習作 聖跡の福音師
ここは人里離れた神殿跡地で、人も獣も近寄らない。魔物も姿を現さない。
そう言っていたはずなのに、壁と石柱をぶち抜いて現れたのは、口が四つに割れた、爬虫類と深海生物を合わせたような魔物としか呼びようのない何かだった。
高音の叫びと低音の唸りが混ざり、不快感と嫌悪感を呼び起こす鳴き声が神殿内に響く。そいつは割れた口から粘つく液を飛ばしながら、壁に空いた穴に首の付け根まで体を突っ込んでいた。壁は薄い花崗岩の板を何枚も並べたものだったが、それがガタガタと揺れ、さらにひびが広がり、魔物は内側に入り込もうとしていた。
顔だけで数メートルはある。全身の様子が分からないが、トカゲのような体つきであれば全体で十メートルはあるのではないか。そんな化け物が、明らかに殺意を持って俺達に……いや、俺に向かって襲い掛かろうとしていた。
「魔物……! やはりあなたは勇者様だ! 勇者様の復活を察知して、魔物が送り込まれたんだ! あなたは本物の
「司祭殿! そんなことを喜んでいる場合ですか! 勇者様、この先に石室があります! そこにお逃げください! 私が時間を稼ぎます!」
神殿騎士のラオネスは狂騒状態の司祭と勇者を通路の奥の方へ押しやる。数十メートル先には、ラオネスが言うように入口らしき場所があった。
「わ、分かりました……!」
俺はつい昨日この世界に転移してきて、自分が勇者と勘違いされているという事だけ理解した。俺には何の力もない。剣を振っても木の棒さえ両断できないし、走っても飛んでも普通だ。魔法らしき力がこの世界にはあるが、それも使える様子はない。
そう思いながらも、神殿の宝物である神の涙、巨大な水晶に触れれば何か力を得られるかもしれない。そう言われて神殿跡地を案内してもらっていたのだ。
なのに、その途中で魔物に襲われるとは。
司祭の言うように、俺は勇者として転移していたのかもしれない。しかし力が備わっていない。あの魔物に誰か教えてやってくれ。俺は普通の人間だと。
魔物の体が激しく壁板にぶつかり、板はどんどん割れて魔物が入り込んでくる。そして半分以上が通路に入り込み、壁は完全に崩壊した。
魔物の全身が露わになる。顔はトカゲのようだが口が四方向に割れている。前足もトカゲのようだが、胴の途中から後方は灰色の毛が生えて獣のような脚をしている。尾は長く、鱗に覆われ蛇のようだった。普通の生物ではない。いわゆるキマイラという奴だろうか。
「さ、早く! お逃げください!」
ラオネスは盾を構え魔物に向かっていく。
「さ、さ! 勇者様! 石室はこちらです! 早く逃げましょー!」
司祭は年寄りに見えたが、俺を引っ張って逃げていく力は思いの外強かった。俺はラオネスを振り返りながら、後ろ髪惹かれる思いで石室に向かって走った。
後方でラオネスの声が聞こえる。
「おぉーっ! 魔物め、覚悟ぉー!」
金属音が響き、鈍い音が聞こえた。ラオネスが戦っている。時間を稼いでくれている。その間に逃げなければ。石室がどういう構造か分からないが、あの魔物が入ってこられないのならそこで助けが来るのを待つしかない。俺には戦う力がないのだから。
くそ! 何が勇者だ! わざわざ別の世界に転移させておいて何の力も与えないなんて、怠慢にもほどがある!
走る俺達の隣を、何かが通り過ぎた。地面に叩きつけられ、弾んで転がっていく。剣と盾も床を滑っていく。ラオネスの体だった。
「おぉ、ラオネス殿! 何という事だ!」
司祭がラオネスに走り寄るが、声をかけても反応はなかった。首が奇妙な方向に曲がり、口や耳から血が流れていた。
「死んで……る……!」
司祭がラオネスの体から手を放し慄く。そして振り返って上の方を向いた。俺もその視線の方を振り返ると、そこにはさっきの魔物がいた。顔が近い。一メートルほどの距離だった。
「
魔物が口を開き俺に襲い掛かるが、司祭の防御呪文が障壁となり俺を守ってくれた。だが六角形の光は魔物に噛みつかれ、ガラスのようにあっけなく割れる。その衝撃で俺は大きく吹き飛ばされた。
「お逃げ下さ……いっ! ぎゃあっ!」
起き上がると、司祭がうつぶせの状態で魔物に踏みつけられていた。
「福音を……使うのです……あなたは福音ぎぃぃばあっ」
魔物が体重をかけると、前足が司祭の背中にめり込んでいった。司祭は口から胃液や血を吐き、目を剥いて絶命した。
俺は震えながら、尻をついたまま後ろに下がった。すぐそこに剣がある。それを震える手で掴み、俺は何とか立ち上がる。
無理だ。勝てるわけがない。ラオネスは恐らく一撃でやられた。司祭の魔法は魔物の攻撃を防いだが、殺されてしまった。二人ともこの世界におけるそれなりの実力者だったはずだ。それが、ほんの一瞬で殺されている。何の力もない俺に、この魔物を殺せるわけがない。
魔物は口の割れ目から四本の舌をちらつかせた。ガラス玉のような目が俺を見つめている。奴が近づいてきたら終わりだ。噛み殺されるのか、食われて死ぬのか。それとも司祭のように踏みつぶされるのか。
何だ? 何かないのか? 俺には本当に何の力もないのか? 都合よく神様が力を覚醒させてくれないのか? 考えろ! 考えろ!
司祭は言った。福音を使えと。
俺の力はバフとかデバフって奴なのか? 強化したり弱体化したり。それにしたって、もう仲間は死んだ。ラオネスも司祭も死んだ。魔法をかける仲間もいない。
だが司祭は言った。福音を使えと。司祭自身に使えと言ったのか? 違う。自分が死ぬと分かって、そして一人だけ残った俺に、俺自身に使えと言ったのだ。
握っている剣が重い。まともに振る事さえできそうにない。しかし……この剣に、力を与えられるのか?
「エンチャント……!」
その言葉と共に、自分の中で何かが開いていくのを感じた。何かが開き、何かが流れ込んでくる。体を力が満たしていく。剣の重さは変わらないが、その剣に力を与えられると、何故か信じることができた。
こちらの様子を窺っていた魔物が、戸惑うように首を傾けた。
「エンチャント……! 剣に、光の福音を……!」
身の内の力が溢れ、その全てが剣に流れ込んでいく。光だった。それは力だった。形容のしようもない、よく分からない力。しかし炎のように熱く、太陽のようにまばゆい。剣が光り輝く。
魔物はその目を瞬かせる。そして直後、地を蹴って突進をしてきた。開かれた口が凶悪な殺意を込めて俺に襲い掛かる。
俺は剣を振り上げ、横薙ぎに振るった。
剣身から光芒が放たれ、巨大な剣のよう伸びていく。威力を持った光刃が魔物の顔を横に断ち切り、その巨大な体をも二つに切り裂いていく。
剣が振り抜かれ、魔物の体が水平に二つになった。その断面は焼け焦げ、ぐらりと揺れて床に倒れ込む。拘束を失った内臓や血液が一気にあふれだして広がった。
光の刃は消え去っていた。切り裂いたのは魔物だけではなく、神殿の通路もだった。入り口側に向かって十数本の側部の柱が両断され、支えを失った壁板や屋根が崩れていく。反対側の壁にも横一文字に黒い焦げ跡のような傷がついていた。
「これが……
俺に力はない。力を持つのは、俺の装備であり、俺の仲間だ。俺の力はそういうものだ。それが今、分かった。
神の啓示なのか? それとも何かの条件を満たしてロックが外れたのか? くそ! 二人が死ぬ前に、何でこの力に気付けなかった!
ラオネスも司祭も……死ぬことはなかった!
手が痺れ、俺は剣を取り落とした。掌の皮が焼けたように赤くなって破れていた。
くそ。くそったれだ。転移二日目で、いきなりくそみたいな展開だ。もうちょっと転移者に優しい設定にしておいてくれないのか、この世界は。
上等だ。俺を転移させたのが誰か分からないが、この世界の魔王と一緒に始末してやる。神か? 超越的な存在か? それともGMか?
首を洗って待ってろよ、くそ野郎。俺は
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