Yahoo!チャットデーモン

 スマホを風呂に持ち込んでNetflixでフランス映画を見ていると、少女がドア越しの男に部屋へ入れさせてくれと、泣きそうになりながら懇願するシーンで、LINEメッセージの通知がその懇願の邪魔をして、中学時代の同級生からの連絡だった。ひさしぶりの連絡、というよりも連絡先を交換した覚えもあまりないのだが、同窓会を開くから来ないかという話だった。本心ではめんどうな誘いなので断りたかったのだが、古い友人関係を続けることが長い人生の中では大事だとネットの記事に書いてあったのを思い出し、返信に悩んだあげく出席することにした。同窓会といっても大人数が集まるのではなく、地元から上京している者だけを集めた内輪の会ということで、参加者を聞いてみると、中学時代もそれなりに仲が良かった人たちが参加するらしく、そこそこに楽しみだった。

 同窓会当日の日曜日の夕方は、集合時間の十五分前に会場となる居酒屋の前に到着してしまったので、手持ち無沙汰になって周囲を散策していると、知っている顔が三人連れでやってきた。近づいていくと相手方もこちらを視界の中に認め、顔を見合わせてみれば、久しぶりに旧友たちに会えたことが嬉しくてたまらなくなる。今何をしているのかだとか、どこに住んでいるのかだとかといった話題で止まらなくなり、何はともあれ店に入ろうと切り出した。集合時間が来るまでにぽつぽつと人が集まって、最終的に十二人が集まった。予約された座席はテーブルを囲んだ掘り炬燵の個室で、飲み物の注文が終われば雰囲気は一気に楽しくなり、全員が中学時代に戻ったかのように語り合った。話題が一巡して落ち着くと、ひょんな言葉をきっかけにしてYahoo!チャットの思い出話が飛び出た。Yahoo!チャット、今でこそすっかりその存在を忘れていたが、相当ハマっていた過去の記憶がありありと思い出される。中学生当時、Yahooメッセンジャーというメッセージアプリがあり、その中にチャット機能であるYahoo!チャットというものがあった。偶然にもその場にいたほとんどのものが、Yahoo!チャットでチャットに興じたメンバーだった。Yahoo!チャットでは「科学」や「家庭と住まい」といったカテゴリ分けされた公式のチャットルームと、ユーザーが自由に作れるチャットルームがあり、部屋を作ってはみんながそこに集まった。タイピングが早く、文字をすぐに打ち込める人がチャット部屋での話題をリードし、タイピングが不慣れな人は他の人が話しているのを眺めているような感じだった。今となってはタイピングが遅いせいであまり話についてこれなかった人には申し訳なく思うが、当時はそんなことも気にかけずとにかく文字を打ち込んで面白い話をすることに夢中になった。たまに知らない人が入ってきては会話に混ざって、盛り上がったり盛り上がらなかったりしては部屋を出ていった。

 そういえば突然チャットに来なくなったよね、と聞かれた。思い出した、そうだった。自分はタイピング速度が早く、わりと会話の中心にいて、チャットをおおいに楽しんでいたのだが、あることをきっかけにYahoo!メッセンジャーを開かなくなったのだ。あまり思い出したくないことのように思えたが、この場でごまかして話題が興ざめしてしまうのもいやだった。

「おれらの部屋に、なぜかいつもいる人、いたじゃん?」

「あー、なんかそういう人いたかも」

「いたいた、あの話さない人ね」

「それってチャットデーモンのことじゃね?」

当時チャット内にいたその人のことを、コンピュータの常駐しているソフトの呼び方にちなんで誰かが茶化してそう呼び始めた。その人は発言することもないので、ほとんど話題に上がることはなかったし、人間ではなく、ほんとうにコンピュータプログラムなのではないかと思っているものもいた。

「そう、その人にさ…」―――。


 ―――その当時、チャットの部屋を作るのはじぶんの役目だった気がする。部活に疲れて家に帰り、夕飯を食べて自分の部屋に戻れば、すぐにパソコンを開いてチャットルームを作る。誰かに頼まれたわけでもなかったが、そうすることでみんなをまとめ上げているかのように思えて誇らしかった。いつからか、部屋を作った直後にチャットデーモンこと”いつもいる人”が入ってくるようになった。だいたい部屋を作る時間は同じだったし、部屋のカテゴリも同じ場所に作っていたから、みんなは自然と集まってくることができたけれど、その人は部屋を作ったまさに直後に入ってくるのだから、部屋を作るたび不思議に思った。

 ある時、リプトンの紙パックのミルクティーを初めて飲んで眠れなくなったことがあった。お茶やコーヒーを飲む習慣がなく、それまで牛乳ばかり飲んでいたので、初めて飲んだカフェイン飲料は刺激が強く、さらにその時は二パックも飲んでしまったので、夜中まで寝苦しくて眠ることができなかった。深夜二時を回っても眠れることができず、諦めて部屋の照明をつけて気晴らしに遊ぼうとパソコンを立ち上げた。ふと、なんとなく、こんな深夜に誰かが入ってきたらおもしろいだろうと思って、Yahoo!チャットの部屋を作成してみた。誰も来ないことだろうとは思ったが、なんとなくの遊びのつもりだった。すると、なんと、いつもいるあの人が、自分を追いかけてくるようにして部屋に入ってきたのだ。

この人は、一体、何なのだろう。

もしかして、自分が部屋を作るのをずっと見張っているのだろうか。一体何者なのかを確かめようと、話しかけてみた。

「いつもいますけど誰なんですか? 」

返事が来るのを待つ。二人しかいない深夜のチャットルーム、チャットのログが流れない、画面を通してじりじりとしたきまずい時間が流れる。返事はなかった。さらに質問をしてみようかと考えていると、画面に相手からのメッセージが表示された。

「いつもいますけど誰なんですか? 」

なんなんだ、この人は、オウム返しをしてきて、こちらをからかっているのだろうか。この人が初めてメッセージを送信しているところを目撃したが、相手の真意が掴めない。

「部屋を作るといつもすぐに入ってきますけど、どうやってるんですか?」

一番気になっていたことを聞いてみる。今度はすぐに相手のメッセージが表示されたが、しかし返ってきたのは同様に文字をコピペしただけの、オウム返しだった。

「部屋を作るといつもすぐに入ってきますけど、どうやってるんですか?」

馬鹿にされたと思い、頭にきた。すぐに相手を避難するメッセージを打ち込む。

「真似するのやめろ」

「真似するのやめろ」

ん?

おか、しい。

相手のチャットのログが、自分よりも、先に、表示されている。

チャットは送信した順に、表示されているのだから、これでは相手が先に書き込んだことになってしまう。

こちらが書き込む文章を予想して書き込んだとでもいうのだろうか。

なにか、変な、ことが起きている気がした。

これ以上、この人と関わるのはやめた方がよい気がした。部屋を退室しようとマウスを動かしたが、画面の文字を見て、一瞬マウスを持つ手が固まった。

「い」

い?なんなんだろうか、一文字だけ送られてきたその文字を見て、よくないことが起こる気が、これ以上チャットを続けるのはまずい気が、していたけれど、次に送られてくる文字が気になって、それを見ないことにはチャットを退室することができなかった。続きの文字がゆっくりと、数秒間隔で画面に表示される。「つ」「も」「み」「て」「る」。「いつも見てる」相手はそう言ったのだ。これ以上はここにいられないのと思い、部屋を退室し―――。


―――パソコンをシャットダウンした。ずっとふざけた話をしていたみんなが、この話をしている時だけは静かに耳を傾けていた。嘘だ、と囃し立てることもなく、みんながこの話を信じている雰囲気があった。そういうことがあって、部屋を作るとその人が来るようで、気味が悪くなってしまい、それからはYahooメッセンジャーを起動することはなくなってしまったのだった。一瞬静かになってしまったが、すぐに話題は明るいものに変わり、それからは同級生の馬鹿話や誰と誰が結婚しただのといった地元の噂話が続いた。次の日は月曜日だったので、十一時になる頃には名残惜しくもお開きとなり、どの路線で帰るのかというのをそれぞれが確認して、なんとなく数人ずつバラバラになって帰途についた。その日は同窓会が楽しかったということに浸りながら眠りについた。


月曜日、仕事が終わって自宅に帰り、いつものように風呂で映画を見ているとTwitterに通知が来ていた。フォローしていない人からDMが届いているようだった。

「き」

き?なんだろう、スパムメッセージだろうか。送り主のデフォルトのまま変更をされていないTwitterのアイコンを押して、プロフィール画面に飛んでみたがそこには何も書かれておらず、情報は得られなかった。再び通知が来ている。DMの画面に戻ってみると

「の」と一文字届いていた。

さらに、そこから一連の文字が次々と送信されてきた。

「う」

「お」

「れ」

「の」

「こ」

「と」

「は」

「な」

「し」

「て」

「た」

「な」

「い」

「つ」

「も」

「み」

「て」

「る」

Yahoo!チャットで送られてきた、

あのメッセージの不気味な感覚がよみがえり、

DMを送ってきたアカウントをブロックし、

それでも不安は消えなかったので自分のアカウントを、

消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る