「今節はこれだけ倒してきたぞ!!」


 先程のシェルとリーンのやり取りが聞こえていなかったのか、セヴィンはいつもと同じ様に挨拶もなくドンとシェルの顔の前にリストを突き出してくる。この世界に来て10年、リーンに少しずつ教えられてシェルもこの世界の文字が読めるようになっていた。


「セヴィン兄ちゃん! たまには何かお姉ちゃんにプレゼントでも持ってきたらどうなの!? そんなだから毎回お姉ちゃんに負けるのよ! 気づかれないのよ!」


 自分より弱い男からプレゼントなど渡されてもシェルの心は微塵も動かない。

 ル・ジェルトではそういう関係も勝負で決着を付ける。セヴィンに好意があろうがなかろうがシェルがセヴィンに負けない限り関係は何一つ変わらない。


 以前に比べて随分打たれ強く、身のこなしも上手くなったセヴィンを打ち負かす事に時間を要するようになったとはいえ、まだまだ自分に勝つには程遠い――と、シェルはいつものように打ち負かして倒れ込んだセヴィンを見下ろす。


「あんたも懲りないねぇ……私に構ってる暇があるなら他の女と子を成した方が人生楽しいだろうに」

「あ……? 俺は、お前と戦っている時が一番楽しい。段々お前に近付いてる感じが嬉しい。もうすぐ勝てる気がする」

「ふーん……そう言えばあんた、私に勝ったらどうしたいんだい? 私に謝らせたいのかい?」

「は? 結婚するに決まってるだろ? お前言ったじゃねぇか、勝った男の子どもなら何人でも産んでやるって」


 セヴィンのハッキリした言葉にシェルは元々自分が子作りの為に召喚された事を思い出す。強き者の子を産むと言った自分にまず真っ先に挑んできたこの男がそれを目的として再戦を挑んできているのは冷静に考えれば分かる事だったのだが、シェルはその事をすっかり忘れて魔物退治とセヴィンとの再戦を楽しんでいた。


 こうして今、面と向かって言われた事で初めて自分がこの男に子作り対象として見られていた事を知る。


「ツヴェルフなら私の他にもいただろう? あの子達に産んでもらえばいいじゃないか。何で私にこだわるんだい?」

「俺はお前がいい。お前との子どもが欲しいからお前に勝ちたい」


「……あんたは良い所のお坊ちゃんなんだろ? あたしはそういう堅苦しい世界は苦手でね。この体格じゃ可愛いドレスも何も似合わないよ。まあ、あんたがあたしを打ち負かせたなら可愛いドレスでも何でも着てやるけどさ」

「お前に似合わないものなんて無い……少なくとも俺にとってお前は誰より美しい」


 セヴィンの真っ直ぐ自分を見つめる目とハッキリした物言いに、心臓が跳ねるような感覚を覚える。


 この男と戦ってもう、10年が過ぎる。その間ずっとこの男は自分に対してそんな事を思いながら、自分をものにする為に魔物を倒し、再戦する権利を得て挑んできたのだ。


 シェルの中に暖かくくすぐったい感情がこみ上げてくる。それは強さだけを崇められ讃えられてきたシェルにとって初めて抱く感情だった。


 その感情に戸惑いながら、パサついた髪のリボンを解いて編み直そうとした時にリボンがちぎれたのはリボンの寿命か、自分が力の調節を間違えたからかシェルには分からなかった。


「……お前のそのリボンもうボロボロだろ、これ使えよ」

 セヴィンが真紅の無地のリボンを手渡す。

「悪いね。お代は……」

 胸に手を入れるシェルにセヴィンは慌てたように首を振る。


「いらねぇよ。いつも再戦に付き合ってくれてる礼だ。本当に渡したいのはこのリボンじゃねぇけど…まあ、敗者の身分で渡せるようなもんじゃなくてな……」


 セヴィンの言葉に(いつ、この男は敗者じゃなくなるのだろうか?)シェルの脳裏にそんな思いが過ぎる。それと同時に(別に立ち場が変わらずとも自分がセヴィンとの交配を求めればいいだけなのではないか)という考えも過ぎる。


「ねえセヴィン、あたしは……」

「あー! 柄にもねぇ事しちまうと喉が痒くて仕方ねぇ! でも、俺は諦めない。いつか勝者になった時はもっともっとお前への愛を聞かせてやるから、覚悟しておけよ!」


 そう言って去っていく男の背中を見送りながら、シェルはどうしたものかと考え込む。


 少しは張り合えるようになってきたとは言え、まだまだ実力の差はある。

 それでも手を抜けば気づかれる程度には強くなってきているし、そんな事をしたら怒るだろう事も分かっている。わざと負ける事は、できない。


 だけど――何も、勝ち負けは戦いによってのみ決めなくても良いんじゃないだろうか?


 そう思った次の節から、シェルは行動に出る事にした。


「は? 大食い!?」

「あたしも年でね……毎節あんたと戦うのはキツイんだ。2節に1回位はこういう戦いでもいいだろう?これも立派な勝負だし、あんたが勝てば妻にでも何にでもなってやるさ」

「……分かった、大食いでも何でもやってやろう!!」


 大食い、果実収穫、スクワット、1キロ走、腕立て――時にはリーンや街の民の力を借りたりしてあらゆる戦いを試してみたものの、どうにもセヴィンはシェルに勝てなかった。

 セヴィン自身もかなりの実力を示しているのだが、シェルには全く叶わなかった。


「あんた……!! 一体何なら私に勝てるんだい!?」


 大酒飲み対決で酔い潰れたセヴィンを軽く蹴り飛ばして管を巻くシェルをリーン及び周囲の人間は温かい目で眺めていた。



 そうやって1年が立ったある節末の日――空に大きな赤い竜が現れた。窓からその竜を見上げたリーンがシェルを呼ぶと、竜は塔の方へと向かっていく。


 シェルがこれまでこの世界で倒した何匹ものドラゴンより大きいその竜は静かに塔の前に降り立った。その背から降り立ったのは、真紅を基調としたきっちりとした衣装に身を包んだセヴィンだった。


「シェル、俺もついに色神が宿ったぞ! これが赤の色神、真紅の竜……カーディナルロートだ! 後、リアルガー家に伝わる神器、赤の斧もあるぞ! そして今日から俺はセヴィン・ディル・リアルガーだ!」


 セヴィンはシェルを見つけるなり満面のドヤ顔で自慢するように説明した。この世界ではフォンは貴族の子息でディルは貴族の当主――そんな話をいつかの対戦でセヴィンが言っていた事をシェルはぼんやり思い出しながら大きな赤い竜と小型ながらも強い真紅の気質に包まれた美しい斧に目を奪われた。


(ああ、あたしは――ようやくあんたに正当に負ける事が出来るのか。)


 しかし、その日の再戦でセヴィンは自慢した色神の力も神器も使わなかった。


「何故いつもと同じ様に戦った? 色神とやらを宿しているのならその力を見せてみなよ? 神器とやらも使わずに……あんた、ここにきてあたしをナメてるのかい?」


 シェルは呆れと、怒りが混じった言葉で大の字に倒れるセヴィンを見下ろす。


「色神の力も神器の力も圧倒的過ぎてフェアじゃない。俺は俺の実力だけでお前を負かしたい」

「……なら何で見せびらかしたのさ?」

「親父が死んで、リアルガー家の当主になったカッコいい俺をまずお前に見て欲しかっただけだ」


 新品の衣服をボロボロにしながら笑うセヴィンに、シェルは呆れたようにため息を付いた。


(馬鹿だね……アンタが持てる物全て挑んできてくれれば、あたしは……)


 当主という存在になった色々な責務を背負いながらもセヴィンは節末には勝負をしに現れる。

 良い戦いを出来るようになってきた事をセヴィンは喜んでいた。だがシェルは自分の肉体を老いが確実に蝕んでいくのを感じていた。


 かつての自分より弱い自分を認識してしまって以降、シェルの中で強い者と戦う欲求は小さくなっていった。

 そしてセヴィンと共にいたいと思う気持ちが少しずつ戦う欲求より勝り始め――半年が過ぎた。


「……お前のその、心意気に負けたんだ!!」

「お姉ちゃん、良い感じ!! その言い方ならセヴィン様も心打たれると思う!!」


 既に1児の母になり、伴侶と子と別の家に住んでいるリーンだが、節末には必ずシェルが住む実家に顔を出す。


「この間の『敗者は勝者に従え!!』は俺を哀れんでるのか!? って怒って帰っちゃったけど、これなら嘘もついてないし受けとめてもらえるはず……! 頑張って!!」


 リーンの言う通り、嘘はついていない。いくら肉弾戦で勝利を収め続けていようとも負けたいと思った時点でシェルの心が負けてしまったのは事実なのだから。


 大分遠回りをしてしまったが次の節末でセヴィンはどういう反応をするのか――期待に胸を踊らせながらシェルは節末を待った。しかし節末になってもセヴィンは来なかった。


 これまでも何度か来なかった日はあった。だがその時は必ず事前に連絡があったし、ご丁寧に代わりの日まで記載してあった。


 初めて何の連絡もないまま来なかった事に珍しくシェルの中で不安がよぎる。せっかく朝からリーンが丁寧に編んでくれた三つ編みや、塗ってくれた化粧、赤色のワンピースをセヴィンに見せられる事無く無情にその日は過ぎていった。


 翌日――カーディナルロートが空を舞う。


 シェルが期待と決意に胸高鳴らせながら見つめる先で真紅の竜から降り立ったのは、セヴィンと同じ、燃えるような赤色の髪と目を持った別人だった。



「兄…セヴィン・ディル・リアルガーが亡くなりました」



 絶望。それはこの世界に来てから――いや、シェルが生きてきて初めて感じた感情だった。



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