「……色神を宿していれば、敵無しなんじゃないのかい?」

 シェルがまず真っ先に出した言葉に、セヴィンの弟が小さく頷く。


「そうです、色神の力さえ使えば兄上はあんな魔物に負けたりはしなかった。色神は石化などしないから……」

 セヴィンより小柄で細身の若い男は拳をギュッと握りしめ、震える声で紡ぎ出す。


「石化?」

「……兄上が戦ったのはストーンドラゴンです」


 セヴィンの弟が口と拳を震わせながら紡ぎ出していく言葉に、シェルは自身の怒りを抑えられずに吐き出す。


「色神もついてたんだろう!? どうして助けてくれなかったんだい……!?」

「貴方が、かつてストーンドラゴンを一人で戦って倒したからです……貴方が一人で倒した魔物に一人で勝てないようでは求婚できないから、と……カーディナルロートはけして手を出してはいけないと兄に言われていたようです」


(ああ……何処までも、何処までも真っ直ぐな男が――あたしの気持ちも考えずにただただ自分の気持ちを押し付けて逝ってしまったなんて)


 シェルの心を怒りと悲しみが支配していく。その感情の矛先は――


「……そのドラゴンはまだ生きてるのかい?」

「……はい。兄が亡くなった時点でカーディナルロートは強制的に私に宿りましたので。私は今から兄の仇討ちに行きます。討伐前に貴方に兄の形見を渡しておこうと思いまして……」


 セヴィンの弟がそう言ってシェルに手渡したのは金の装飾が施された真紅のリボンと赤い石が嵌った黄金のリング。どちらにもセヴィンの温かみを感じる。


「それらは婚約の証と、結婚の証となる物……貴方に勝利した際にすぐに手渡そうと兄が準備していた物です。対となる指輪は右手の人差し指に嵌められていました。すぐに目に入る場所だからと……」


 セヴィンと同じ色のリボンと指輪をシェルは力強く握りしめる。


「……敵討ちは私にさせてくれ」


 やはり、この感情は自分の手で昇華しなくてはいけない。シェルの中で固く決意する。


「色神無しでストーンドラゴンと戦うのは危険です。兄が討伐に向かった火山地帯に住むストーンドラゴンは高熱の息も吐き出します。貴方が20年前に倒したのは……」

「セヴィンが死んだのは20年前の私の責任だ……償わせておくれ」


 誰にも譲れないシェルの決意はセヴィンの弟にも伝わったようで、一つのため息と同時に手を差し伸べられる。


「……分かりました。では、その場所まで案内させて頂きます」

 セヴィンの弟と共に真紅の竜に乗って、マグマが吹き出る山へと向かう。


(もしセヴィンが生きていたなら――こうして、2人で空の旅ができたんだろうか?)


 今はもう叶わぬ夢に焦がれながら山頂近くへと降り立つと、目を閉じて近くのほら穴から内部に侵入する。幸か不幸か、入ってまもなくストーンドラゴンの気質を感じた。


 この世界に来てから、20年――40を前に勘も動きも鈍ってしまった状態で、しかも20年前に倒したストーンドラゴンより厄介な相手にシェルは奮闘した。


 20年前と同じように目を瞑り気覚を頼りに聴覚と触覚、嗅覚を駆使してストーンドラゴンの攻撃を交わし、隙を突いて繰り出していく。


(あいつに、あたしと同じように気覚があったなら。こんな奴に負けなかったのに。)


 カーディナルロートに乗ってここまで来る途中、セヴィンの弟と交わした会話の中でこの世界の人間が気覚を持っていない事をシェルは初めて知った。


(セヴィンは自分とあたしの感覚が違うって知ってたら、無茶な真似しなかっただろうか……?)


 セヴィンの力を自分の基準で計ってセヴィンを弱い人間だと思い込んでいた自分もけして強者とは言えないのではないか?

 セヴィンは気覚を持っていないのに、自分と対等に渡り合えるようになっていたのに。


(対等じゃなかった。あたしはセヴィンにない感覚を使って彼の力を防ぎを打ち負かしていたのにセヴィンは、あたしにない物を使って戦いはしなかった。)


 魔力の有無の差はある。だがシェルの気覚によって魔法を使う隙を与えない分2人の戦いの中で魔力など殆ど無いも同然だった。

 争いでは相手に合わせるなんて無謀な事はしない。だが、シェルとセヴィンの戦いは争いではなく勝負だった。だからセヴィンはシェルに合わせようとしたのだ。


(相手と対等な条件で戦おうとする、彼の真っ直ぐで熱い心とそれを成し得る体にあたしの心も体も……とっくに負けていたんじゃないだろうか?)


 その答えはもう分からない。答えを潰してしまったストーンドラゴンの急所――心臓がある場所を全力で貫くとストーンドラゴンが雄叫びを上げて頭を振り乱す。


 その勢いにバランスを崩して、地面に不自然な体勢で叩きつけられる。

 痛みが下半身に走り、起き上がれない状態でストーンドラゴンの方から熱風を吹き付けてくるのを感じた。


(しまっ――)


 熱い感覚が肌を襲う。が、肌は焼け焦げる事無く、熱い感覚はすぐに暖かい物に変わった。


(何で……)


 シェルの右手の人差し指に嵌められている指輪から赤いオーラを感じる。全く熱さを感じない――代わりにシェルの心に感じるのは、セヴィンに感じていた、セヴィンがくれた温かいぬくもり。


 熱風の息が止んでストーンドラゴンが倒れ込み息絶えるのとほぼ同時に半透明の赤い防御壁は消えた。


 何が起きたのか分からないでいると、足元にカツッ、と何かを弾いた。拾い上げると、赤い宝石の原石が埋まっているような、変に細長い石だった。

 赤い石の近くにはまるで指輪のような溝がある。シェルはそれをそっと胸に収めた。


「お見事です…兄の仇を討って頂き、ありがとうございました」


 ストーンドラゴンが絶命した事を察したセヴィンの弟が、シェルに近付いて頭を下げる。


「……この指輪、何か細工がしてあるだろ?」

 右手の人差し指に付けた赤い指輪を見せつけるようにして問う。


「その指輪の内側には、装備者の身に危険が降り掛かった時に防御壁プロテクトが起動するような刻印がされています。真紅の防御壁は熱や火から人を守る。恐らくは兄上が一人で戦おうとする貴方を気遣って彫り込ませた物だと思います」

「……見事だね、アンタの兄さんは。本当に……晴れ晴れしい位に見事な馬鹿だよ」

「私もそう思います」


 セヴィンの仇を取り、セヴィンの温もりともうこの世にセヴィンがいない事を実感したシェルの目から物心ついた時から一度も流した事のない涙が、溢れた。


 それは、シェルがこの世界で流したたった一粒の涙だった。




 1節後――この街を出る、と言ったシェルを見送るように街の門の前にリーンを始め大勢の人が集まった。大きな革袋を背負いに今にも旅立たんとするシェルにリーンが声をかける。


「お姉ちゃん……本当に行ってしまうの?」

 か細い声で涙ながらに尋ねるリーンの頭を優しく撫でる。


「リーンはもう大丈夫だろう? 私はここに居すぎた。せっかく縁があって召喚された世界だし、後の人生はこの世界を回って過ごしたい。別の大陸にも行ってみたいしね。だけど誤解しないでおくれ。ここであんたと……ここの街の奴らと過ごした日々はとても楽しかったよ」


 泣きじゃくるリーンの顔は幼くして父と死に別れた時の面影を残していた。その面影は、彼女を心配そうに見上げる2人の子どもにも引き継がれている。


 この子の父親に託された役目はもう十分果たした――一片の悔いもなく、シェルはセヴィンが残してくれた物と一緒に街を旅立った。


(さて……あんたには散々振り回されたんだ。今度は私に付き合ってもらうよ。)


 赤い指輪、赤い2つのリボン。火山で拾った一欠片の細長い石。それらから感じる愛する男の温もりをシェルは一生手放す事はないだろう。


 数年後――髪を結ぶ真紅のリボンと右手に嵌められた赤い石の指輪が特徴の、何の魔力も持たぬ冒険者、シェル・シェールの武勇伝は様々な国から聞こえ届き街を騒がせたが、十数年後に自然に溶けて消えていった。



 しかし、異世界の女帝の名は誰とも契る事無く生きた最強のツヴェルフとして数百年後の遠い未来でも語り継がれる事になる。



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最強のツヴェルフ ―シェル・シェールの武勇伝― 紺名 音子 @kotorikawa

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