最強のツヴェルフ ―シェル・シェールの武勇伝―

紺名 音子


 石造りの塔の屋上――夜空に一際大きく輝く青白い星の下、目の前で繰り広げられる惨劇を前に神官長は焦っていた。


 つい数十分前に自分が召喚した異世界の人間が華麗で隙のない動きでこの世界の強者達を次々と叩き伏せ気絶させていく。


 叩き伏せていくのは小柄ながらも筋骨逞しい肉体――お世辞にも綺麗とは言えないパサついて赤茶けた髪を雑に纏めた三つ編みが動く度に揺れる。

 腰には丁寧に刺繍が織りこまれた腰布を巻きつけているが、随分と擦り切れたハーフトップや短いズボンから剥き出しになっている腕や太ももには爪によるものと思われる切り傷や噛まれ傷が何箇所にも見られ、顔にも鼻と瞼から頬にかけての切り傷が刻まれていた。


 醜い訳でもないが、けして儚くも美しくも綺麗でも無い。それでも自信に満ちた暗い緑の目と笑みとその強さがに近寄りがたい女帝の風格を纏わせていた。


(強すぎる……!)


 もしこの世界に今、自分達が太刀打ちできないような恐ろしい存在がいたのなら彼女を召喚した自分の名は<異世界の女帝を召喚した者>として遠い末代まで語られる事になっただろう。


 しかし、神官長がこの女帝を召喚した理由はけして世界を危機から救う為ではない。


 その女帝――シェル・シェールと名乗った異世界人は自分達の<子づくり>の為に召喚した人間である事を神官長は認めたくなかった。


(すごく……ヤバいの召喚しちゃったのう……!)


 神官長は今、彼女に叩きのめされていく多数の男達から後で恨まれ蔑まれ罵倒される自分の未来を案じる事しかできなかった。



 神官長がシェルを招き入れたこの世界――ル・ティベルは生きとし生ける者皆色のついた魔力を有しており、人はその魔力によって周囲の危機から己の身を守ったり衛生的な生活を可能にしていた。


 魔力の色は髪や目の色といった外見だけに留まらず特技や魔法の得手不得手や人との相性など、あらゆる面に強く影響を及ぼす。


 自身の魔力の色は母親の胎内に宿った時に決まる。例えば赤色の魔力を持つ父と青色の魔力を持つ母の間ならほぼ間違いなく紫色の魔力の子が生まれる。

 同じ親から産まれた兄妹でもその紫の色合いは微妙に違ったりもするし、一言に赤や青と言っても明度や彩度は皆バラバラだ。


 その中でも特に、神が持つとされる色に近い赤、青、黄、緑、黒、白の6色とそれに準ずる色の魔力を持つ人間達は貴族として特別崇められ、尊重されていた。


 そんな貴族達にはいくつかの大切な役目がある。その内の1つが<色を持たない異世界人と交配して子孫に自身の色を引き継がせる>という事だ。なお、交配の為に召喚された異世界人は男女関わらず『ツヴェルフ』と呼ばれる。

 今日は近年新しく発見された異世界――ル・ジェルトから初めて異世界人を召喚する日だった。


 神官長は一族が持つ稀有な魔力によってのみ使える異世界人ツヴェルフ召喚を任されており、つい先程塔の地下で召喚の儀式を終えた後彼女達を待ち望む貴族の男達と共に召喚されたツヴェルフ達が待つ塔の屋上に上った。


 戸惑う彼女達と意思疎通が出来るように翻訳の魔力を込めた耳飾りと首飾りを身に着けてもらった後、神官長はこの世界についてと彼女達が何の為に召喚されたのかを説明した。


 戸惑う女性達の真ん中にいたシェルが腕を組んでしばらく考えた後、こう言ったのだ。


「……分かった。あたしらの世界じゃ弱者は強者に従うんだ。あたしらを打ち負かした男の子どもなら何人だって産んでやるさ!」


 魔力を持たぬツヴェルフからの予想外の突拍子もない提案に苦笑しつつ、神官長はそれを受け入れた。


 神官長はこれまで別の星から2度ツヴェルフを召喚している。どちらの星のツヴェルフも皆困惑し、酷く警戒していた。その時の説明と説得の手間を思えば今回のツヴェルフがすんなり今の状況を受け入れてくれた事に内心安堵してすらいた。


 魔力の無い異世界から召喚した若き女性。実力勝負なら魔力を持ち様々な魔法が扱える我らが圧倒的に有利――その慢心は数分で打ち砕かれた。


 シェルは相手が魔法を放つ前に懐に飛び込んで気絶させる。では魔法を放つ前にやらなければ、と武器を掲げた者がいればそれを振り下ろす前に飛び蹴りを入れる。

 卑怯にも複数人で連携を取ろうとした者には他の者が落とした剣を拾い上げて投擲し牽制した上で腹に渾身の一発を入れた。


 うっかり殺しかねない勢いなのにきっちり気を失わせるに留まらせるその力加減が圧倒的力の差を神官長や男達に見せつけていた。


 この世界の強者である貴族達がここまで一人のツヴェルフ――しかもか弱き筈の女に振り回された事がかつてあっただろうか?


「何だい、変な技を使うからどんなに強い奴らかと思えば全然弱いじゃないか!」


 ツヴェルフ達を品定めしようとした貴族達をその身一つで返り討ちにした女性はハンッ、と言わんばかりに肩を竦めて首を横に振る。


「…まあ、そこの2人は負けちまったみたいだから単にあたしが強すぎるってだけかも知れないねぇ……ちゃんと大切にしてやんなよ? 見知らぬ他人とは言え同郷の人間だ。酷い目に合わせたりしたらタダじゃ置かないよ?」


 この覇気を漂わせる女帝には勝てる気がしないと判断した神官長はシェルの言葉にコクコクと頷く事しかできなかった。

 その姿にそれ以上言葉を続ける気が失せたのかつまらなそうにシェルは頭をかき、塔を降りる階段へと近付いていく。


 倒れている男達に紛れて気を失っている他の2人のツヴェルフを見る限り、確かにあの女――シェル・シェールだけ破格の力を持っているようだ。


「それじゃ、あたしは自由にさせてもらうよ」


 シェルが去った後、神官長を憐れむかのように淡く見下ろしている青白い大きな星を見上げて神官長は決意した。


 今後ル・ジェルトから召喚する時の項目に<強すぎない人間>という条件を設定しておこう――と。




 シェルは塔を降りながらこれからどうするか考えていた。


 元の世界に戻りたい気持ちはあった。しかし元の世界で最強と唄われる武人達や動物を倒し、『覇王』と呼ばれるようになって数年――自分の周囲にどんどん人が集まり大好きな戦いや争いより面倒な内政に向き合わなければいけなくなってウンザリしていた所を召喚された。


(神様が頑張ったあたしにご褒美をくれたのかもね。)


 ル・ジェルトでは弱者を守るのは強者の務め。自分がいなくなっても別の強者が弱者をまとめていく。

 贅沢な暮らしも十分堪能したし尊敬の眼差しも絶賛の声も十二分に浴び、このまま務めを果たして生きていくのもつまらないと思っていた所だった。


 要するに、シェルは元の世界に飽きていた。そして何のしがらみもなくなった今、ただただ強い者と戦いたい欲求が湧き上がる。


(この世界にはあたしを超える強者がいるだろうか……?)


 踊る胸を抑えてシェルはこの街が大きな壁で囲まれている事に気づく。壁で覆うという事は外には少なからず危険があるのだろう。


 そのまま街の門を抜けて外に出て歩きだすと、異常なスピードで向かってくる馬車が見える。どうやら魔物の群れから逃げているようだ。


 シェルがいた世界、ル・ジェルトにも魔物は居た。変な術は使わず自身の持つ毒を宿した針や糸や爪や牙といった物で人を脅かすような毒に塗れた動物達だったが、倒していく内に毒に慣れていったシェルにとっては生温い相手になっていった。


 果たしてこの世界の魔物達はどれほど強いのか――強い好奇心がシェルを動かす。

 丁度、馬車はこちらに向かって走っている。このまま待っていれば――と構えた時に馬車から何かが落ちたのが見えた。


 青白い星が照らす微かな明かりでも、シェルの眼にその何かが『人』である事を知らせるには十分だった。


 強者は、どんな時でも弱者を守らねばならない。


 先刻戦いを挑む男どもを叩きのめして疲れていたシェルは、その信念を胸に走り出した。



 魔物の群れは先程の男達のように手加減せず全力でブチのめし、改めて馬車から落ちた人間の方に駆け寄ると蹲る男は背中に大きな爪傷を負って瀕死の状態だった。


「悪かったね。もう少し早く来れたら良かったんだけど」


 人の死にゆく姿など元の世界で見慣れている。自分は人を危険から守る事は出来ても命の危機から助ける力は無い事をシェルはよく理解していた。


「強き方……どうか娘を、お願いします……」

「娘?」


 男がうつ伏せて何かを抱えるようにしていた状態からゴロンと横になると、震えている女児の姿が現れた。


(ああ。馬車から落ちた娘を守ろうとしたのか……)


 年齢は6歳ぐらいだろうか? 少女と言うにはまだ幼さが強い印象を受ける女児は必死で父親にすがりつく。


「お父さん……お父さん! 一人にしないで!!」

「リーン、ごめんな……父さんも、母さんも…フェガリから、お前を……見守っているか、ら……」


 泣きじゃくる娘の頭を撫でる手が力なく崩れ落ちた後、父親から離れない娘をこのままにもしておけずシェルは男の亡骸を抱えて一旦街の中に戻る事にした。


 ここでは遺体の埋葬をどうするのか分からず、シェルは自身が召喚された塔に戻り、1階の広間で頭を抱えていた神官長に男の亡骸を託す。既に貴族達やシェルと同じ様に召喚された女性は何処かに消えてしまったかのように塔は静まり返っていた。


 神官長が男の亡骸を浮かせて棺に納める様をシェルは物珍しそうに観察していた。ル・ジェルトには魔法というものは無かったからだ。

 棺に蓋をされた後チラ、とリーンの方に視線を移すと女児はただただ涙を流しながら祈っていた。聞けば元々母親も亡くしていたらしい。


 これからこの女児はどう生活していくのだろうか? 自分自身も年が2桁になる頃には父も母も死に、そこからは自分の力だけで生きてきた。だが6歳に同じ事をさせるのは酷だろうとシェルは考えた。リーンの父親に託されてしまった事もある。


「じいさん、この世界ではどうやって金を稼ぐんだい?」


 亡骸を納めた遺体に向けて祈る神官長はシェルの言葉にあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。

 俯いているからシェルからは神官長の表情は見えていないだろうが、その顔は(もうこれ以上この女に関わりたくない――)という思いで満ち溢れていた。


 しかし同時に(この女が何かしでかせば召喚した自分の責任も問われる)とも考えた。結果、神官長はシェルにこの街にある冒険者ギルドについて説明した。


 民や商人、貴族達が金銭と引き換えに困り事を解決してくれるよう依頼する場所――そこに貼られた探索や討伐の依頼をこなせば金が手に入ると。


 そして『自分の名前とこのメダルを見せれば報酬も高い依頼も受けられるようになるから』と半ば押し付けるように透明なメダルをシェルに渡す。


(魔物に殺されて命を落としてくれれば良し、魔物を討伐してくれるならそれもまた良し……!)


 先程意識を取り戻した貴族達から散々不平不満侮辱を浴びせられた神官長はその怒りを抱えながらも(何とかこの女を有効活用できないか)と考える程度には小賢しい男であった。



 シェルはその日、リーンの家――街の隅っこにある古びた木造の家――に泊めてもらい、翌日ギルドまで案内してもらった。夜は気づかなかったがリーンの髪はシェルによく似た赤茶けた癖っ毛で、シェルはリーンに親近感が湧いた。


 木造の2階建ての広い建物の中に入ると何人かが一面に張られた張り紙を眺めている。会話はできても文字が読めないシェルがリーンに読んでもらうと依頼の張り紙らしい。


「こっちは鉱石とか薬草とかの探索依頼で、そっちは魔物の討伐依頼……あっちに貼ってあるのは護衛依頼で、向こうのは荷運び依頼だよ。それ以外のはまとめて外に貼ってあるの」


 あちらこちらに不規則に貼ってある依頼は場所で内容が違うとリーンは説明してくれた。


「リーンはよく知っているな」

「……よく、お父さんについてきてたから」


 シェルが事細かに教えてくれるリーンに感心して頭をなでるとリーンは表情を曇らせて呟く。

 父親を失ったばかりで暗く俯くをするこの女児を、何とか笑顔にしてやりたかった。


 どの世界でも辛い事はあるだろうが、リーンの年齢は両親の死に耐えうる年齢としてはあまりに幼すぎるだろう。そんな年齢で巡り合ったのも何かの縁かも知れない。


 強い魔物と戦うついでにこの女児が手に職をつけて生きられるようになるまで見守ってやるとするか――シェルがそう考えた時「よっ!」と背後から声をかけられた。



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