第13話 懐疑

 「おじさん、ありがとう」と言って神崎は基地の正面ゲート入口でバスタオルに包んだフライトレコーダーを小脇に抱え、軽トラックを降りドアを閉めた。そして、開いている窓から寅夫を覗き込み、

 「ほんとに寄っていかないの?美香いると思うよ」と訊いた。

 「今日は帰るわ。時間が掛かり過ぎちまった」

 神崎たちは県道247号線を通り松島基地に戻って来た。千賀子が北上運河に落ちた現場辺りで行われていた検問による渋滞に巻き込まれ、基地への到着が遅れたのである。午後2時頃には着くだろうと思っていたが、今、時計の針は午後2時40分を少し回っていた。

 「そうだね。帰りは大丈夫?」

 「ぐるっと回り道して帰るさ。その方が早えや。それより翔太」寅夫は助手席側に身を乗り出し、

 「約束、忘れんじゃねえぞ」と念を押すように言った。

 「わかったよ。ただ、それは美香次第だかんね」

 「へへっ、任しとけって。んでなぁ」と言って寅夫は軽トラックを発進させた。

 「気を付けてーっ」離れ際に神崎が声をかけると、クラクションが「プッ、プッ」と短く2度鳴り軽トラックは遠ざかって行った。

 神崎は門衛の所に行き、「只今戻りました」と言い出入記録簿に名前等を記入していると、門衛が、

 「あれ、バイクはどうしたんですか?」と訊いてきた。

 「ちょっとね、知り合いの家に置いてきた」と答え「で、車で送ってもらったんだけど、途中警察の検問に捕まっちゃって遅くなってしまって」と続けた。

 「それって女の人を探している検問じゃなかったですか?」門衛の問いに、

 「そうそう、知ってるんですか?」と神崎は訊き返した。

 「それがですね・・」と門衛は神崎に話し始めた。それによると、食堂で働いている女が車で逃げ、それを公安の捜査員が追いかけて2台の車がゲートを突破して出て行き、その女の車が北上運河に落ちたらしいという事だった。

 そうだったのか。神崎の中で腑に落ちなかった事が少し分かった気がした。北上運河に車が落ちた辺りで行われていた検問は、てっきり自分を捜索している検問だと思ったのだが、警察官が尋ねてきたのは、不審な女性、例えばずぶ濡れの女性を見なかったか?ということだった。身構えていた神崎だったが拍子抜けし、「見ていません」とだけ答えて検問を通過した。北上運河に架かる橋の袂にパトカーが数台止まっていて、何人もの警察官が橋の周辺を捜索でもしているように見えたので、寅夫と「川に人でも落ちたのかね」と話して通り過ぎたのだった。

 でも、なぜ食堂の女を公安が追いかけていったのか?もしかしてスパイだったのか?

 神崎も食堂で千賀子を目にしていた。少しだけだが言葉を交わした事もあった。あんなかわいらしい女の人がスパイ?

 「パイロットさんですか?どんな飛行機に乗ってらっしゃるの?」とにこにこしながら訊いてきた時の笑顔を思い浮かべていた。気がつくと神崎は司令室の前に立っていた。

 ドアをノックすると、「どうぞ」と声がした。ドアを開け、中に入り挙手による敬礼をし、「只今戻りました」と神崎は言った。

「御苦労」富樫はデスクの椅子に腰かけていて、他には誰もいなかった。

「それがフライトレコーダーか?」神崎が小脇に抱えている物を見て富樫が尋ねた。

「はい、ブルーファルコンのフライトレコーダーだと思われます」

「こちらに持ってきてくれ」

「はい」神崎は富樫のデスクに歩み寄りながら包んであるバスタオルからフライトレコーダーを取り出し富樫へと手渡した。

「何か聞いたか?」富樫はフライトレコーダーを受け取りながら神崎に尋ねた。

「はい、門衛から・・少し」

「そうか・・」息を吐き出すように声を発し、「やっと今一段落し落ち着いたところだ」と言って受け取ったフライトレコーダーをデスクの後ろに置いた。

「食堂の女の人を公安が追いかけていったって聞いたんですけど、もしかしてスパイだったんですか?」

「公安によるとCIAの諜報員だと言うことだ」

「全然普通の人にしか見えませんでしたけど」

「ああ・・、これから少しの間、自分も含めてなのだが、基地の皆には調査隊と公安の捜査に協力をしてもらわねばならなくなるだろう」

 神崎は少し躊躇っていたが「実は、自分も司令に話しておかなければならない事がありまして」と切りだした。

「何だ?」

「はい・・」神崎はフライトレコーダーを取りに基地からバイクで出た所から白い車に後をつけられていた事を話し始めた。鮎川港で牡鹿丸からフライトレコーダーを受け取った後、追いかけられ逃げている途中に警察の取り締まりを突破したことや、追いかけてきていた車がひっくり返ったこと、そして、白バイの追跡から逃れるために美香の実家に逃げ込み、美香の父親に基地まで送ってもらった事などを包み隠さず富樫に話した。

「警察から逃げたか・・」

「やってはいけないことだとは分かってはいたのですが、あの男から逃げる事だけで頭が一杯で、申し訳ありません」

「やってしまった事は仕方ないさ。この事は私から公安の方に話しておく。おまえは公安から聞かれるまではこの事は話さなくていい」

「承知いたしました」

「ブルーファルコンが墜落してからスパイ騒動が立て続けにおきているな」

「墜落の原因究明どころではないですよね」

「そのことなのだが・・」富樫は一呼吸おいて、

「さらに厄介なことになりそうなのだ」と顔を曇らせた。

「どうかしたのですか?」

「先程公安から女が逃走に使った車のナンバーの問い合わせがあってな」

「はい」

「ゲートの出入記録と照らし合わせたら、その車が木佐貫君の車だったのだよ」

「え?なんで、ど、どうしてですか?」どもるほどに神崎にとっては木佐貫の名前はあまりに唐突だった。

「私にも分からん」

「木佐貫さんは何か言っているんですか?」

「いや、彼にはまだこの事は話してはおらん。今はおまえの帰りをプレハブで待っているところだ」

「じゃあ、ちょっと聞いてみましょうよ。自分が今フライトレコーダーを持って行きながら聞いてきます」神崎がフライトレコーダーを取ろうと富樫の後ろに回り込もうとした。

「まあ待て」と富樫は右の掌を神崎に向け、「今、公安が木佐貫君に直に事情を聞きたいと言ってこちらに向かっている。我々が話を聞くのはその後にした方がいいだろう」と制した。

「そういう事もあってこのフライトレコーダーはしばらくの間私の預かりとなる」富樫の言葉に、「木佐貫さんもスパイだと言うんですか?」と神崎は尋ねた。

「そうとは言っておらん。しかし、彼の車が逃走に使われたのは事実だ。なぜそんな事態になったのかということなのだよ」

「木佐貫さんはスパイなんかじゃありません」

 木佐貫は無口で無表情で感情の抑揚も見られず、冗談を言っても無視されるように受け流され、神崎にとって取っ付きにくい性格である。しかし、生理的に嫌いというわけではない。裏を返せば、常に客観的にそして冷静に状況を判断し適切な対応をする。慌てること無く淡々と事象に向きあい仕事をこなしていく。神崎が持ち合わせていない性格がうらやましくもあり、憧れているところもあった。そして、なんと言ってもブルーファルコンの主任設計士である。言わば木佐貫はブルーファルコンの生みの親みたいなものだ。

 神崎は木佐貫がブルーファルコンを慈しむように見ている姿を何度も見ていた。そんな我が子のようなブルーファルコンの情報を売るようなことを木佐貫がすることはない。

「そんなはずがあるわけないじゃないですか」神崎は重ねて言った。

「神崎、私もこれまで彼を見てきてそんな人間じゃないと思っている。だからこそ事実関係を調べなくてはならないのだよ。それが彼のためなのだ」

 富樫は諭すように言った。

 神崎は鼻から大きく息を吸い込み、そして吐いて、「分かりました」と言って敬礼をして、

「失礼します」と言い回れ右をして部屋を出て行こうとした。

「神崎、報告書、今日中だぞ」富樫は神崎の背中に向かって言葉をかけた。神崎は振り向き再び敬礼をして「了解しました。失礼します」と力なく言って部屋を出た。

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