第8話 杏玄流との決別

 明かされた事実に依依イーイーは身の毛がよだつ思いで立ちすくむ。


 水鏡天幻法すいきょうてんげんほうが凄いのは知っていた。


(だけど、我が身にふりかかるともはや呪われた道具としか思えなくなってきちゃったんですけど)


 依依は咄嗟に抱いた思いを不謹慎すぎると判断し、流石に口にはしなかった。


 しかし人の生き死を定めてしまう水鏡天幻法は本当に正しい未来を示しているのかと、依依は疑いの気持ちをつい心に抱いてしまう。


(それに、ようやくわかった気がする)


 依依は自分の中でひたすらわだかまりを持ち存在していた件を思い出す。


(そう、私の身に起きた謎の体調不良事件……)


 新たに知り得た情報を整理し、依依の頭の中に一つの仮説がはっきりと浮かび上がる。


凛玄リンゲン兄様と私は恋仲だった)


 しかもその事実は公然の秘密として杏玄流あんげんりゅうの中で知れ渡っているという状況だ。


(だから確実に掌門しょうもんだって私達の事を知っていたはず)


 何故なら――。


『父上がお前の誕生日が来たら、皆に私達の事を公表して良いと。つまり俺がお前との結婚を望んでいるという件を父が認めてくれたという事だ』


 依依は凛玄が明るい顔で自分に告げた言葉を思い出す。


 この言葉が現在示すのは、もはや嬉しさでも、照れでも、恥ずかしさでもない。

 事前に掌門が凛玄と依依の仲を知っていたという動かぬ証拠である。


 一体どの時点で掌門の所に思蘭公主と凛玄が婚姻するという話が浮上したのかわからない。


(だけど凛玄様のお相手は公主様。となると皇帝である天子てんし様のお許しだっているだろうし、そんなにすぐに決まる訳がない。内々に話し合いが行われていたに違いない)


 つまり、思蘭スーランと凛玄。水鏡天幻法が明るく示す二人の婚姻関係を何としても結びたい掌門は凛玄に対し、依依と婚姻関係を結ぶ事を許すと口にし、裏では凛玄と依依の仲を裂くような工作をしていたと考えられる。


(何でそんなややこしい事をしたのか)


 杏玄流では水鏡天幻法が示すものが絶対であるように、杏玄流の代表である掌門が決めた事は絶対である。


(それは例え身内の凛玄さまでも、例外ではない)


 だとするときっぱり凛玄に「お前は思蘭公主と結婚させる」とでも告げれば済む話である。


(違う、今の凛玄兄様の状況が答えだ)


 依依にとっては嬉しくもあり、厄介でもある凛玄が依依を想う気持ち。

 それはかなり真剣で重いものである。そして、現在凛玄はまるで遅咲きの花のように、掌門に対し絶賛反抗期中であるかのような、ふてぶてしい態度を取っているとの情報もある。


(となると、道士業務に支障をきたしかねないわけで)


 まさに困った状況に陥っている事が安易に想像出来る。


(でもそれは、私が生きているから。もし私がポックリ死ねば、そしてその原因が誰のせいでもなければ、凛玄兄様は私を諦めるしかない)


 そのために重要なのは、依依の死因が「誰のせいでもない」という部分である。


(となると、私の身にふりかかった謎の体調不良が確信に迫っちゃうのですが……)


 依依は身に覚えがありすぎる事実を思い出し、顔を青ざめる。


 突然発症した謎の倦怠感。依依は風邪だと思い込もうとしていた。しかし生まれてこのかた自分の健康状態に関し何らかの不安要素を抱いた事がなかった依依にとって、明らかにおかしい状況が続いていた。


 しかし、その謎の症状は誕生日を境に急に改善を見せはじめたのである。


(確証はない。でも私は何か呪い……もしくは毒にでもやられていたのかも知れない。だけど私の誕生日に水鏡天幻法が私を逃がせと急に掌門に示した。だから掌門は私を殺すのではなく、逃がすよう仕向けた)


 そこで咄嗟に思い浮かんだのが、先程劉帆リュウホが気付いた通りの案である。

 掌門は劉帆が杏玄流を去る決意をしたのを利用し、依依が劉帆に引き取られるよう、わざと難易度の高い任務を依依に押し付ける事を閃いたのかも知れない。


 その結果依依は杏玄流を去る事を決意し、まんまと掌門の元にその事を伝えに訪れているのである。


(謎は全て解けた……けど、いい気はしない)


 仲間である依依に対し取った残酷な掌門の判断に依依は悲しみを覚え、項垂れる。


「人の運命は今この瞬間も変化を続けている。今の時点でお前は天仙てんせん様によって生かされた。しかしそれが永遠に続くものではない。その事は肝に銘じておきなさい」

「……はい」


(つまり一時しのぎで私は生かされたってことか……)


 水鏡天幻法のお告げより今は助かった。けれどその采配は今後も続くとはわからないと、掌門ははっきりと依依に告げた。それは水鏡天幻法が依依を殺せという未来を掌門に見せた場合、掌門はまたもや依依の命を狙うと容赦なく告げているのと同じこと。


(なるほど。私は首の皮一枚で繋がっているって感じなのね)


 依依は何とも言えない、微妙な気持になる。

 出来れば今後一切、天仙が依依を「取るに足らぬ小娘」として認識し、水鏡天幻法で依依の未来を映し出さないでくれますようにと密かに願わずにはいられない状況だ。


「今回の占いの結果。それに対し正直私は安堵している」

「安堵ですか?」

「私はお前の扱いに正直困っていた。なぜなら私はお前に恩を感じているからだ」

「恩ですか?それはむしろ私の方が感じていますけど」


 依依の正直な呟きに掌門が口元を緩ませた。

 その柔らかい笑みがどこか凛玄を思わせ、依依は胸がざわつく。


「凛玄とお前は共に育ち、自然な形でお互いを支え合い、そして切磋琢磨し成長した。凛玄が成長出来たのはお前に負けたくない。その気持ちが大きかったのだろう」

「でも大師兄だいしけいは……凛玄兄様は常に杏玄流を背負う使命をお忘れになっていませんでした」

「確かに跡取りとして、私も凛玄を誰よりも厳しく育て上げた。しかし未熟な凛玄がその厳しさについてこれたのは依依、お前に対する単純な思いが後押しをした事は間違いない」


 掌門は依依に顔を向けた。

 そこに浮かぶ表情は先程まで依依が感じていた、杏玄流の為ならば人の命の一つや二つ、そうなろうと構わないといった冷酷さを漂わせるものではない。

 いつになく柔らかく、とても人間らしく穏やか。自分に向ける温和な雰囲気は凛玄の父親としての姿そのものだと依依は感じた。


「慕う娘に失望されたくない、いやむしろ良く思われたい。そんな単純な思い。私にも妻に対し同じように思う時期があった。だから奴の事は手にとるようにわかる」


(そんな感じなの?)


 今まで凛玄と共に育ってきた依依は拍子抜けする。

 というのも、凛玄はそれなりに杏玄流の跡取りとして相応しい男になるのだと、散々口にし、そして鍛錬の壁にぶつかる度に悩んでいたのを知っていたからだ。


(まぁ、でも確かに私だってよこしまな気持がなかったとは言えないか)


 大好きだった凛玄に見限られないように。そして少しでも近づきたくて修行に励んでいたという自覚が依依にもしっかりとある。


「愛は世界を救うと言うが、ある意味それは間違っていない」


 他人にも自分にもいつでも厳しいという印象だった掌門の口から「愛」などという、甘い言葉が飛び出し依依は目を丸くする。


「そうじゃな。慕う娘の気をひきたくて修行に励んだ結果、強くなる。それは大昔からよくあることじゃ。ま、負けたくない相手というのはいつの時代も道士にとっては大事な存在。わしもまだ孫には格好をつけたい、そう思うしな」


 劉帆がおどけた顔を依依に向けた。


「だったら、劉帆道士。杏玄流でまだまだ頑張ってもらえないか?」

「それはお断りじゃ。儂は儂の思う道を極めたい。それは武道家として一度は夢見る事じゃろう?」

「確かに。もしそれが許される身分であれば、私も願ったかも知れん」


 どんな時も杏玄流の事を一番に考える掌門が口にした意外な言葉に依依は驚く。


「しかし私は杏玄流を背負う宿命を背負って生まれた者。それは凛玄もまた同じ。今回の件はどうしても断る事の出来ぬ案件だった。そして水鏡天幻法の結果もまた、公主様に導かれるよう示している。この事を悪く思うなとは言わない。しかし息子を恨まないでいて欲しい」

「……別に恨んでません。それに私は」


 依依は「まだ凛玄が好きだと」その言葉をうっかり口にしかけてやめた。

 勿論きっぱりと身を引く覚悟は出来た。けれど凛玄を慕う気持ち。それは簡単に消えるものではない。

 それに正直な思いを口にしてしまえば、凛玄を慕う気持ちが溢れ出し杏山を去る。その決意が自分の中で揺らぎそうだと、依依は咄嗟に口を固く結ぶ。


(それに天仙様が私に逃げ道を与えてくれたわけだし)


 その事を依依は心底有り難いと思った。

 なぜなら、凛玄が思蘭と仲睦まじく暮らす姿を目の当たりにしながらここ杏玄流で道士として生きるなど、凛玄にまだ思いを残したままである依依には到底耐え難い事だと想像出来たからだ。


(それにこれから私は自分の心で感じる善を貫く)


 それは責任の伴う事だと、依依は背筋を伸ばす。


「掌門。お前には恩もある。しかし、お前の息子の問題はお前の問題じゃ。儂の孫はもう自分の気持にきちんと向き合った。ここから先は別の道を歩む者になる。お互い干渉し合うのはやめようではないか」


 劉帆がハッキリと決別の言葉を掌門に向かい口にする。


「そうだな。今まで何代にも渡り杏玄流の為に尽くしてくれた恩を私は忘れない。何か困った事があれば……っと、そうだな。お互い干渉せず、でしたな」


 掌門は何処か寂しそうな顔を劉帆と依依に向ける。

 その顔を目の当たりにした依依は気づいた。


(そっか、私が掌門を心底嫌いになれないのは、きっと凛玄兄様に似てるから)


 見た目も、そしてふとした瞬間に漂う優しい雰囲気も。


 色々な葛藤は抱えたままだ。

 けれど、長年世話になった掌門との別れが、最後は穏やかなもので終わる事が出来て良かったと、依依はそこだけは心底安堵していたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る