第20話

食器を下げに本邸へと向かいながら、お嬢様のあの言葉が深く胸に刺さっていた。


『……わからない、なにがすきなのか。……でも、きょうのしょくじはあったかくて……』


六歳にもなれば好き嫌いははっきり出てくる、それが分からないなんて。


食事が温かいとも言っていた。つまり今まで温かい食事を口にしたことがないということなのか?確かに本邸で調理された食事は、運ばれる頃にはすっかり冷めていたが、そうするものだろうと思って深く考えずに、料理の形を崩さないように気をつけながら料理を温め直すことを、今まで誰もしていなかったことになる。


よくよく考えてみると、お嬢様はいつからああして薄暗い部屋で独りぼっちで冷たい食事を……いや、食事だけじゃない。生活の全てをあの場所で過ごしているんだろう。


「おっ、新人ちゃんじゃん。難しい顔してんなぁ」


その声にはっとなって顔を上げると、見知らぬ男性が立っていた。同い年くらい……いや、リリアの年齢で考えると歳上になるだろう。コックの制服を着ている。ふわふわとしたゆるいパーマがかかった赤毛が特徴的で人当たりの良い笑顔を浮かべている。


てっきり厨房についたのかと思って周りを見たら様々な物品が大量に置かれた備品倉庫らしい場所にいた。


どうして……


考え事をしているうちにまったく違う場所に行き着いていることに、絶望した表情を浮かべていると男性がぶっと吹き出す。


「アハハッ、表情分かりやすっ。お皿下げようと厨房に向かったけど、迷ったってとこ?ちなみに、ここ真反対の場所だからね」


全てを見透かされ、ひぃと恥ずかしくて縮こまっていると、


「ついておいで、ちょうど俺もこれ持って厨房に戻るところだから。」


ひょいっと倉庫から木箱を抱きかかえて、通路へ出る。


「あっ、ありがとうございます……!」


一人では絶対ここから厨房まで辿り着けないので本当にありがたい。慌てて後をついていく。


「俺は、アッシュ・フローレス。まぁ気軽にアッシュで呼んで。見ての通りだけど、ここで料理人させてもらってるんだ。」


「私はリリア・ディミローです。今日からこちらでお世話に……えっ、というか料理人ということは今日の料理もアッシュさんが?」


「料理人だからねぇ」


「すごい……あんな美味しい料理を作れる方にお会い出来て、まさか道案内までして頂けてるなんて光栄です!あー!握手してもらいたいけど手が塞がってる!なんであんなに美味しく作れるんですか?どこかのお店で修業されてたとか??」


歩きながら続けざまに質問をぶつける私にアッシュはまたおかしそうに吹き出す。


「元気良いねぇ、そんなに美味しいって言ってもらえて嬉しいよ。俺にはねぇ、料理のお師匠さんがいて、その人から教わったんだよ」


そうだったんですね!と興奮しながら頷きながら、料理を任せられているポジションにいるこの人なら、何か知っているだろうかと思い切って聞いてみる。


「あの……、お嬢様のことなんですけど。アッシュさんは何かご存じですか?」


神妙な表情を察したアッシュは、んー……と少し考えるような素振りを見せ、


「リリアちゃんはお嬢様について、どう聞いてる?」


と逆に質問で返されてしまう。


「ええと、年齢は六歳の大人しい方で、お部屋にこもっていると伺いました」


「で、実際にお会いしてどうだった?」


「……直接お姿を見たわけではないですが大人しいというよりは、自分を抑えていらっしゃるような感じがしました。何よりまだ幼いお嬢様があんな暗いお部屋でお一人なのが心配で……」


話しているうちに気付けば見覚えのある厨房へと続く通路までやってきた。


「おっとごめんね、俺仕込みしなきゃいけないんだ。俺もそんなに詳しいわけじゃないけど明日の、そうだなぁ……休憩の時間にでも話せる?」


「はい!あ、夕食ごちそうさまでした!お皿はどちらにしまいましょう?」


「あ、じゃあここに置いといてもらおうかなぁ。ここからは帰れる?」


冗談めかしに聞かれるので、ぐっと親指を立てて大丈夫です、と得意げに頷く。


「ではまた明日!」



ちょっと冗談で言ったのだが、大丈夫です、と何の心配もいりませんと言わんばかりの得意げな表情が逆に心配になってしまうが、仕事もあるので颯爽と帰っていく彼女の背中を見送るしか出来ない。


ふと食器を見ると、一緒に歩いている時には気付かなかったが既にきちんと洗い終えられていた。


今までお嬢様に仕えていた侍女たちは、いつも食べ終わったままの状態で返ってくるならまだ良い方で、わざわざ厨房に手ぶらで来ては食器を下げて頂戴、と言う手間があるなら持ってきたら良いんじゃないか?なんて、大事に育てられたお嬢様方に言っても仕方ないことだと、諦めていたのだが……。


あんな嬉しそうに美味しいと絶賛され、いつぶりだろうか、『ごちそうさま』なんて久しぶりに聞いた。


それにお嬢様のことを気にかけているような様子だった。今までの気味悪がっていた侍女たちとは違う。


「リリアちゃん、か……。変わってるなぁ」

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