第19話 ついに出た、キョンシー!!
(
そう思い込んだ
「そうだ。お近づきの印に一応私が作った
「お近づきの印?」
「はい。これも何かの縁。私はまだ見習いが取れてから数ヶ月ほどの道士です。未熟者ではありますがそれでも道士は道士です。ないよりはマシ程度の代物かもしれませんけど」
床に置いておいた布の肩掛けバッグ。その中から依依は長方形の黄色い紙の束を取り出した。黄色が眩しいその紙には
「ではこれをどうぞ」
依依はうやうやしく霊符を赦鶯に差し出す。
すると赦鶯はしばし悩んだあげく、躊躇する様子をみせる。
「これは怪しい霊符などではありませんので、どうぞ」
「怪しい霊符……」
依依の言葉を反復し、疑うような視線を霊符に向ける赦鶯。
(うわ、明らかに怪しんでるし)
赦鶯は触れていいものかどうか、まるで品定めをするようであり、更には警戒しているのか霊符に手を伸ばさない。
(でもまぁ、確かに怪しくないっていい方は、むしろ怪しいか)
依依は自分でも、今の言い方は如何にも胡散臭い雰囲気を漂わせてしまったと反省した。
「なかなか達筆であるとは思う。流石燈依の妹だ」
赦鶯は霊符に視線を落としながら、遠慮がちに依依の文字を褒めた。
その事に気を良くした依依は更に霊符が怪しいものではないと説明を口にする。
「これは対キョンシー用の護符、
「キョンシーの額に手が伸ばせるほど近づいたら既に時遅しであるような気もするが」
「そこは息をとめて気合で」
「あぁ、そうか。キョンシーは人の吐く息を感知するのだったな」
「はい。ですから普段から息を止める練習をしておく事をおすすめします。恨みを買いやすい人は特に。そしてこの霊符もあると
真剣な表情を赦鶯に向ける依依。
受け取れという圧の籠もった依依の視線についに赦鶯が白旗を上げた。
「……ありがとう。頂いておく」
赦鶯は小さな声で礼を口にすると、依依の差し出した霊符を白く細い指先でしっかりとつまみ、受け取ってくれた。
(ふふふ。赦鶯様。まんまと騙されたわね)
依依は内心悪い顔になりほくそ笑む。
実は依依が自作した無攻威化ノ符は試作品の段階だ。
道士である依依が
(霊符も時代と共に日々進化を遂げる必要があるし、進化の為、多少の犠牲は必要なんです)
依依は内心赦鶯に土下座する気持で、しかし赦鶯がその霊符をキョンシーのおでこに貼り付けた時の効果が楽しみだと浮かれた気持になる。
(ま、赦鶯様自身が痛いなんて事はないから大丈夫でしょ)
依依は能天気にそう思った。
「しかしこの縄のような、ミミズのようなものは何だ?」
赦鶯は霊符に書かれた真っ赤な、依依から見ても百歩譲って縄に見えなくもない線を指さした。
ことごとく失言の多い人だと思いながらも依依は冷静を装い説明をしようと口を開く。こちらとしても、治験が済んでいない物を渡すと言う後ろめたい気持ちがあったからだ。
「縄ではなく、ちょうちょ結びをしてある布がひらひらと可愛らしく舞っているという雰囲気を感じ取って頂ければ幸いです」
依依は親切心から赦鶯の隣に近づくと「ほらここが結び目です」と指差した。
「うわっ」
赦鶯が大きく背後にのけぞり、そのまま慌てて依依から逃げるように距離を取った。
「え?そこまで驚きます?」
「あ、いや、すまない」
「まぁ、いいですけど。あとはこれ」
依依は膝を立て数歩後ずさり、自分と赦鶯の間。
敷物の上に黄色に染色された
丁度手のひら程度の大きさの木札には「
「それの意味は何であろうか。口から何かを吐き出しているように見えるのだが」
明らかに棒人間に視線を落とした赦鶯が依依に尋ねる。
(どうみても仲良くしてる友人同士にしか見えないよね?)
一組の向かい合う棒人間が手をつなぎ、仲良く討論している図。
作者である依依にはそうとしか思えない。
しかし一般大衆向けのお守りと違い、個人宛に作成する霊符は同じ効力を込めたものであっても、作成者によって多種多様なものになる。
(だからわからなくても仕方ないか)
決して自分の絵心に問題があるとは微塵も疑わない依依は、赦鶯に笑顔を向ける。
「これは
「なるほど」
「今回は兄がいつもお世話になりっぱなしだと申しております赦鶯様だからこそ感謝と、そしてお近づきの印にと作成いたしました。気に入って頂けた暁には是非桃玄道士隊の義荘、もしくは兄様経由でご注文を頂ければと思います。ご注文は日の出から、日の入りまでいつでも年中無休で承っておりますので、どうぞご遠慮なくお申し付け下さい」
「お近づきの……」
「物理的ではないですよ?」
商魂
何故なら――。
(逃してなるものか。優良顧客に成り得る人を)
目の前にいるのは、
しかも紫色の
(その心は、ずばりお金持ちってこと)
さらに言えば、どうやら赦鶯は人と目を合わせられないほどの気弱さを持ち合わせている。
これはいいカモ……ではなく、いいお客になりそうだと依依は内心ほくそ笑む。
「昼間お見受けした所、何となくですが赦鶯様には仲良しがいいかと」
依依は邪気を払った清々しい笑顔を赦鶯に向ける。
「なるほど、これは会話をしているのだな」
「わかりやすいですよね?」
「……まぁ、言われてみれば……ありがとう」
渋々と言った感じではあったが、赦鶯は木札を手に取った。
「まいどあり……あっ、どういたしまして」
心の声が漏れ出してしまった依依。
咄嗟にそれを誤魔化す為にとっておきの微笑みを顔に貼り付ける。
その顔を見向きもせず、喜んでいるのか迷惑なのか、よくわからない微妙な表情になった赦鶯が木札を懐に入れたその時。
部屋の引き戸がガタガタと音を立てた。
「きたわね、キョンシー。赦鶯様は部屋の奥へ。無攻威化ノ符はお手元に」
「わ、わかった」
こちらの指示通り赦鶯が霊符を手にし部屋の隅に移動したのを依依は確認する。
そして依依は床に置いておいた
(さぁ、ここからが本業)
今まで完全に商売人の顔となっていた依依の顔つきが途端に変わる。
そして桃剣を構えた依依は高らかに戦闘開始の宣言をした。
「桃玄道士、
まさに道士と名乗るのに相応しい凛とした声と表情。
依依はそのまま勢いよく部屋の戸を引いた。
結界を張るために依依が事前に扉を塞ぐように貼っておいた黄色い霊符が勢い良く引きちぎられる。
「ゔーー」
不気味な声と共に依依の前に現れたのは顔面蒼白なキョンシー。
キョンシーは通常通り、まるでどんぶりをひっくり返したような、頭頂部が丸くなった赤い
死装束である黒い
(これなら余裕)
依依はニヤリと口元を不敵に歪ませる。
キョンシーは手を真っ直ぐ前に出し、揃えた両足でピョンと跳ね依依に襲いかかってくる。
「覚悟、キョンシー!!」
依依は即座に真ん中。自分に一番近いキョンシーを思い切り片足で蹴り上げた。
それからその足が地に付くのと同時に、前方に体重移動をした勢いのまま右手に持つ桃剣で右側のキョンシーの胸を思い切り叩きつける。するとキョンシーはふらりと少し後退する。
依依は右側のキョンシーを静止させるべく、長い年月をかけて考案した一時停止の符を額にぺたりと貼り付けた。
その間に、依依の蹴りで床に寝転がっていた真ん中のキョンシーがまるで糸で引かれたように、足の甲を軸にヒョイと起き上がる。生身の人間ではありえな得ない動き。まるで起き上がりころぼしのようなキョンシーに依依は苦笑する。
彼らは死後硬直したまま動き回る死体妖怪。
だからこその不気味な、そして幾分滑稽な動きなのである。
「さっさと片付けちゃいますか!!」
依依は自分を励ますようにそう口にしながら、くるりとバク転をしキョンシーからの攻撃を避ける。
対キョンシー戦で一番気を付けなければならないのは、噛まれる事だ。
噛まれたら最後、自分がキョンシーとなってしまうからである。
(状況は)
現在依依からみて左側のキョンシーは一時停止の符による効力のお陰で、文字とおり動きを止めている状態。残る二体は腕を前に突き出しながら、意外に機敏な様子でピョン、ピョンと依衣に向って迫ってきている。
(焦らず、
ここにはいない
そして天井に
「まずはあなたからね」
「ゔーー」
真ん中のキョンシーが唸り声を上げ、軽やかにピョンと跳ねた。そして依依に飛びつく。その瞬間、依依は腰を落とし桃剣をくるりと回し
すると依依の狙い通り、キョンシーはバランスを崩し後ろに飛んで行く。
それから依依は桃剣を素早く前に突き出すと、自分の顔の前で縦に構えた。
そして左手の人指し指と中指をピタリと貼り付け、他の指は手のひら側に折り曲げた。これは道士が法術を行う時に結ぶ手の
「天より授かりし
依依は桃剣を顔の前に立てたまま、型を作った左手で素早く宙に印を結んで行く。
最後に桃剣の
「桃幻流、シャンディエンの術!!」
口にするや否や、依依は左手を添えた桃剣を前に倒す。
そして剣身を切っ先に向かって素早く撫でる。
すると、桃剣の先から突然稲妻が飛び出した。
真ん中担当キョンシーは剣先から放たれた稲妻に打たれ、手と足を前に突き出したままコの字になって背後に飛んでいく。
「危ない、右だ」
赦鶯が慌てたように依依にそう叫んだ。
「了解っと」
依依は思い切りジャンプし梁に両手でしがみつく。それから鉄棒の要領で自分の体を大きく揺らし、右から迫るキョンシーに両足でキックした。そしてそのまま梁から手を離し、空中でまるで猫のようにくるりと一回転すると、右側キョンシーの背後にしゃがみ込んで着地した。
「くらえっ」
依依はしゃがんだまま右足を出し、キョンシーの足を払う。
すると右側担当キョンシーはスッテンコロリンと床に転んだ。
「はいっ、一時停止」
依依は懐から取り出した一時停止の符を素早くキョンシーに貼り付ける。
(これで取りあえず、二体静止中だから後は一人……って!?)
「なるほど、顔色が悪いし、何だか臭いな。死臭だろうか」
「赦鶯様、息を止めて!!」
依依が右のキョンシーの相手をしている間に、どうやら真ん中のキョンシーが赦鶯に勘付いてしまったようだ。
呑気にキョンシーについて分析をする赦鶯。しかしゆったりとした口調とは裏腹に、腕を伸ばし何とかキョンシーの額に依依監修、無攻威化ノ符を貼ろうとする努力はしていた。
「くそっ」
目と鼻の先に迫ったキョンシーのせいで赦鶯は息を止める事をすっかり忘れている。それに加え残念な事に赦鶯は官吏である。書類と睨み合う事を
「くそっ。もはやこれまで……」
「ちょ、諦めたらそこでキョンシーですよ!!」
依依は赦鶯を励ます声をあげながら、慌てて赦鶯にのしかかるキョンシー目掛け助走をつけようと後ろに下がる。そして勢いよく走り出し、キョンシーめがけ依依は両足で思い切り飛び蹴りした。
「あちょー!!」
依依の見事に揃った両足は掛け声と共にキョンシーの背中にしっかりと命中する。
「うわっ」
「ゔーー」
背後から依依に蹴られたキョンシーは更に赦鶯にのしかかる事となる。
そしてそのまま赦鶯の胸に噛み付いた。
「あっ、やば」
依依は自分の失敗を悟ったのであった。
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