ファンタジー小説の練習

登美川ステファニイ

習作 完食の女王

「ははぁっ~! 食べ応えがありますわね、お前!」

 地のリザードの放つ断絶の隆起は地盤を崩し、固め、いくつもの岩棘となってフォルジナを襲う。鎧を着こんでいても圧殺。魔術的な防壁もすり潰す。人間のやわな肉体などひとたまりもない魔法だ。

 しかし――。

 岩棘は、しかし、巨大な顎と牙によって食いちぎられた。魔力ごと、空間ごと、地のリザードへとつながる魔力の流れさえも断ち切る。魔力によって岩のごとく固く締められた土も、砂糖菓子のように容易にかじり取られる。空間には、威力と意味を失った食べかすだけが残った。

 咬撃こうげき

 フォルジナのスキル、実体のあるものも実体のないものも、その全てを噛み、切り裂き、砕き、咀嚼し、嚥下する。

 地のリザードが20mの巨躯を震わせ吠える。その声は人間の可聴域を超え、かすかな羽音のような音だけが響いた。その響きを耳ざとく捉え、フォルジナは地のリザードの次の一手に先んじる。

「どろんこ遊びはもう口飽きですわぁ!」

 足元に新たな魔力の気配。地が沸騰し爆ぜるその一瞬前に、フォルジナは両足で一気に地を蹴った。背後で生じた大地の爆裂を背に受け、加速し、左腕を大きく振りかぶる。

「チャーミングな前足ですこと!」

 フォルジナの左手の指先が獣の爪のように曲げられた。関節の限界まで後方にたわめられた腕が、一気に振り降ろされる。

 食叉フォーク

 腕の振りはそのまま破壊力となり、実体化した五本の鋭利な突起が地のリザードの前足を貫く。不可視の衝撃が、刃を通さぬリザードの鱗を易々と刺し貫き、一抱えもあるほどの太い肉を裂き、鋼よりも固い骨を砕き、地面へと縫い留める。

 地のリザードは咆哮した。それは攻撃の為ではなく、苦痛の為だった。齢一千年を超えるその生涯で感じたことのない苦痛。そして、恐怖。自らを食らうものなどなく、ただ他者を食らい生きてきた存在が、初めて食われる恐怖を感じていた。

 その相手は自分の大きさの十分の一もない。口に入れれば一呑みの矮小な存在。これまでも幾度となく殺し食らってきた小さき生き物。それが今、自分の命を脅かそうとしている。

 地のリザードの心に一つの決意が生まれた。この生き物を殺さねばならぬ。それは誇りにも似た感情だった。けっして、この生き物に負けるわけにはいかない。

 そのリザードの心中を知ってか知らずか、当のフォルジナは愉快そうに声を上げていた。

「あはははぁ! 血の匂いがする……あなたの血には長命の効果はあるのかしら? ソースにしたら何のハーブが合う? あなたの肉と合わせたら、きっといい味になるのでしょうねえ?」

 フォルジナは、口を開き顎の骨を鳴らした。

「楽しみだわ……あなたの肉で食卓を囲むのが。ははぁ!」

 地のリザードの再生力は前足の傷を即座に癒し始めていた。この空間には魔力が地面にも岩の壁にも天井にも染み込み、自然の結界となっていた。致命傷以外は効果が浅い。

 それでもいくらか機動力は落ちている。フォルジナは跳躍しリザードの側面に回り込む。

 リザードの魔法が地を走る。フォルジナは近い。自分をまきこむことを覚悟し、リザードは魔法を放った。大地の奔流。液化した土砂がさかさまの滝のように中空へと吹きあがる。

「それはさっきも見たぁ!」

 奔流に飲み込まれる直前、フォルジナの右手が走った。そろえた指先は緩く曲げられ、手全体が器を形作る。

 食匙スプーン

 自らを飲み込まんとする土砂の噴出を、フォルジナの右手が丸ごとくり抜いていた。起点となる地面ごとくり抜き、近接するリザードの横腹の肉をも抉り、放り投げた。

 血の零れる横腹に、さらに追撃の食叉を放つ。五条の見えざる串が鱗を失った肉に深々と突き刺さる。

 リザードは血を吐いた。その傷が肺にまで達し、気管に血がこみあげていた。恐怖が明確な形となって、リザードの心を支配しようとしていた。

「匂いが変わった……なぁに? 今更怖くなってきたの? じゃあ、終わらせないとねぇ」

 後ろに下がろうとするリザードからは攻撃の意志が消えていた。代わりに自らの身を守ろうと障壁を張り、フォルジナから少しでも距離を取ろうと短い脚をばたつかせる。

「ちくちく刻むのは可哀そうだし、やっぱここは……あれで行くか? ねぇ、トカゲちゃん」

 リザードとの距離は20m。フォルジナは口を開き、両腕を大きく開き肩の高さにまであげ、構えを取った。捕食動物と同じ構えだ。

「さようなら」

 フォルジナの体が霞む。一瞬の間に加速し、瞬きの間にリザードの眼前へと迫っていた。

 リザードの鈍い視力がフォルジナを認識した瞬間、巨大な顎が空間をかじり取る。魔法咬撃。堅固な物理障壁をリンゴをかじるように噛み砕き無効化する。これでもう、フォルジナとリザードを隔てるものはない。

 チッ、チッ。軽い音がフォルジナの口腔から響いた。そして――。

 灼熱の光条が口から放たれた。数万度の熱を帯びた熱線がリザードの左目を貫き、脳の大半と脳幹を焼いた。一瞬の光。リザードは自らの死に気づく間もなく、息絶えていた。

 舌鼓。

 自らの内部に蓄えた魔力を砲弾のように打ち出す大技。貫けぬ鎧はなく、防ぎきる障壁も存在しない。

 リザードの体が力を失い、地面にくずおれる。まだ完治していなかった前足は、再生能力を失い再び血を吹き出し始めた。

「あら、これで血抜きすればちょうどいいかしら? 図体がでかいから、ちゃんとやらないとだめかしらね?」

 フォルジナは洞窟の入口の方を見やり、手を振った。

「おーい、片付いたわよケンタウリ! 早く来なさーい」

「はーい」

 遠くから男の声が返り、岩陰から姿が飛び出してきた。大きな荷物を背負い、重さを感じさせる足取りでフォルジナの方へと近づいてくる

「遅い! 片が付きそうになった時点でこっちに来なさい」

「はあはあ……そんなこと言ったって、危なくって近寄れるわけないでしょ」

「あなたがもっと強くなればいいのよ。何よそんな荷物くらいで息を乱して」

「はあはあ……フォルジナは……自分の強さを基準にしちゃ駄目だ……化け物じみてるんだから……」

「化け物? 失礼ね、か弱きレディに向かって」

 フォルジナは両手で顔を覆い泣くような仕草をする。

「はいはい。レディレディ。そんなことよりどうするの? ここで食べる?」

「当たり前じゃない! 新鮮なのが一番よ! そうね、せっかくだから……ほら、あの……生の肉を叩いて作る奴」

「タルタルステーキ?」

「そうそう、それよ! そのタルタルステーキを作って頂戴」

「こんなトカゲ、食えるのかな? まあフォルジナは何でも食べられるんだろうけど」

「食べられる事と食事を楽しむことは似て非なるものよ。ちゃんと私のために美味しい料理に仕上げるのよ。分かってる、ケンタウリ?」

「分かってますよ。まずは血抜きと鱗取りか」

 ケンタウリは荷物の中から包丁を出し、リザードの死骸に向かった。死骸からは戦闘で発生した筋肉の熱がこもっていた。

「フォルジナ。熱で肉が焼けるから早くやらないといけない。手伝って」

「えー? 下ごしらえと料理はあなたの仕事でしょ?」

「何言ってんだよ。後ろから襲えば静かに仕留められたのに、わざわざ興奮させるからこうなるんだ」

「だってドラゴンは怒らせた方が美味しくなるんでしょ?」

「それは熊だよ」

「熊もドラゴンも一緒よ。強い生物はみんな同じようなもんでしょ。ま、いいわ。どこを切ればいいの?」

「まず内臓を抜く。そのあと皮を剥いで背中の肉を切り取る。ロース肉、サーロインだ。肉は俺が切り取るから、皮を剥ぐところまでやって」

「わかったわ。でもあなたも一人で出来るようにならなきゃだめよ?」

「出来るわけないだろ、こんなの。大体こんな大型のリザードを一人で仕留めるなんて、大陸中探したって出来るのはフォルジナくらいのもんだよ」

「そうかしら? 五人くらいはいるんじゃなくって? よい、しょっと」

 フォルジナの左手が横なぎに動き、リザードの腹が裂けた。筋肉による拘束を失い内臓があふれ出てくる。

「うわっ……ひどい臭い。食欲なくなっちゃうわ」

「じゃあ食べるのやめる?」

「いじわるね! 食べるわよ、っと」

 フォルジナは横倒しになったリザードの肩に乗り、左手と右手をひらめかせ皮を剥いでいった。息絶えて魔力による強化が無くなったとは言え、リザードの皮も鱗も物理的な強度は相当なものだ。業物の剣を腕のある剣士がふるうのでも無い限り、傷さえつかないだろう。しかしフォルジナの両手、食匙と食叉は紙を裂くようにリザードの皮を処理していく。重さだけでも数百kgになろうかという皮を、両手でシーツのようにめくり、離れたところに放り投げた。

「あの皮だけでもちょっとしたお金になるんだろうな……」

 ドラゴンほどではないが、リザードの皮や鱗も相応の高値で取引される。特に属性を帯びたリザードのものは魔法耐性も期待できるため、更に価値が上がる。

 しかしフォルジナはそんなものに興味はない。金を支払って食べられるものなどたかが知れている為、いつも所持金は最低限だ。高級な酒を買い求めることはあるが、それ以外に買うのはせいぜい調味料や食器くらい。フォルジナが求めているのは、自ら仕留めねば食べることの叶わない美味、モンスターの料理なのだ。

 ケンタウリはリザードの死体をよじ登り、フォルジナのいる肩のあたりに到達した。

 皮を剥がれたリザードの肉は湯気を上げていた。肉の色は黄色味がかった深い赤。皮下脂肪は腹の方についているが、背中にはほとんどなかった。サーロインの部位も脂肪は少なそうだ。

「肉もすごい臭いだな……胡椒とケッパーか……」

 ケンタウリは頭の中で味付けを想像しながら、肉を切り出した。

 サーロインに相当する部位はざっと50kgはある。10kgほどの肉塊に切り分けて取り出し、フォルジナに下に運んでもらう。

「よし、じゃあ作るよ」

「はーい」

 内臓の臭いがひどいので、気にならなくなる距離まで移動し、そこで調理することにした。フォルジナは地面にクロスを置いて、付け合わせ用のパンをもうかじっている。左手には赤ワインだ。

「もう飲んでる。味が分からなくなるよ」

「何をおっしゃいますの? 美酒で舌を湿らせておくのが美味を味わう為の秘訣でしてよ?」

 確かにその赤ワインは高い。四十万ダーツだ。日本円に換算すればつまり四十万円。この世界に転移してくる前の俺なら絶対に飲めない金額だ。

 俺は肉を切り包丁でたたいて細かくする。混ぜる香辛料、ニンニク、パセリ、ケッパーも包丁の腹で潰し細かくして卵黄、調味料と一緒に肉に混ぜる。あとは全体が軽く粘りを持つまでよく混ぜる。出来た。

 大皿の中心に直径三十cmの大きさの円柱状に形を整え、上に薄切りの玉ねぎを乗せる。これで完成だ。見ているだけで胸焼けしそうな量だが、フォルジナにとっては一口のようなものだ。

「はい、出来たよ」

「わぁ~素敵! 美味しそうね、ありがとうケンタウリ」

 受け取った皿を前にフォルジナはうっとりとした表情をする。フォルジナの人生はこの時のためにあるのだ。

「じゃあ頂くわ」

 スープ用のスプーンで肉をすくい、口に運ぶ。咀嚼し、飲み込む。その顔に愉悦の色が浮かぶ。

「野性的な肉の風味を香辛料が引き立てていて美味しいわぁ~! 一緒に玉ねぎを食べると食感と風味が変化してこれもいいわね。すごく美味しい!」

 スプーンにタルタルステーキを山盛りによそって次から次に口に運んでいく。皿にあった肉の塊は見る間に小さくなっていく。

 まだまだ作らなくてはいけない。それに途中で飽きるだろうから、別のメニューも必要だ。ステーキに煮込み。青椒肉絲もいいかもしれない。

 食事を楽しませる。その為に俺は生きている。それが存在価値だ。何のために転移したのかわからなかった俺に価値を与えてくれたフォルジナのために、俺は腕を振るう。

「見た目もチャーミングだったけどひき肉になってもチャーミングな味わいね。はぁ~リザードでこんなに美味しいなら、ドラゴンはどんなに美味しいのかしら?」

「食べてるそばから次の食事のこと考えてるの?」

 俺は肉を叩きながら呆れていた。フォルジナの食欲というのは、本当に果てがない。完食というスキルを持ったがために、世界の全てを完全に食いつくすまで、その食欲はやむことがないのだ。

「決めた! 次はドラゴンを探しに行きましょう。火の山、氷の谷、雷の森。いくつか心当たりがあるわ」

「そこは俺が行くと死ぬ奴じゃない?」

「きっと素敵なお肉がそこでまっているわ~!」

「聞いてないな」

 全く、恐ろしい女だ。そばにいると命がいくつあっても足りない。だが、たった一つの命を懸けるなら、それはフォルジナのためだ。

「今から楽しみだわ」

 フォルジナはペロリと唇をなめた。その口の中に、大いなる野望を秘めて。

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