襲われたが、様々な魔法を使いこなす俺に助けられたこと……。
まあ……! とセリアさんは目を丸くしながら口元で両手を合わせ、
「じゃあ、ハルト君はララちゃんの命の恩人ということ? それはちゃんとお礼をしなくちゃ」
「え? いえいえ、そんな。困っている人を見つけたら助けるのは、人として当然のことですよ」
「お優しいんですね、ハルト君は……。でも、やっぱり何かお礼を……」
「ハハハ。本当に大丈夫ですよ。セリアさんのような美しい方に感謝してもらえれば、それだけで充分すぎるほどです」
ララがなぜか拗ねた子供のような顔で睨んでくるのを横目に見つつ、俺はふと思いつく。
「ああ、じゃあそれなら、俺に自分自身の姿を見させてはもらえないでしょうか。この姿になってから、俺は自分を見たことが一度もないんです」
「まあ、可哀想……」
セリアさんはそう顔に慈悲の色を浮かべて、色々なモノで汚れた俺の身体を躊躇いなく両手で持った。
そして、基本的に石で造られている年期の入った家を二階へ上がっていって、どうやらセリアさんの寝室らしき部屋にあった姿見の前に立った。
白いワンピースの上にベージュのベストを着た、オーソドックスな町娘風の服を着た美女――セリアさんに思わず目が行ってしまうが、我に返って自分へと視線を向ける。
「これが……俺?」
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