出会い。そして――



 地面に落ちる直前、空気の塊を衝撃波のように放出する風属性の魔法を放ち、そのおかげで落下の衝撃は驚くほど軽減できた。



――そうか、やっぱり俺、あのとき死んじまったんだな……。



 ドングリのように斜面をごろごろ転がって、そのまま川にぼちゃんと落水。



 ――それにしたって、なんでこんなことになってるのかは全く解らないが……。



 ぷかぷかと川を流されて、気づくと巨大な魚に丸呑みされ、《レビテーション》と電撃魔法の《ライトニング》を駆使してどうにかその胃の中から脱出し、と思うとゴブリンの群れ(ゴブリンだ!)に拾われて、虐められ、被られ、囓られ、舐められ、燃やされて、どうにか早く飽きてくれることを待ってはみたが、いい加減に頭にきて《ファイア・ボール》で全員を追っ払い、と思うと今度はイノシシに似た動物に咥えられて川の傍へ運ばれ、その後やってきたトラのような動物とイノシシの戦いに巻き込まれて川に落とされ、どんぶらこ、どんぶらこと緩やかに下流へ流されていく。



 それからもかなり色々似たようなことがあった気がするが……もう何も憶えていない。憶えていたくない。



 ――ここは……地獄か?



 泳ごうと思えば魔法を使って泳げるのだが、もうその気力もない。



鼻などどこにあるのか解らないが、自分がいま異常な体臭を放っていることはイヤでも解る。



 魔物と動物の体液、そして全身に絡みついた藻やら何やらの生臭さが相まって、俺自体がもはや悪臭を放つモンスターだ。



 ――わたし、汚されちゃった……。



 そう涙して孤独に川を下りながら、俺は青空に浮かぶ夏の入道雲を遠く眺める。



 ――結花も……今どこかで俺と同じような目に遭ってるのかな……。俺が守ってやれなかったばっかりに……。



 もしそうだとしたら……どう謝ればいいのか、言葉も見つからない。どうか俺とは違って、ただ安らかに眠ってくれていますように。そう願うことしかできない。



 俺もこれから海まで流れて、やがては錆びて崩れて、意識も失われていく……ことができるのだろうか。マグマの中でさえ無傷だった俺が。



 ――俺は……一体どこへ行くんだ?



 そうただ不安を反芻しながら、幾日も川の流れに揺られ、転がされ、やがて意識が緩慢になり、昼と夜の区別も曖昧になり始めた頃だった。



「何これ、汚っ……」



 かつん。



 俺の身体の中に何かが引っかかる。ざばっと川の中から持ち上げられた。



 ――なんだ? 



 考えることすらやめていた俺は、何日ぶりかに心を開く。すると、



エメラルドの宝石――



 いや、間近からこちらを見つめている、透き通った瞳と目が合う。



「うげっ」



 少女はそう嫌悪の表情を浮かべて、その可愛らしい鼻をつまんだ。



 エルフ――



 俺の目が正しければ、エルフ族の少女だった。



瞳は澄んだ緑色で、やや短めで垂れ下がってはいるが、その耳はまさにエルフらしく尖っている。



髪は、墨を流したような漆黒。



 それだけは俺の知っているエルフと明らかに違ったが、腰ほどもあるその長い髪は絹糸のように輝き、雪のように白い肌とのコントラストが美しい。



 見た目的には……年は十五、六歳だろうか。



 目は少しつり上がり気味で気の強そうな感じはあったが、かわいらしく整った顔立ちのために、まるでネコのような愛らしさがある。



 だが、その可愛らしい顔は今、ゴキブリの死体でも見ているように歪んで、嫌悪の色さえ浮かんでいる。



「正真正銘のゴミね……。こんなの、ギルドの男たちでも買わないかも……」



 どうやらここは森の奥深くで、周りには誰もいない。ボソリと独り言を言って、少女は枝に引っかけていた俺を川へ放流しようとする。



「お、おお、おい! ま、待ってくれ!」



 声を出すのが余りに久しぶりで、思わずどもってしまった。



「俺はゴミじゃない! 俺を捨てないでくれ!」


「ヒッ!? えっ……な、何!? 誰っ……!?」



 少女は俺を地面に落とし、腰の剣に手を掛けて周囲を見回す。



 ワイン色のシャツに、引き締まった太ももが露わになっている茶色のホットパンツ。そして、皮の胸当てと黒いロングブーツ。



 可愛い顔には似合わない格好だが……そういえば、さっき『ギルド』って言ってなかったか?



この格好に加えて、『ギルド』という言葉……。



 もしかして、この少女は冒険者――いや、『エルフの美少女冒険者』なのか?



 エルフ。



 美少女。



 そして冒険者。



 なんと甘美な響きだ。



 その言葉だけで、思わずトキメキを感じずにはいられない。『運命の出会い』であることを期待せずにはいられない。



「俺だ! 俺はここにいる! 今あなたが助けてくれた兜です!」



 えっ? と少女はビクリと小さく飛んで俺から距離を取る。



「な、何……? このゴミが喋ってるの?」


「失礼な! 俺はゴミじゃない! 俺はれっきとした人間――ではもうないかもしれないけど……でも、やっぱり俺は……!」


「な、なんか一人で喋ってるし……。気持ち悪っ、やっぱここに捨ててこ」


「おい、待て! い、いや、待ってください! お願いします! 俺を捨てないで!」



俺に背を向けて沢を登っていこうとする少女を必死で呼び止める。



「頼む! また川を流離うのはイヤなんだ! もう二度と誰とも話せないんじゃないかって……そんな孤独に怯える日々はイヤなんだ!」


「…………」



 少女は不審物を見るような目でこちらを振り返る。



「ど、どうか心からのお願いだ。とりあえず話だけ聞いてくれ! 俺は人間なんだ、本当に!」



 そう言って俺は、俺がここへ流れ着くまでにあったことを一方的に少女に話した。



涙ながらに俺が語る話に相づちを打つこともなく、少女はずっと怪しむような目で俺を――川辺に転がっている俺を見下ろしていたが、俺がひと通り話し終えると、



「うーん……?」



 と顎に手を当てて、



「きっと、人を騙す魔道具か何かよね……これ? やっぱり持って帰ろう。売ったら高いかもしれないし」


「お、おい、待て! 俺の話を聞いてたのか!」


「何よ、うるさい道具ね。聞いてたわよ。本当は別の世界の人間で、死んだ直後にこの世界に来た? それで、気づいたら兜になって店で売られそうになってて、客の男にマグマの中に捨てられた? 何よそれ? そんな作り話を真に受けるのなんて、余程のバカだけよ」


「作り話じゃない! 本当なんだ! 頼む! お願いだ! なんでもする! 本当になんでもします! ドアのストッパーでも文鎮でも、なんでもやりますから! お願いですから俺を家に連れて行ってください!」


「はぁ?」



 放置された残飯を見るような目。



「なんでアンタみたいな怪しいのを家に入れなくちゃいけないのよ。イヤに決まってるでしょ、そんなの」


「そ、それは……それは解る! 怪しいと思うのは解るけど、どうかお願いします! どうか……どうか俺を見捨てないでくれ! きっと役に立ってみせるから!」



 もう二度と、あんな先の見えない孤独はイヤだ。それに、エルフに拾って貰えるというこのチャンスを逃すわけにはいかない。俺は情けなくても必死にすがる。



「役に……? アンタがどんな役に立つっていうのよ」


「あ、ああ、これは言ってなかったが、実は俺は最強の兜らしい」


「最強?」


「ああ、なんでも《学習》の能力があるらしくて、俺を被った人が習得してる魔法を一瞬で俺も習得できるし、俺に向かって放たれた魔法も防御しながら習得できるらしい。つまり、俺はお前を完全に守りながら、敵に攻撃もしてやれるわけだ」


「……そんな魔道具があるなんて聞いたことないわよ? っていうか、自分のことなのに『らしい』ってなんなのよ」


「俺は元々こんな身体じゃなかったんだ。自分でも自分のことがまだよく解ってないんだから、しょうがないだろ」



じゃあ、とララは俺のツノの先をつまんで、川辺をカサコソと歩いていたヤドカリのような生き物の上に被せた。



 俺はどんな相手にもジャストフィットするという『形状記憶』の性質があると聞いていたが、相手がこうも小さいとその効果は出ないらしい。



だがそれでも、ヤドカリの殻が微かに俺の身体に当たった瞬間、



『黒魔法』



 眩い白光が俺を下から貫いた。



「《マナ・エクスプロード》……?」


「へえ……本当に解るんだ。ロック・クラブだけが使う変な力なのに」


「これは……どういう魔法なんだ? いや、なんとなくどういうものなのかも解ってはいるんだが……念のために説明してもらってもいいか?」


「簡単に言えば、『身の危険を感じたら、溜め込んでる魔力を爆発させる魔法』かしらね。



 それを受けたら、物理的に影響はないけど、しばらくは魔法が使えなくなるくらい、その人の意識と、その人の持ってるマナが吹き飛ばされちゃうのよ」



「じゃあ、マナで命を兜に繋ぎ止めてるような俺がそんなのを使ったら、命ごと吹き飛んでいっちまうんじゃないのか?」


「かもね。でも、まあ別にいいんじゃない?」


「いいわけがあるか! こんな姿でも俺は一応、人間――」



 ん? と俺は言葉を途中で切り、心の耳を澄ます。



「……誰か、こっちに走ってきてないか?」



 ほぼ同時、少女もその長い耳で何か感じていたらしい。音のする方へ鋭く目を向けて、



「二人……かなり息を切らせて走ってるみたい」



 そう言うと、足下にあったカゴに俺を放り込み、それを肩に掛けて、足音のほうへ駆け出した。



カゴの中には、黒く焦げたような岩がゴロゴロと入っている。



 鉱物の採集でもしていたのだろうか?



 そう気になったが、今はそれよりも不審な足音に注意するほうが先だろう。

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