第弐の告白・邂逅
私は、恋というものは病だと思うのです。
医者に診てもらっても、薬を飲んでも、決して治ることはなく、かといっていっそ命を絶ってみたところで、この心というものには残ってしまう。この身を火で焼き尽くし、骨になったとて念となって残り、この世に在り続ける。それは恐らく貴方が死んだとて同じことでしょう。いや、貴方は夢人だ。死ぬなんて概念はそもそもないのでしょう。
しかしどうして、こんなにも重く厄介で、辛くて叫んでしまいたくなるほどの病を、人は抱えるのでしょうか。この病を、感情を抱えることを「幸せ」だと言うのでしょうか。
私にはとても耐えられない。
今すぐにでも消してしまいたいと願うほどに。辛くて辛くて、苦しくて、この胸の奥に渦巻く、貴方という人に焦がれる想いを捨ててしまいたい。
だって、貴方と私、結ばれることはないのだから。
なにも、結ばれぬ恋が嫌なのではありません。世の中には、「不可能」「叶わない」とレッテルを貼られようとも、そんな恋心を大事に大事に抱えている人間が山程います。けれども、私はそのどれとも違う。普通じゃない。世から卑下されるもの。忌むべきもの。それが私だけならまだしも、夢の中の貴方までそう思われてしまうのは悲しいのです。最も、他の人間に貴方の存在など分からないのでしょうが。
ある日の夕暮れ、私は川辺を歩いていました。特に理由はなく、ただぶらぶらと、当てもなく歩いていたのです。頭にあるのは、その暮色蒼然たる風景が、夕日の包み込むような朱が、幻想的で、いつまでもこの空のままでいいのになんていうくだらない戯言だけで、特別難しいことを考えているわけでもありませんでした。烏が鳴き、人もまばらで、ただ静かなその空間に響くのは、川の水が流れる涼やかな音だけ。
そんな空間が心地良くて、私はその音に耳を傾けていました。
そのとき、ふと疑問に思ったことがあります。微かではありますが、人の気配がしたのです。人が、川の水に濡れた音。飄々と、何でもないように流れていく水の音が、ほんの少しだけ、濁った音に変わった瞬間。私はその音のする方へ視線を向けました。
そこには、男がいました。
長髪。寝巻。私のあの、摩訶不思議な夢でしか会うことのできない、あの人によく似た男が。夢なんじゃないかしら。恋焦がれ、私が生きるために最も必要な存在となった人。
たしかに、そこにいる。目を疑い、何度も何度も瞬きをして、それでも視界に映る貴方は変わらない。
けれども、どこかおかしい。
そのとき、はっとしました。貴方の状況は、今ここで私が貴方に出会えたからと言って浮かれていてよい状況ではありませんでした。
「もし、なにをしていらっしゃるのですか」
声をかければ、振り向くだけのその姿も私の目にはとても妖艶に、性的に見えてたまらなくなり、胸が締め付けられました。
彼からしてみれば私はただの他人、見知らぬ男でしょう。きっと、こんな私を知ったら気味悪がる。それでも構わないと思うほどに、私は貴方の秀雅さに見惚れ、視線を奪われたのです。
「どちら様で」
貴方の口から零れた疑問があまりに当たり前のことで私はふっと笑い、
「失敬。貴方様が川に入ろうとしているように見えまして。昨今の世は雪でも降りそうなほど冷たい空気に満ちていますから、おやめになったらどうですか」
と、貴方の前だからといって、普段はとても使わないような言葉を使ってくどい言い回しになってしまったことに、私は心の中で嘲笑しました。
「この寒空の下だからこそ、入水でもしようかと思っていたところですよ」
「命を絶つおつもりでいらっしゃったのですか」
「ええ。あんたに止められたがね」
なんの悪気もなさそうに言葉を紡ぎ、笑う姿は、たった今死のうとしていた人間のものとは到底思えなくて、なんだか、自殺を誰かに止められることを望んでいたような、止められるのを待っていたような、そんな感じがして、
「なぜ」
と私の口は知らずのうちに理由を欲する言葉を紡いでいました。貴方が夢にとどまらず、現実でさえも死を望む理由を。なにもない、虚空に行きたいと願う理由を。
「人に話すようなことじゃあない」
貴方の返答を聞いて、始めて自分が踏み込みすぎた問いかけをしたことに気が付き、なんだか急に申し訳無さと恥ずかしさが押し寄せてきて、「これは失礼しました」と頭を下げました。
「けれどもあんた、俺の恩人に値するのか」
「いえ。お気になさらず」
「それでは駄目、駄目だ。明日、またここに来てくれ」
「ですが」
「礼という礼はできない。が、少し話がしたい」
そんなに迫られては、承諾をしないわけにはいかないではないか。私は一つ頷いて頭を下げ、帰路につきました。
有り得ない。まさか、あの人が、貴方が、実在していた。目の前に現れ、言葉を交わしたかと思えば、また明日も会えるだなんて!ああ、私はどうしよう。嬉しさのあまり死んでしまうかもしれません。貴方の前で倒れたりなんてしたらどうしたものか。頬が熱い。鼓動が早い。ついさっきまであんなに冷静だったというのに、貴方と分かれた途端、こんなに体が熱いのは、貴方のせいです。これは、貴方が私に灯した、真っ赤な火の熱さです。
私は壊れてしまうのではないかしら。熱くて熱くて熱くて、灰になってしまうのではないかしら。こんな想いを。貴方に届けることは決してできない、どこへやることも、どこへ捨てることも叶わない、この想いを。どうすればいいのでしょう。このままでは、大きくなるばかりで、いつか私の手に負えなくなったとき、どうなってしまうのでしょう。
獣。愛の獣。そんなものにだけはなりたくありません。
それでも。
もしもの話。もしも、私がそうなってしまったとき。誰かを傷つけることだけはないようにしたい。
今はそう、願うばかりです。
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