栄華ノ夢は一秒間。
緋川ミカゲ
第壱の告白・夢人
それは、魚の小骨が喉に刺さっているかのような、体が痒いのに、皮膚よりも更に奥のような気がして手が届かないかのような、そんな、全くむずむずもやもやする、はっきりしない感じなのです。この感情には、霧がかかっている。先の見えない、見ようとして掻き分けても掻き分けても、一向に晴れる気配のない霧のような、そんな感情です。
しかし、この感情に名があるのならそれはきっと、「恋」とでも呼ぶべき感情なのではないかと思うのです。
毎晩、同じ夢を見ます。
どこの誰かも存ぜぬ青年が、決まって命を絶とうとするのです。
全く気味が悪いことこの上ありません。
ですが唯一の救い。かの男は美しいのです。
ひょっとしたら女子なんじゃないかと思うほど美しいのです。長い髪、白い肌。年頃のお洒落に目覚めた女子たちが霞むほどに。
男は着飾っていません。ただ寝巻を着て杖をつき、風にその長髪をなびかせています。
恐らく病床に伏しているのでしょう。そんな己の身体に嫌気が差して自ら死の道を歩もうとしているのか、それともまた別の理由があるのかは定かではありません。
とにかく、私はこの男を知りません。
なぜ毎晩のようにして夢にみるのかも知りません。
ただ一つ言えるのは、かの男の顔が。声が。頭から離れぬということです。
自分は、世に言う「普通」ではありませんでした。
自分は、男が好きでした。
否、好きになった人が男だっただけのことなのですが、世間はそんな言い訳じみたことなど聞き入れてはくれません。
一時期流行った男色なんてものは自分には都合の良い流行りでしたが、自分のそれは流行りに乗るなんて類いの、遊びなんて類いのものではなく、本気のものでした。物心ついてから今までずっと、変わらなかったもの。
けれども、世間は許してはくれないのです。
男は女と、女は男と、立派な家庭を持つもの。
私のその人が好きだという好み、未来はその人と暮らしたいという理想、時には夜を共に過ごしてみたいという欲望は、当たり前に灰のようにして消え去りました。
自分は世の中の普通とズレている。そう気づいてからのことだったと思います。
毎日毎日、自分を殺して
毎日毎日、笑顔を貼り付け
毎日毎日、世を欺いて
毎日毎日、息をする。
「生きる屍」とはよく言ったものです。
元より、自分を屍にしたのは、自分自身なのですが。
必死に研いだナイフを、必死に振り回して、必死に身を裂き、必死に自分を殺す。
世の中の「普通」でいなければ、大人に殺されてしまうから。
「自分」の好みも理想も欲望も、「普通」であるために全部殺して。
私は機械、私は機械。そう言い聞かせて生きる毎日、なんの価値もない、生産性もない毎日。
人は、自分と、人のために働くと言います。
人のために汗を流し、人のために一生懸命に働く。
私には、そんな人はいませんでした。
私はただ、私自身のために働きます。
自分のために汗を流し、自分のために一生懸命に。
そんな、ハッっと鼻で笑えるほど滑稽な日々に、貴方は現れたのだ。
夢という非現実でも、貴方は美しく、私の心に光を差した。いや、非現実で、すぐに壊れて消えてしまう、「夢」という砂上の楼閣だからこそ、美しかったのかもしれない。
でも、それでもいいのだ。
貴方が美しいという事実は変わらないのだから。
かつて、私が夜という時をこれほどまでに待ち望んだことがあっただろうか。「生きるために休息をとる時間」でしかなかった夜という暗闇が「安らぎを得るために貴方に会う時間」に変わった瞬間。
この私が。自分のためだけに働いていた私が。貴方に会うための切符をもらうために、働くようになったのです!ああ、貴方はご存知ではないでしょう。これほどまでに貴方という男に恋焦がれ、毎日をガラリと変えられた人間がいることを。
夢というものは、たったの一秒だと言います。
眠っている間の数時間ではない。
明け方、洋墨を垂らしたような闇が朝日に照らされて浄化されていくと共に、小鳥がさえずる。そんな目が覚める直前の、たった一秒の間にみる夢でしか会えない愛しい存在。
まさに雀の涙とでも言いましょうか。その一秒間が、私にとって、私の二十四時間の中で、最も大切な一秒なのです。私は、その一秒のために生きている。その一秒を味わうために、息をする。
貴方といる時間は。その一秒間の夢の中では。私は私を殺さなくていい気がするのです。ありのままの、私でいられる気がするのです。
貴方は夢人だ。現実には存在しない人間だ。
だから、私は堂々と胸を張って言える。貴方が好きだと。貴方に、恋焦がれていると。
そんな貴方に会えるたった一秒のために、私は今日も自分を殺す。貴方に会う権利を、切符を、もらうために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます