傍観者

 俺はスート村の羊飼いのうちに生まれた。隣の農家の家に生まれたダンは幼馴染だった。彼は少々真っ直ぐに突き進むくらいに素直な奴で、誰に対しても優しかった。もちろん俺に対しても。お互い成長するにつれて俺が彼を慕う気持ちは友人だから来るものなのか、恋によるものなのかがよくわからなくなった。この気持ちはどう処理したらいいものか散々悩んだものだ。まぁ彼は俺のことを友人としか思っていなかったようだが。

 ある日、やつは村の外からやってきた女に恋をした。今まで村の天気のことや野菜や、羊がちゃんとと育っているか、森の狼の伝説についてなど、なんでも無い日常のことが話題だったのに、彼は例の彼女の話ばかりをするようになった。俺はとても胸を痛めた。だけど自分の気持ちを伝えて水を差すようなことはしたくなかった。彼に振られるのが怖かったのか。いや、それよりも、彼女のことを幸せそうに語る彼の幸せそうな顔を壊したくなかったんだと思う。綺麗事言ってんじゃねえよと自分でも思うが、それが本心だ。

 そうこうしているうちに彼は結婚した。幸せそうな夫婦。彼らを見るのは微笑ましい反面、やはり悲しくもあった。さぁ俺はこれからどうするべきかなと思っていたとき、山の崖から落ちて俺は死んだ。だいぶ危険な場所に薬草を撮りに行っていたのもあるが、完全に俺は生気を失っていた。まぁあのまま生きていても生きる目的なんてなかったのだから死んでよかったではとさえ思う。

 気がついたら俺は山の麓にある墓地にいた。周りには派手に着飾ったゴーストたち。最初は驚いたが、彼らはとても気さくで愉快な奴らで、俺はすぐに馴染むことができた。

 ちょうど俺よりも少し先にゴーストになった男に出会った。彼は病にかかり、家族を残して死んでしまったのだという。彼はここでゴーストとして生活しているうちに、ゴーストは時間をかけて人間だった頃の記憶を失ってしまうことに気がついた。彼は自身の記憶が記憶を失うことを恐れ、毎晩村へ出向いては妻と子供の顔を見に行った。彼は半年ほどそれをしていたが、ある日突然パタリと辞めてしまった。男に家族のことを聞いたが、なんのことを言っているのかピンときていない様子だった。俺は一人のゴーストが大事なものを忘れてしまう過程を見届けた。

 俺はそれを知って少し気が楽になった。生きているうちはあまりいいことがなかった。こんな記憶やダンに対する気持ちなど、いっそのこと忘れてしまいたかった。しかし。いつまで経っても俺の頭の中には人だった頃の記憶が残り続けた。いろんなやつの話を聞く限り、そんなやつは俺くらいなものらしい。なぜ俺の記憶は残り続けているのか。わからないままに俺はずっとゴーストとしてスート村の墓地を彷徨い続けた。

 ダンの話をしよう。俺は彼がゴーストになった時も、人間の記憶を失った時も見届けている。俺が死んで10年たつかどうかくらいだろうか。やつは病気を患い、愛する妻を置いて死んでしまった。彼は妻と離れてしまったことが相当ショックだったらしく、三日三晩泣き続けた。そして3日目の夜。彼の涙は枯れた。それと一緒に生前の記憶も綺麗さっぱりとなくなってしまったようだった。それを見計らって俺は彼に話しかけた。彼の記憶がなくなってからでなければ顔を合わせるのが怖かった。全く情けない話だ。

「やぁ、僕はダン。君は? 」

 彼は記憶を失っているはずなのに、初めて会った時と同じ言葉を俺にかけてきた。

「俺はティムだ。お前、ゴーストになったばかりだろ?俺が色々教えてやるよ」

「ありがとう。君は優しいんだね」

 彼は昔と変わらず、純粋で真っ直ぐな目をしていた。

 彼女が死んだのはその1年後だった。一人残された彼女は夫を失った悲しみから、日に日に弱っていき、その命の炎を消した。

 ゴーストになった彼女はなんだかたまに村で見かけた姿よりもウキウキしていた。死者がゴーストとして彷徨っていることを知った彼女は、もちろん彼女の夫にも再会できると期待していたからだ。

「どちら様ですか? 」

 久しぶりに再会した愛する夫にかけられた言葉がこれである。相当ショックだったのか、彼女は自分の墓地に帰り、しばらく放心状態だった。そして彼女もその気持ちを押し込めるかのように、その日のうちに全てを忘れた。俺はこの夫婦の一部始終を見ていたが、ゴーストの連中は人間の頃の記憶のことを話したって信じやしない。だから俺は彼らに真実を話すことはできなかった。

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