第21話 キョンシー様のお通りだ

 何者かに操られ、確実に機動力が増したキョンシー。

 そのキョンシーを劉帆リュウホに任せた依依イーイーは慌てて部屋の隅に駆け寄る。そして仰向けになり先程よりずっと青い顔をし、体を小刻みに震わせている赦鶯シャオウの脇に座り込む。


「依依、遅い。早くもち米を」

「うん」


 燈依トウイはとても不安げな様子で赦鶯の顔を覗き込んでいる。


「赦鶯様は何処を噛まれたんだ」

「胸のあたり」

「ここか」


 燈依が赦鶯の胸ぐらを大胆に開く。


「きゃっ」


 依依は思わず目にした赦鶯の白い肌に慌てて両手で顔を覆う。


「おい、今は乙女を出すな。もち米だ」

「う、うん」


 依依は腰に下げた布袋に入れたもち米をひと掴みする。そして燈依にグイと差し出す。


「依依。恥じている場合ではない。道術を学んでいない俺じゃ無理だ」

「で、でも兄様、破廉恥な」


 依依は赦鶯のはだけた胸元を直視すら出来ない。

 というのも苦しそうに顔を歪め、まるで吐息を吐くように弱々しい様子の赦鶯は、正直必要以上に艶かしい。だから依依はどうにも恥ずかしくてたまらないのである。


美丈夫びじょうぶが苦しがっている。こんなの、む、無理だ)


 依依の周りには燈依を筆頭に、世間的に比較的見目麗しいと言われる男性がわりと多く存在する。


(だから慣れてるはずなんだけど)


 それでも今まさに息き絶えそうな、しかも胸元をはだけ、真っ白な絹のような滑らかな肌を惜しげもなく晒す美しい男性を前に、依依は何だか凄く胸が高鳴ったのである。


「兄様、私はもしかして新たな扉を開いてしまったのかな……」

「馬鹿か、お前。しっかりしろ。また罪なき人がキョンシーになってもいいのか?お前は道士だろ」


 依依はパシリと燈依に頭を叩かれた。

 そしてハッとし、我に返る。


「そう、私は道士。桃玄道士。やってやる!!」


 依依は掴んだもち米を赦鶯の胸に当てる。

 そして左手で法術を唱え印の形を作る。


「天から授かりし、破邪の力によりこの者を浄化したまえ、急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう


 依依は左手をもち米を当てた右手の上に重ねる。

 すると当てたもち米が一瞬にして真っ黒に染め上がる。


 キョンシーに噛まれ、赦鶯の傷口に溜まった毒がもち米に吸収されている証拠だ。

 しばらくして赦鶯の胸元にあるキョンシーの咬み傷が黒から赤い跡に変わった。


「良かった。赦鶯様はキョンシーにならなかった」


 依依はキョンシーの毒が込められたもち米を握りしめる。

 そしてすぐにまた左手で道術の型を取り浄化の呪文を口にする。


「邪毒(じゃどく)を断ち、浄化したまえ、急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう


 依依が呪文を唱え終わり、手のひらを広げるとキョンシーの毒を吸ったもち米はボッと立ち上った白い煙と共に跡形もなく消えてしまった。


 最後に依依は傷口に霊符を張ろうと腰から下げたポーチに手を入れる。


「おい、傷口の形がおかしくないか?」


 燈依が訝しげな声をあげた。

 その声を受け、依依は赦鶯の胸元を見つめる。

 すると確かにキョンシーの歯形が半分だけ残されている状態だった。


「もしかしてこれか?」


 燈依が床に落ちた木札を拾い上げる。


「これって義荘で売ってる木札だよな?ん?なんだよこれお前の字じゃないか」

「そう。私があげたんだけど」

「もしかして、この木札きふだが赦鶯様を守ったのか?」

「えっ、まさか?」


 流石にそんな都合の良いことがあるのだろうかと、依依は燈依の手に持つ木札を覗き込む。

 すると、見事に真っ二つに割れた木札の片方にキョンシーの歯型の半分がくっきりと残されていたのである。


「赦鶯様は木札をうまい具合に懐に入れていたと」


 燈依は考える時の癖、顎に手を当てながら推測を口にした。


「ふむふむ。だからもち米で浄化するまでにわりと時間がかかっていたけれど、何とか助かったと」


 依依もまた、燈依の真似をして顎に手を当てながら自身の見解を述べる。


「おい、真似するな。早く霊符を貼れ」

「はいはい」

「返事は一回!!」

「はい」


(子供じゃないんだから)


 そう思い口を尖らせながらも依依は赦鶯の胸元。傷口に黄色い霊符を貼りつけた。

 霊符に書かれている文字はこうだ。


『勅令、滋養強壮、急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう


 単純明快なその霊符を真剣な顔で見つめる依依。

 するとほどなくして、霊符にピリリと亀裂が入る。

 そして不思議な事に霊符は白い煙に包まれその場から跡形もなく消えてしまった。


「いてて」

「赦鶯様。お目覚めですか」


 燈依が赦鶯の深衣しんいを整えつつ、体を支える。

 燈依に寄り添われた赦鶯はゆっくりと半身を起こす。そしてそんな赦鶯の脇で一連の様子を伺っていた依依は赦鶯とばっちり目を合わせた。


「うわっ」


 目が会って数秒、大袈裟に仰け反る赦鶯。


「……そんなに驚きます?」


(仰け反っちゃうほど私は酷い顔をしているのだろうか。いやむしろ、赦鶯様には男色の気がありとか?)


 そうだ、それに違いないと依依は納得する。

 何故なら、乙女の矜持きょうじとして顔を見る度ギョッとされるのは、何だか自分がよっぽどの醜女しゅうじょであると言われているようなもので、認めがたい気持ちになったからだ。


「では、私はこれで」


 依依は立ち上がり、キョンシーと戦う劉帆リュウホに加勢しようと振り返る。


「うむ。そっちは片付いたのか?」

「……お見事です」


 依依はそう言わざるを得ない状況を目の当たりにする。

 何故なら額に『勅令ちょくれい、快速急行、黄泉の国』としっかりと霊符が貼られ、無力化されたキョンシーが行儀よく劉帆の後ろで整列していたからである。


「俺はキョンシーに噛まれたはずだが。一体どうなっているんだ」


 赦鶯が煙に包まれたといった感じ。自分の胸元を確認している。


「燈依の妹がキョンシーと戦っていて、そして俺は……」


 状況を理解しようとしているのか、赦鶯はブツブツと独り言を言い出した。

 依依はそんな赦鶯に思わず苦笑する。


(頭のいい人ってほんと、不可解)


 依依としては赦鶯には何をさておき、自分の無事を安堵して欲しいところである。


「でもま、冠前絶後かんぜんぜつごの逸材を救えてよかった」

「冠前絶後?それは誰の事だ」


 赦鶯が訝しげな声を出す。


「赦鶯様、あなたの事でしょう。ほら、立てますか?」

「俺は別に冠前絶後な者ではない。キョンシーに怯えて何も出来なかったのだから」


 小声で恥じるような言葉を吐きながら、赦鶯は燈依に抱えてもらい起き上がる。


「依依、もういくぞ。キョンシーを義荘まで連れ帰るまでが道士の仕事じゃからな」

「はーい」


 呑気な返事を返しながら依依は部屋の隅に置かれた自分の太極図が刺繍された黄色い法術鞄を肩からかけた。


「むっ、不良娘め。こやつらはお前が連れて帰るんじゃぞ?」

「わかってますって。そう言えば先生腰は大丈夫なんですか?」


 依依がわざとらしく尋ねる。


「可愛い弟子の為に老体に鞭を打ってここにおるのに、何じゃその疑いの眼差しは。あーいたた。近頃の若いもんは、全く年長者を敬う気持ちすら忘れて、長生きはするもんじゃないのぅ。イタタタ」


 大袈裟に腰を叩き、手に持った杖に体重を乗せ途端にヨロヨロとしだす劉帆。


「あー、はいはい。先生すごーい。じゃ今すぐ帰りましょうね」


 呆れた顔をした依依は思わず適当な返事を返す。


「返事は一回じゃ」

「はい」


(だから子どもじゃないってば)


 依依は若干不貞腐れながら、バッグの中から法具を取り出す。依依が取り出しのは、くすんだ金色をした法具。これは金剛鈴こんごうれいの一種、五鈷鈴ごこれいである。

 五鈷鈴とは釣鐘つりがね型をした部分の上部に五股に分かれたかぎ爪がついた法具の事で、何より五鈷鈴の穏やかで澄んだ鈴の音はキョンシーの心を鎮める効果があるとされている。

 そのため道士にとって、なくてはならないとても重要な法具の一つなのである。


 依依はその鐘を持ち、そして忘れていたと部屋の奥にいる赦鶯の方を振り返る。


「赦鶯様、ご無事で何よりです。というわけで、今後も是非キョンシーの事でお困りでしたら我が桃玄道士隊へ遠慮なくお声がけ下さい。ではご利用ありがとうございました」


 頭を下げる依依。

 そして依依はチリンと鐘を鳴らす。


 するとダラリと力なくうなだれていたキョンシーが鐘の音に反応した。

 むくりと顔を上げ、前に伸ばした手がピンと張られる。


「ぜんたーーい、整列!!」


 チリーンと依依が鈴の音を鳴らす。

 すると、キョンシーは素早い動きで綺麗に縦に一列に並んだ。


「じゃ、みんな帰るよ。はいはい、キョンシー。お家に帰ろ。邪魔する奴らはあの世行き。死にたくなけりゃ道開けろ。キョンシー様のお通りだ」


 依依は顔を赤くし、鈴を鳴らしつつ歌いながら部屋を出て行く。


(もう、恥ずかしいんだけど)


 よわい十六。年頃の乙女である依依は内心「もう少しマシな歌がいい」などと思いながら、しかし仕事だからと声を張る。


「はいはい、キョンシー。お家に帰ろ」


 そんな依依のよく通る声に応えたキョンシーがピョン、ピョンと飛びはねながら一列になって部屋の外に出て行く。


「なるほど。あれは何というか、非常に興味深いな」


 キョンシーを先導する依依の背中に、実に感慨深げな赦鶯の声がギリギリ届いた。


(あぁ、お嫁に行けない)


 依依は鈴を鳴らしながら、まるで逃げるように足を早めたのであった。

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