第16話 不眠症になった赦鶯
突然部屋に侵入してきた目の下の隈が凄い謎の青年。
青年は室内の状況を素早く確認したのち、ピタリとその場で静止した。
「
固まる青年赦鶯に対し
「…………なるほど」
まるで人形と化していた赦鶯がようやく動き出し、燈依の部屋の扉を閉めた。そして燈依に促され今まで燈依が腰掛けていた椅子に当たり前のように腰を降ろした。
明らかに燈依より年下に見える赦鶯。
しかし年長者である燈依が迷わず立ち赦鶯にその席を譲った。
(しかも、身にまとう
しかも突然部屋に乱入してきたにもかかわらず、燈依はその行動を咎めるどころか、驚きつつも歓迎している様子だ。
(一体この人は何者?)
依依はその答えを探ろうと赦鶯を観察する。
赦鶯は椅子に座り深衣を整えるように身動ぎする。するとカタンと音がした。依依はその音を視線でしっかりと辿る。そしてすぐ、その正体に気付く。
(なるほど。あの小箱)
どうやら音を鳴らしたのは、赦鶯の右腰につけられた金が表面に張られた小箱であった。その事に気づいた依依はきらめく小箱をしっかり凝視する。
紫色の絹で縛られた
(あれってもしかして……)
依依の脳裏に思い当たる箱の名が浮かぶ。
赦鶯が腰帯にさりげなく下げているのは、通称
(しかも外装が金色ってことは、最低でも
依依は
そして再度眩しすぎるその箱を凝視し、依依は今すぐここから逃げ出したい気持に駆られる。
(何か不敬な事をする前に、立ち去る方法を探らなければ)
そう閃いた依依は金魚袋を見つめながらソワソワとしだす。
すると赦鶯は無遠慮に依依が見つめていた金魚袋を、さりげなく深衣の下に隠してしまった。
「大丈夫ですよ、私の妹ですから」
燈依がまるで安心させるように穏やかな声で発したのは明らかに依依のこと。そしてその言葉に無言で頷く赦鶯。一連のやりとりを目撃した依依は一体何が大丈夫なのだろうかと不可解な言葉に思わず首を傾げる。
「で、どうされました?」
燈依の問いかけにチラリと遠慮がちな視線を依依に向ける赦鶯。
しかし視線が合ったのは息を吸う間もないくらい。ほんの一瞬であった。
(解せぬ)
依依はまたもや首を傾げたい衝動に駆られる。
(難易度が高いんですけど)
交わしたその視線の意味が「邪魔だ出ていけ」であるのか「これが燈依の妹なのか」なのか。はたまた全く違う意味なのか。たった今僅かばかり交わされた赦鶯の視線が訴える意味。それが即座に判断出来ず、依依はひたすら戸惑う。
しかも赦鶯は一瞬依依をチラリと確認したものの、現在は確実に依依から顔を背け燈依に顔を向けているという状況。
(これはまずいのでは?)
依依は新たなる問題に気付く。
現在依依は赦鶯と挨拶を交わすタイミングを何となく逃がし、更に言えば挨拶を交わさなかった事で「私は失礼します」と自然な感じで退席する機会を失ってしまったのである。
(どうしたものか)
依依はさりげなく自分の隣に腰を降ろした兄、燈依に視線を送る。
すると燈依は依依に小さく頷き、それから赦鶯に声をかけた。
「妹の要件は終了しました。帰した方がいいですか?」
(流石兄様、察しが早くて助かる)
依依は「これぞ身内の為せる業」だと燈依を頼もしく感じた。
「いや、その……燈依の妹は道士だったと記憶しているのだが」
「おっしゃる通りです。しかし赦鶯様。目の下の隈が凄いですよ?」
「眠れないんだ。あの日から」
「あの日……科挙の監督官長をなさった日ですか?」
「そうだ」
(凄い、ちゃんと会話になっている)
必要最低限の言葉しか発しない上に、依依の存在をないものとして扱う様子の赦鶯。
そんな不可解な人物の述べたい事を、どうやら燈依は先取りし理解している。
依依は思わず燈依の察しの良さに感動する。
「依依、赦鶯様は現在行われている科挙試験の監督官長をなさった日があったんだ。その時に不正した男を何人も牢に送った。しかしその男達の中で後に自殺した者がいた。しかも自殺したその男は、赦鶯様を逆恨み「呪ってやる」と最後に口にしたらしい。そして現在赦鶯様は不眠症になっている。どう思う?」
事前に赦鶯を取り巻く事情を知っていたとしても、どうしたらあの会話でそこまで詳しく理解出来るのだろうと依依は疑問に感じた。
(やはり、頭の良い人は会話にも無駄がないと言うことだろうか)
依依は一先ずそう結論づけ、燈依に投げかけられた質問に答えるべく口を開く。
「兄様のご想像通りの事が起こっていると思います。赦鶯様、夜中にキョンシーの気配は感じていませんか?」
依依は単刀直入に赦鶯に自分の質問をぶつける。
やたら挙動不審な赦鶯は依依の事を道士だと口にしていた。となると目の前の高貴な人物、赦鶯の抱える悩みはキョンシー絡みなのだろうと依依は察したからだ。
「毎晩俺の部屋に数人ほど入りたそうにしている」
「え?」
「勿論、霊符を扉に貼り中には入れないようにしている。しかし扉がガタガタと絶えず音を鳴らしているので眠れない」
(あー、なるほど?確かにそれはきついかも)
依依は同意しかけ、問題はそこではないと赦鶯に驚きの視線を送る。
(というか、何故すぐ
キョンシーに噛まれた場合、噛まれた者もキョンシーになってしまう。例のねずみ算式に増えるというキョンシーの特性だ。つまり放置しておけばそれだけ被害が拡大する恐れがあるということ。
(それだけは見過ごせない)
依依は志半ばにしてこの世を去る事となった父、
(何で放置出来るのか意味がわからない)
依依は悔しい思いを抱く。
そもそも
そして礼部より
勿論キョンシー案件は迅速な対応が求められる為、民が直接道士隊に助けを求める事もある。しかし各道士隊の力をもってしても、全国のキョンシー発生をくまなく
「何で放置しておくんですか?まさかあなたにはキョンシー願望が?」
「おい、依依。そんな馬鹿な事があるか。流石に失礼だぞ」
燈依が即座に依依を咎める。
「別にそういうわけでは」
ボソリと赦鶯が呟く。
「じゃ何でキョンシーを放置するんですか?しかも礼部に所属する兄様と顔馴染みって事は、あなたは一般の人よりずっと通報しやすい環境にいるってことですよね?」
「おい、依依。やめなさい」
「だって、みんなの見本になるべき偉い人なのにキョンシー通報の義務を放置しているだなんて、そんなの見過ごせません。父様みたいな人が増えちゃうって事ですよ」
依依は自分が感情的になっていると理解しつつ、必死に燈依に訴えかける。
父である俊依がキョンシー化されその生命を絶った時。
依依と燈依は誓った。いずれ依依は道士として、燈依は官吏として、この世に不運からなるキョンシーを増やさない為この身を捧げると。
(だから兄様だって礼部で頑張っているんじゃない)
依依は悔しいといった感情が込み上げてきて思わず泣きそうになる。
(泣いてなるもんか)
依依はひたすらそう言い聞かせ、膝の上に置いた両手を強く握るのであった。
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