第7話 水鏡天幻法が示す未来
杏玄流と縁を切ると決意をした依依。
劉帆に付き添ってもらい、
「すまぬな。しばし待ってくれ」
法術鞄と同じ文様。
掌門は台の上に置かれた大きな銀の
水鏡天幻法は上手く浄化出来ず、この世にとどまり続ける霊を浄化する事もできるし、遠く離れた場所の風水を見る事も出来る。修行を積み最上級の道士となると、過去、現在、そして未来が映像となり水に映し出される法術とされている。
ただし未来を占う事に関しては
水鏡天幻法で、
これは天楼国の皇帝より杏玄流に課せられた
正直占いの結果を受け、本当にその結果通りに皇帝が従い、戦や
それでも水鏡天幻法は昔から杏玄流が天楼国においてその名を馳せるきっかけになった法術だと言われているし、さらに言えば杏玄流ではその力があるからこそ、ここ天楼国は正しい道を歩む事が出来ていると解釈されている。
だからこそ杏玄流ではより重要な決定をする場合、掌門が必ず水鏡天幻法で占う決まりとなっている。そして占いの結果に従うというのは至極常識的なことくらい依依も理解している。
つまり、今まさに難しい顔をした掌門がその術を行使しているというわけで……。
(まさか、私の未来を占っているとかじゃないよね?)
依依は盥の中に入った水に棒を突っ込み、その水を覗き込んでいる掌門の状況に顔を顰める。
何故なら依依がこの場を去るべきかどうか。それが杏玄流にとって良いか悪いか。それを占われているのだとしたら、正直余計なお世話だと依依は思ったからである。
(私は誰が何と言おうとここを出ていく)
その決意をもって現在依依は掌門の元を訪れているのだ。
(私は出ていく、出ていく、出ていく)
固い決意を抱き、掌門が視線を落とす盥に、まるで呪いの呪文をかけるかの如く密かに唱える依依。
「ふむ、結果がでたようじゃ。待たせたな」
掌門は盥の中をかき混ぜていた棒を抜き取り、懐から出した布でその木の棒についた水滴を丁寧に拭き取った。そして依依に顔を向け口を開く。
「で、お前はどうするのだ?」
緊張した面持ちで掌門に向かい
それから事前に劉帆に指示されていた通りの言葉を口にする。
「私は杏玄流を去る
「凛玄はその事を知っているのか?」
(知るわけないですよね?)
接近禁止令を出したのは、あなたですよね?と内心苛々とする依依。
しかし相手は杏玄流で一番の権力者。逆らう事は依依の体に、そして心に教え込まれてはいない。その結果、依依は「いいえ」と小さな声で答えた。
(それにここが肝心。立つ鳥跡を濁さずと言うし)
今後も依依はここ天楼国で生きていく予定である。
(しかも道士として)
となると、仕事絡みで杏玄流の者達と今後一切顔を合わさないというわけにはいかない。
つまり天楼国において最大規模を誇る武道派組織である杏玄流を敵に回す事は是非とも避けるべき案件。そしてそのためには出来得る限り穏便に杏玄流と縁を切る事が望ましいのである。
「実はお前がこの場を離れる。その結論に達する事は既に予想できていた。何故なら水鏡天幻法の示す通りの道をお前が歩むよう導いたのは、この私だからな」
掌門の口から飛び出した言葉に依依はぎょっとする。
(それって、水鏡天幻法によって私が杏玄流を出て行く未来。その事をすでに掌門は知っていたってこと?えっ、それっていつからなの?)
様々な疑問が脳裏に浮かぶ依依。しかしそれを矢継ぎ早に問いかけたい気持を抑え、依依は掌門の顔をしっかりと見つめ次の言葉をジッと待つ。
「そもそも
掌門はそこで言葉を一旦途切らせ、僅かに眉の端を下げる。
「しかし、今は残念ながら凛玄とお前に明るい未来を示すものは見えない。ぼんやりと霞むだけだ」
(でしょうね……)
依依は内心冷めきった心で掌門の言葉に同意を返す。
水鏡天幻法で未来を占った結果、凛玄と依依が共に歩む未来を示していたとすれば、そもそも思蘭と凛玄の婚姻話自体、浮上しなかった可能性が大きい。
(水鏡天幻法で示される運命は良くも悪くも変化する)
そもそも杏玄流では、この世界には天仙により人々が掴む事の出来る無数の糸が垂らされていると言われている。どの糸を掴むか。掴んだ者の選択により、運命は分岐し人の未来も、そしてそれに影響される天楼国も良くも悪くも変化するのである。
(今回凛玄兄様と私の前にもう一本の糸。思蘭公主様の糸が垂らされた。そして水鏡天幻法は、思蘭公主様の糸を掴めと示したってこと)
そこまで理解した依依は全面降伏、白旗を上げる気持に襲われた。
何故なら水鏡天幻法で示された未来の暗示は天仙である神の意思。
(神様に立ち向かう勇気はないし)
依依は善の道を歩む道士だ。神に逆らう悪にはなりたくないし、運命に逆らおうと挑んだ所で、まさに骨折り損のくたびれ儲け。成果などあげられるわけがないのである。
「杏玄流では水鏡天幻法を介し天仙によって示された未来は絶対。その水鏡天幻法がお前をこの山から逃がせと暗示していた」
「山から逃がせですか……」
「そうだ。その暗示から私はお前と凛玄に明るい未来はないと読み取った。だから私はお前を影玄部に所属させ、道長の任務を与えたのだ」
掌門の言葉を受け、今まで静かに話を聞いていた劉帆が依依の隣に並ぶ。
そして掌門に対し納得したような声をかける。
「なるほど。だから掌門、おぬしは
「そういう事です。申し訳ない」
掌門が劉帆の推測を認め、形ばかり頭を下げた。
「つまりおぬしが儂の孫に技量以上の仕事を任せたのも、なるほど。そういうわけか」
自分だけ理解したといった様子で髭を撫でる劉帆。
そんな劉帆の姿を眺めながら釈然としない気持ちを抱えたままの依依。
「
依依はたまらず、劉帆が発した言葉の意味を問いかける。
「到底達成など出来ぬ、しかも命を失いかねないような危険な任務をお前に与えれば、儂が動くと掌門は考えた。丁度儂も杏玄を去りたい旨を掌門に伝えておったしな。その結果、穏便にお前は儂とこの山を降りる事になる。水鏡天幻法の示すお前の
劉帆は掌門の手の内を晒すといった感じで、ざっくりと依依に説明を返す。
(でもだったら最初から素直に水鏡天幻法が山を降りろと示してるって、そう言ってくれたらよかったのに)
依依は内心、何でそんな回りくどい事をするのだろうと、不可解な思いを掌門に抱く。しかしだからといって、この場に流れるどこかぎくしゃくとした雰囲気の中、依依はその疑問を口に出来る気がしなかった。
その代わり思わず本音を小声で漏らす。
「何だかよくわかりませんが、結局のところ私は水鏡天幻法によって……というか天仙様によって救われたという事なのか」
(水鏡天幻法を通し、天仙様が私を殺せという未来を掌門に見せていたら、そこで私の人生は確実に終了していたというわけで……こわっ)
依依は改めて水鏡天幻法の見せる未来という物の恐ろしさを思い知った。
今回依依は占いによって助けられた。しかし逆に考えると占いにより抹殺される者も確かにこの世に存在するという事実を暗に示しているのである。
「そうだな。その事については否定しない」
感情のこもらぬ淡々とした掌門の声に依依は震え上がる。
「実は水鏡天幻法の見せる天仙様のご意思。それがお前を生かせと私に示したのは、お前が道士になるその日の朝だった」
「えっ、朝ですか?」
依依は素直に驚いた。
自分が呑気に番の鶴を眺めている頃、掌門は依依の行く末を占っていたのである。
(恐ろしいんだけど)
とは言え、凛玄は杏玄流にとって大事な跡取りだ。
その行く末に関わる人物の未来を占う事。それは掌門にとっても杏玄流にとってもごくごく自然な事なのである。
(そっか、そうだよね)
依依は納得すると共に、今まで感じたことのないくらい凛玄を遠くに感じた。
「それまで水鏡天幻法は思蘭公主と凛玄を共にすべきだと受け取れるような未来を示し、その上で二人の未来に障壁となり得る者は排除せねば、この国に陰りが見えると取れるような、そんな不穏な暗示を見せていた。だから私は杏玄の未来を思い、ある決断をせざるを得なかった」
掌門はとても厳しい顔を依依に向けた。
しかし依依と視線が絡んだ掌門は僅かにその顔に居心地の悪さを浮かべる。
その表情を見て依依は悟る。
(そっか……掌門は水鏡天幻法が示す未来に向かわせるため、やっぱり最初は私を殺す気だったんだ)
水鏡天幻法が示す未来は絶対である。
そして水鏡天幻法が示すのは、思蘭公主と凛玄が共に歩む未来。
それを叶える為ならば、掌門は道端に落ちる雑草を摘み取るように、根こそぎ凛玄の前から邪魔者を排除しようと考えていた。
そしてその邪魔者とは、目下のところ依依だったようである。
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