第21話
話は数年前に遡る。
ラナンキュラス家の当主ヴァリアーノには、最愛の妻がいた。貴族同士の結婚に愛など必要なかったが、幸運にも二人は互いを慈しみ愛し合っていた。
社交界でも仲睦まじい夫婦は憧れの的であった。
しかし二人の関係は、いとも簡単に壊れてしまう。
一人娘の誕生である。
男子ではないとはいえ、本来喜ばれるはずの子どもの誕生が悲劇をもたらした。
娘の誕生と引き換えに、最愛の妻はその直後に息を引き取ってしまったのだ。
ヴァリアーノはそのショックからまだ赤ん坊の娘さえ拒み、視界に入らないように別邸へと追いやった。
別邸では元々妻に仕えていた侍女が世話をしていたが、侍女は何故かいつもひどく怯えたような様子で、本邸でも誰とも話そうとせず、いつの間にか姿を消していた。
いつからか娘が呪われているのでは、と囁かれるようになり、誰も別邸へは近寄ろうとせず、娘の顔を知る者さえいなくなった。
古くからラナンキュラス家に仕えているギィシアだけが世話を欠かさなかったが、男の身であるため手が足らずに侍女を探してきても、薄暗い部屋で閉じこもっている娘を気味悪がって誰も長続きしない……といった状態で今に至る。
「……っていうのが、俺が聞いた話ね」
向かいあって座るアッシュは話の溜飲を下げるように、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干して話を締めくくった。
「……大丈夫?これ使って」
ポケットからハンカチを取り出し、手に握らせてくれる。所詮昨日来たばかりの分際でしかない私が、泣くのはおこがましいと分かってはいるのに、母親のぬくもりを感じることもなく、父親から拒絶された天蓋越しに見えた小さな影のお嬢様を想うと、胸が苦しくて涙が止まらなかった。
なかなか泣き止むことが出来ない私の背中をさすって、気を紛らわせようとアッシュは明るい口調になる。
「でも昨日は嬉しかったなぁ、お嬢様全部召し上がってくれてたんでしょ?いつもほとんど手つかずで戻ってくるから」
その言葉にずずっと鼻をすすり大きく頷く。
「うぅ……そう、そうなんです。私も嬉しくて……。でもまだあんなに幼いのに、好きな食べ物が分からないって仰ってたのが心苦しくて……」
あの時のお嬢様の戸惑った声色を思い出し、またうぅと情けない声を出して泣いてしまう。
「よーしよし、リリアちゃん涙もろいなぁ……んー、でも完食してたってことは、なんか好きな食材でもあったのかな……。お嬢様は他に何か言ってた?」
「あっ、温かいと言ってました……」
アッシュは不思議そうな表情を浮かべる。
「温かい?」
「厨房からお嬢様のお部屋まで結構距離があるので、その間にせっかくの料理が冷めてしまっていたので温め直してからお出ししたんです」
「あー、なるほど……。そこまで考えが及んでなかったなぁ。本当に申し訳ない」
急に頭を下げられ、驚いて涙も引っ込む。
「いいえ、アッシュさんのせいでは……」
「ううん、お師匠さんが言ってたんだ。食べてくれる人が幸せになれるような料理を目指しなさいって。俺は最高の状態でお出ししてたつもりになってた。……リリアちゃん教えてくれてありがとうね」
アッシュは何かを決意したような表情を浮かべる。
「あっ、忘れるところだった。これ食べてみて」
はいどうぞ、と渡された可愛らしい花柄模様が彩られた小さな箱を開けると、ふわっとバターの甘い香りが広がる。
「新作のクッキー作ってみたんだ、もう戻らないとだから、今度感想もらえると嬉しいな」
「お菓子も作れちゃうんですか!?すでにすごく良い匂いがして美味しそうな予感しかありません……ありがとうございます、お話も聞かせて頂いた上にクッキーまで」
ははーっと褒美を授かった家臣のように大事そうに小箱を掲げると、ツボに入ったのかアッシュは大げさだなぁと吹き出す。
「泣き止んでくれて良かった、そんな顔してたらきっとお嬢様も不安になっちゃうよ。リリアちゃんには笑顔でいてほしいな」
諭すというよりは願いを込めたその言葉に、ごしごしと涙で濡れた顔をハンカチで拭き笑顔を作る。
「それもそうですよね、お嬢様にも笑ってほしいならまず私から!」
「良いね、その調子。じゃあそろそろ戻ろうか……ちょっと離れてるから、一応別邸まで送っていくね?」
「あ、ありがとうございます……」
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