第17話 見過ごすなんて許せません

 依依イーイー赦鶯シャオウに対し怒りをぶつけ、部屋に漂う空気が重くなる。

 気まずい沈黙が続き、先程まで依依の心を大きく動かしていた怒りの気持が徐々に静まってくる。


(大人気なかったかな。それに、赦鶯様って人は絶対偉い人だし)


 冷静になるにつれ、依依は自分が衝動的に取った行動が非常にまずいものだと理解する。何となく落ち着かない気持で依依は隣に座る燈依トウイに「兄様たすけて」の視線を送る。


 しかし燈依は依依をキリリと睨み返してきた。


(兄様まで怒ってる)


 これは非常にまずい状態だと依依はそわそわとして、何とかこの場から逃げ出す方法はないかと部屋の扉に視線を送る。


「別に無視したわけではない」

「あ、はい」


 突然喋りだした赦鶯に依依は意識を集中させる。

 相変わらず依依から顔を逸らすようにうつむいている赦鶯。視線が絡む事はないが、それでも怒っているわけではなさそうだと、依依は胸を撫で下ろす。


「礼部には既に報告済みだ。しかし現在科挙絡みの案件の増加、そして満月の時期である事から、キョンシーの出現情報が多数報告されている。それに加え私は大事を取り、現在天楼城内で寝泊まりをしている。だから警備の面で後回しにしても大丈夫だろうと、私自身がそう判断を下した。つまり私は礼部への報告を無視したわけではない。正しくは討伐の順番待ちをしているという状況だ」


 小さな声で、しかしきっぱりと赦鶯が自らの状況を早口で説明した。

 その言葉を拾いあげた依依は目を丸くする。


「えっ、討伐の順番待ちって、それって自らを後回しにしたって事ですか?」


(そんな馬鹿な)


 依依は内心驚き、そして少しだけ呆れる。

 けれどそれはすぐに間違いだと気付く。何故なら先ほど口にした赦鶯の言い分を振り返ると、他人を優先したのは明らか。


(そっか、そういう事もあるのね)


 斜め上の理由に驚きつつ、依依は途端に目の前のやたら目の下に濃い隈をこさえた人物がとても人の良い人間に思えてきた。


「全くお前は……」


 全てを悟った依依に燈依が呆れたような声をかける。


「早とちりをしたようで申し訳ございません」


 依依は感情的になり、つい責め立てるような口調で問い詰めてしまった事を恥じ素直に頭を下げた。ついでに不敬になりませんようにと願いながら更に深く、額を床につけておく。


「妹が無礼を申し訳ございません」


 燈依も依依の隣で頭を下げてくれる。


「いい。気にするな。彼女の言い分も間違ってはいないしな」

「そう言っていただけると幸いです。全く依依、お前は物事の全容をきちんと確認してから口を開け」

「はい」


 燈依に叱られた依依は先程までの威勢をなくし、シュンと小さくなる。


「それでわかりやすく現在の状況をまとめると赦鶯様はお住まいの環境上、優先順位をつけられ道士によるキョンシーの討伐待ちをしている最中である。しかしキョンシーに夜な夜な襲撃され、ついぞや不眠に悩まされてこちらへということでよろしいでしょうか?」


 燈依がざっくりと話をまとめる。


「あぁ。朝になればやつらは一旦引くからな。少しの間我慢すればよいかと思っていたのだが……」


 赦鶯が燈依の状況説明に頷きながら、最後は口を濁した。


(キョンシーは夜行性だからね……なるほど。だからその顔色なわけか)


 依依は密かに謎が一つ解けたとすっきりとした気分になる。


 キョンシーは夜行性。文字通り夜中に人を襲うのである。そして大抵の人間は夜中に英気を養う為睡眠を貪る。特に官吏かんりの行う業務は昼間の仕事だ。


(となると、夜しっかりと眠れないのは相当身に堪えるはずよね)


 生きて喋ってはいるが、もはや顔色の悪さと目の下の隈はある意味キョンシーになる一歩手前と言っても過言ではない。依依は憐れみの視線を赦鶯に向ける。


「それに一応、杏玄道士隊の影玄部かげんぶから破邪ノ符はじゃのふをもらっているし」

「なるほど。夜はそれを扉に貼り結界を作っている。だからキョンシーはそこにはいるが、赦鶯様の部屋の中には入ってこられない」


 燈依が夜間における赦鶯の状況を整理した。


(それならまぁ、今すぐ襲われるって事もないか)


 破邪ノ符とは魔除けの霊符のこと。

 霊力が込められた霊符であれば、その霊符自体に書かれている文字がにじむ、もしくは霊符が破れるなどしなければ、効力を発揮し続ける。

 ここで言う効力とは、キョンシーが部屋の中に入ってこられないということだ。


(なるほど。影玄部もただ後回しにしていたわけではないと)


 新たな事実を知り、胸を撫で下ろす依依。

 出来れば道士として、キョンシーに困っている人には出来るだけ手を差し伸べたい。しかしキョンシーを扱える道士の人数にも限りがある。


(ま、そもそも桃玄道士隊とうげんどうしたいがほぼ、機能停止状態なのが問題ありなんだけど)


 とは言え、二名から構成される桃玄道士隊よりも杏玄道士隊あんげんどうしたいの影玄部の方が圧倒的に道士の人数は多い。


(やっぱ、ここは杏玄の影玄部に頑張ってもらわないと)


 依依は自分たちの無力ぶりはさておき、改めてそう思った。


「最初は確かに後回しでもと思っていた。しかし天子様にこの事が伝わってしまい、早急に解決せよと言われてしまってな」


(て、天子様!?)


 依依は雲の上に存在するに等しいと思う人物の名が飛び出し、ぴしりと姿勢を正した。


「そうでしたか。私も赦鶯様の身にそのような事が起こっていると気付かず申し訳ございません」

「いや、私はしばらく科挙試験絡みで忙しくしていたから。お前とはしばらく顔を合わせていなかったのだから仕方がない。気にするな」

「お気遣いありがとうございます。とは言え、科挙の登第者とうだいしゃ発表までは恨みを買う事が多いでしょう。だとすると赦鶯様の元を訪れるキョンシーが今後も増える可能性があります。いや、登第発表後がある意味修羅場か……」


 燈依がため息混じりにそう口にした。


「しかも日に日に凶暴になっているような気がするんだ」

「満月ですから」


 今度はキョンシー専門家とも言える依依が赦鶯の言葉に端的に答える。


「そのようだな。だから、と言ってはなんだが、あまり褒められた事ではないとは思いつつ、今日燈依の元に道士が訪ねてきていると聞き、討伐を願えないかとこちらにお邪魔した」


 赦鶯が来訪の目的をようやく白状した。


「なるほど、だから私の部屋へ。来客中に赦鶯様が私を訪ねて来るなど、珍しい事もあるもんだなと驚きましたよ。しかも赦鶯様は本日前殿ぜんでんで天子様と供に政務をされているはずだと記憶しておりましたので」

「だから私がキョンシーに襲われている事が天子様に見つかってしまったんだ」

「なるほどそういうことでしたか」


 依依が燈依の顔をうかがうと、燈依は確実に視線を赦鶯の目の下の隈に向け、そして納得した顔をして小さく頷いていた。


「家族水入らずのところをすまない」

「いえいえ、金の無心でしたし」


(兄様、そこはやんわりと隠して欲しいのですが)


 依依は恥ずかしさと不甲斐なさで思わずうつむいた。


「しかし丁度良かったですよ、赦鶯様」

「丁度良かったとは?」


 燈依の言葉に赦鶯が食いつく。


「妹の師である劉帆リュウホ道士がぎっくり腰になったため、現在桃玄道士隊は開店休業状態らしいのです」

「兄様、私をお忘れです」


 依依は自分も一人前だと頬をふくらませる。

 確かに依依一人では実の所、開店休業とも言えなくもない。しかし気持ち的には休業などしていない。むしろ新装開店、やる気に満ちているのだ。


「本人はこう申しておりますが、道士隊の任務とは言え夜道を一人で歩かせるのは兄として忍びない」

「夜道を一人で歩けなきゃキョンシーは倒せませんよ、兄様」


(だってキョンシーは夜行性なんだから)


 依依は燈依に真っ当な意見を述べる。


「つまり燈依は私の厄介事をそちらの道士に引き受けさせてくれるという事か」

「えぇ、そうです。天子様のお住まいであるここ、天楼城は国一安全とも言える場所。それに加え、私はあなたに恩を一つ売ることが出来ますからね」


 怪しく微笑む燈依。

 依依は普段とは違う腹黒いものが漏れ出す燈依を目の当たりにし驚く。


(なるほど、これが処世術)


 依依は時には腹黒い駆け引きも必要なのだと、我が家の出世頭兼打ち出の小槌である燈依を見習うべく、目の前で交わされたやりとりを心にしっかりと書きとめておいた。


「確かにそうだな。燈依、では頼む」

「早速本日の夜より腕のいい道士を赦鶯様の元へ一名ほど、派遣させて頂きます」

「腕のいい……か。それは頼もしい。邪魔して悪かったな。では」


 赦鶯はそう口にするや否や、慣れた様子で長い深衣しんいの裾を踏むことなく美しい所作で立ち上がる。

 そして視線はそっぽに向けたまま依依に軽く頭を下げると、金色に輝く金魚袋きんぎょだいを腰脇で揺らし、赦鶯は呆気なく部屋を出て行ってしまった。


 小気味よく交わされる燈依と赦鶯の会話をただただ、腑抜けた顔で聞いていた依依は燈依に尋ねる。


「ええと、兄様、今の話の流れからすると?」

「良かったな、人助けが出来るぞ。金と劉帆先生の事は俺が何とかする。だからお前は一度義荘ぎそうに戻り支度をし、またこちらに戻って来なさい。いいね?」


 燈依はこれは決定事項だと言わんばかりの有無を言わさぬ勢いで依依に指示した。

 そして懐から「とりあえずはこの金でなんとかしなさい」と燈依の体温でほんのりと温められた銭を渡された。


(桃玄道士隊は兄様次第……)


 受け取った銭のぬくもりを受け、改めて強く感じる依依。


「はい、かしこまりました」


 素直にそう答え、依依は慌てて義荘に戻ったのであった。

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