承
陽気な男の声に振り返ると、燃えるような赤毛と赤い目を持つシェルより二回りほど体格の大きい逞しい青年が立っていた。
赤を基調にした見栄えの良い服は胸元のボタンがいくつか外され、雑に着こなされていたがその青年が上流階級の人間である事を示していた。
「神官長からお前が街に戻ってきたからギルドを案内したって聞いてな! ここで待ってれば会えると思ったんだ! 昨夜はちょっと油断しちまって負けちまったが次は負けねぇ! 再戦を申し込む!!」
年は、自分より数歳下といった所だろうか? 真剣な眼差しで自分を見つめる赤髪の青年の見た目からある程度情報を推測した後シェルは青年から顔をそらした。
「弱い人間と再戦したって何も面白くない」
昨日我一番に戦いを挑んできた男。昨日一撃で叩き伏せた男と再戦してもまた一撃で叩き伏せるだけで終わる。
シェルにとって実力の知れた人間から売られる喧嘩ほど疎ましい物もなかった。戦う価値もなければ話す意味もない。
「昨日は油断しただけだって言ってるだろ!?」
「うるさいねぇ、弱者が吠えるんじゃないよ!!」
一括するとギルドの中にいる全員が押し黙る。シェルは気にする事無くカウンターに腕をかけ、受付の女性に神官長からもらった透明なメダルを見せた。
「神官長……だっけ? そいつからの依頼だって言えば割の良い仕事を教えてくれるって聞いたんだけど? これ、その証ってやつ」
シェルの言葉に受付の女性を始め周囲の人間が目を見開く。シェルが持つ透明なメダルは<神の加護を受けた者の証>であった。
「お、おま……! それ神官長がくれたってマジか!? それは色神を宿した人間しか授けられないメダルだぞ!?」
赤髪の男が言う通り、シェルが持つメダルは本来<色神>と呼ばれる神の加護を受けている者にしか授けられない。
それを何故神官長がシェルに託したのか――それは、民を脅かす凶悪な魔物を討伐してくれれば、あるいは死んでくれればと願う狡猾な理由に他ならないのだが、赤髪の男はその理由には辿り着けなかった。
「赤の魔力持ってる俺でさえ
あいつ絶対後でシメる、などと物騒な事をブツブツ言う赤髪の男を無視してカウンターに肘をついたシェルは受付の女性と話を続ける。
「できれば日帰りできるやつが良いね」
「それでは……」
シェルが希望をつけると、女性は一枚の紙を取り出した。
「……ここより東にある森に最近住み着いたストーンドラゴンの討伐です。普段閉じている額にある第3の目が開くとそれを見た者は一瞬で石化してしまいます。石化は戻せても砕けた部分は元に戻りません。万が一石化してしまった時の為にすぐ石化解除薬を使えるサポートを付けるとよろしいでしょう」
「分かったよ。額にある相手の目を見なけりゃ良いんだね」
紙を受け取って雑に胸にしまう。その仕草に周囲がギョッとした事も気にせずにシェルはリーンを連れてギルドを後にした。
ギルドを出てすぐに、赤髪の男が追いかけてくる。
「お前……! 恥じらいってもんがねぇのか!? しかもちゃんと話を聞いてたのか!? 石化するんだぞ!? 石化して砕かれたら終わりなんだぞ!? ギルドはパーティ編成も請け負ってるんだから、誰か一人でもサポートを連れてけよ!?」
「額の目を見なければ問題ない戦いでいちいち他人と組む理由は無いよ。組んだら報酬を分け合わなきゃいけないだろう?」
ギャアギャアと喚く赤髪の男をシェルは心底迷惑そうに手で追い払う仕草をする。そんなシェルをリーンは不安そうに見上げていた。
「……お姉ちゃんも死んでしまうの?」
「死なないよ。見なけりゃいいのにこいつがうるさいだけだ。ああ、あんた、この子を家まで送ってあげておくれよ。私に勝てなくてもそのくらいの事は出来る位には強いだろう?」
「俺を顎で使うな! それに俺にはセヴィンって名前があるんだ! セヴィン・フォン・リアルガー! それが俺の名前だ!」
「じゃあセヴィン、リーンを頼んだよ。リーン、あたしはちゃんと帰ってくるから家で大人しく待ってるんだよ?」
間近で怒鳴るセヴィンの声にシェルは耳を塞ぎつつリーンを託し、走り出したシェルは電光石火の勢いであっという間に2人の視界から消えた。
東の森に辿り着くなり、シェルは目を閉じる。
ル・ジェルトの人間には気覚という感覚を持っている。例え目を瞑っても相手の持つ命の
そして視覚とこの場に不要な味覚を閉ざす事で気覚、聴覚、嗅覚、触覚の4感が研ぎ澄まされ、見えなくともそこに何があるのかを不便なく教えてくれる。
昨夜の戦いでは見た事のない変な術に対抗する為に目を閉じるような真似はしなかったが変な術さえ使ってこなければ目を閉じて戦っても問題なかった。
ル・ジェルトの人間の中でも特に身体能力に優れているシェルに限っては視界を閉ざしているから不利、という事は全く無いのである。
生き物の吐息や足音に耳を研ぎ澄ましながら足を踏み入れていく。研ぎ澄ました4感は今この森にどの位大きな生物が、どの辺りにいるのかが掴める。
右手の方角で石が砕ける音が微かに聞こえる。それが小動物か人かまでは分からなかったが砕ける直前に何か硬い物にぶつかった音も含めれば石を砕いたのがストーンドラゴンである事は容易に推測できた。
目を閉じたままそちら側へ向かうと暗い橙色の大きな気の塊を感じる。荒々しい呼吸が聞こえてきて、その呼吸の流れが変わったと同時に大きな気質が不自然な動きを見せた。シェルは自分が向こうに認識された事に気づく。
(さて……この世界の強い魔物はどの位強いのかお手並み拝見といこうじゃないか!)
気の塊が大きな動きを見せる前に、シェルは気の塊に向かって飛び出した。
シェルの期待は、外れてしまった。
ストーンドラゴンは耐久力や防御力こそ高けれど動きが鈍く、気覚で見抜いた急所に数発加えただけで雄叫びを上げて倒れ込み、息絶えた。
叩き応えと短いスリルこそ楽しめたものの『強者』として認定するにはあまりに弱かった。虚しさを感じている内に女児の聞き覚えのある泣き声が響いてきた。
「リーン、何で来たんだい……!?」
争いの終盤に人の気配を感じて2人がストーンドラゴンの顔面を直視しないように反らしてたが、半分手遅れだったようだ。
「セヴィンお兄ちゃんが、お姉ちゃんが心配だからって……!! 石化解除薬いっぱい買ってきたの!」
シェルは石化したセヴィンに抱きしめられた状態のリーンから薬を受け取ると、勢い良くセヴィンにぶっかける。灰色と化した硬い体が色味と柔らかさを取り戻していく。
「お……おお!?」
突然目の前にシェルがいた事に驚いたのか、セヴィンが後ずさった瞬間シェルはセヴィンの顔面に張り手を食らわせ、尻もちをつかせる。
「全く……こんな小さい子連れて石化して、何考えてんだい!!」
「お、俺はお前が心配で……!」
「アンタは自分に勝った奴の心配するよりまず自分の心配しな!! もし私もアンタも殺られてたらこの子まで死んでいたんだよ!? アンタが自分を強者だと思ってるならまず、弱者を危険から遠ざけな!!」
怒鳴るシェルの気迫に押されて黙り込むセヴィンからシェルは顔を背け、再び目を閉じてストーンドラゴンの方へ歩く。
依頼達成の証としてストーンドラゴンの牙を手探りで力任せに抜き取ると、シェルは自分の右腕が少し痺れている事に気づいた。
「……勝手に付いてきたのは悪かった。ただ、魔物の血には毒性が有る物も多い……俺、浄化の術使えるからお前の役に立ちたかったんだ」
「なるほど……右腕が痺れているのはストーンドラゴンの急所を貫いたからって事かい。治せるって言うなら治してくれるかい?」
目を開きセヴィンの方に立ち上がってシェルが手を伸ばすと、セヴィンが赤く温かい魔力で全身を包むと体の痺れが嘘のように消えていく。
「……これで大丈夫だ。道具屋に売ってる浄化薬でも大抵の魔物の毒を中和できるからこれから魔物討伐する時はちゃんと携帯しろよ」
そう言ってセヴィンは酷く落ち込んだ様子でトボトボを哀愁を漂わせて去っていった。ただ単に自分の力を誇示したくて追いかけてきた訳ではないようだ。
肩にリーンを乗せて全力で駆け出した2時間後、ギルドに到着する。
あれだけプライドの高そうな男だ。ここまで言われて実力の差を見せつけられればもう二度とシェルの前には姿を表さないだろう。
言い過ぎたとは思っていないが礼を言いそびれたな、とシェルは思った。しかしストーンドラゴン討伐で得た金貨3枚で驚き喜ぶリーンの笑顔を見て罪悪感が失せていった。
こうしてシェルの冒険者人生は幕を開けた。まず周囲の魔物討伐の依頼を手当たり次第にこなし、1年が過ぎる頃には街の周囲の治安はすっかり良くなっていた。
そしてシェルの強さを聞きつけた貴族達から往復に数日ほどかかるような遠方の依頼も入ってくるようになった。
シェルは遠征する際に街にリーンを置いていく事は気がかりではあったが、弱者を危険な旅に連れて行く訳にもいかない。悩んでいると神官長からリーンは自分と街の皆で気にかけるから大丈夫だ、という後押しがあった。
この頃にはあらゆる所の面倒な魔物を退治してくれるシェルは街では『ちょっとガサツな女戦士』として親しまれるようになっていた。
(本来の目的とは大分違うが、まあ役立ってくれるなら少し位助けてやってもいいか)と判断した神官長は現金な男でもあった。
貴族達には『うっかりヤバいの召喚しちゃったけど悪い奴じゃないし利用するだけ利用して死ねばそこまで。次から気をつけるから許して』的な言い訳で貴族達を納得させ、それを聞いたら怒りそうなセヴィンには事前に『こうでも言っておかないとシェルやリーンが恨まれちゃう可能性があるからのう。』とフォローを欠かさない辺り、世渡りに長けた男でもあった。
そんな神官長の打算と街民の善意に包まれた協力もあり、後はリーンに遠征の事を告げるだけ……と思った日の夜。
シェルの考えを見透かしていたかのようにリーンはあの日――父親が荷運びの仕事をする際に一人が寂しいからと着いていった帰りに魔物の群れに襲われた事を話してくれた。
「だから私、ここで待ってる。お姉ちゃんが物凄く強いの知ってるから。それに……節末には帰ってくるんでしょ? セヴィンお兄ちゃんとの約束があるもんね」
そう、実はセヴィンとの関係も切れてはいなかった。
セヴィンはストーンドラゴンを倒した日の1週間後――ギルドを訪れたシェルを待ち伏せしていた。
『ストーンドラゴンと同じ位厄介なファイアドラゴンを倒したから再戦する権利をくれ』と。
「何度も再戦を挑みに来るんじゃない! 見苦しいよ!!」と一括してもセヴィンは諦めず、そこから街に泊まってシェルにまとわりついた。
そのあまりのしつこさに「そこまで言うなら私と同じ位魔物を倒したら再戦してやるよ!!」と言った結果、毎節末――日数で言えば30日前後――セヴィンがその節倒した魔物のリストを持って家にやってくるようになった。
「今節はこれだけ討伐してきた!! お前が先節討伐した魔物も入ってるぞ!!」
セヴィンが持ってきた討伐済リストの内容を確認したリーンが頷く。
「ふーん……そこまで頑張ったんなら仕方ないねぇ。どれだけ強くなったか確認してあげるよ」
こうして始まった毎節末の確認及び対戦は、シェルが遠方に魔物討伐に出るようになってからも変わらず。毎節末には必ず街に、リーンの家に帰ってきた。
旅に出ては魔物討伐して戻り、リーンと話し、セヴィンの討伐リストを確認して重い腰を上げては町の外で戦い、こてんぱんに叩きのめす――そんな日々が10年続いた。
この10年の間に稼いだ大金で一度リーンの家を立て直しているがけしてそれは豪華でも広くもなく、目立たない普通の家だった。シェルは稼いだ金の大半はこの街の孤児院や教会、ギルドに寄付していた。それでも金が余りあるからだ。
稼いだ金に固執しないシェルのお陰でこの街は以前に比べてずっと豊かになった。神官長は死ぬ間際にシェルに感謝し『酷い扱いをして済まんかった』と侘びて亡くなった。シェルは神官長が何の事を言っているのかよく分からなかった。
そんなシェルの強さは最強のツヴェルフという異名とともに国中に広がっていく。そして同じ位の速さでセヴィンの噂も広まっていく。
最強のツヴェルフが東のドラゴンを倒せば、真紅の男は西のドラゴンを倒す。
最強のツヴェルフが南のガルーダを倒せば、真紅の男は北のグリフォンを倒す。
旅の吟遊詩人が道行く街でそんな歌を唄い始めた頃にはリーンも成長し、女児はすっかり恋に生きる可愛い少女となっていた。
「お姉ちゃんはいつセヴィン兄ちゃんと結婚するの?」
夕方、街の鍛冶屋で働く彼氏とのデートから帰ってきたリーンは顔を赤らめつつ無邪気な表情でシェルに聞く。
「セヴィン兄ちゃんはいずれ真紅の神の祝福を受ける人だから、きっとお姉ちゃんも結婚式の時は真紅のドレスを着るのよね……」
「よしとくれよ。あいつはあたしに構うのは単にあたしに勝ちたいだけだよ」
うっとりとした顔で呟くリーンにため息を付き、肩を竦めて言ったシェルの言葉にリーンは目を見開いて驚く。
「え……お姉ちゃん、セヴィン兄ちゃんがもう30過ぎても誰とも結婚しないのはお姉ちゃんと結婚する為だよ!? だってお姉ちゃん、ツヴェルフじゃん!?」
リーンがそんな風に叫んだのと同じタイミングで家の戸が叩かれる。今日は節末。その勢いの良い叩き方も相まって誰が着たのか開けなくても明らかだった。
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