第4話 動き
10月6日の朝、「もう始めていたんですか?」木佐貫が挨拶もせずに新田班長に声をかけた。木佐貫の腕時計の針はちょうど9時を指していた。
「おはようございます。主翼の付け根から始めています。時間をかけて少し丹念にしようかと思いまして」
新田班長は超音波探傷器のモニターを見ながら返事をした。
「よろしくお願いします。この機体は9Gに耐えられるように設計しています。ただ、昨日の神崎さんの話からすると瞬間的にそれ以上のGが掛かった可能性もあるかもしれません」
「そこなんですがね、そうすると機体よりも翔太の体の方が耐えきれないかと思うんです。いくら奴の体がバカみたいに頑丈でも」
「そうなんですよね・・」機体を見上げながら木佐貫は続けた。「私はこれから昨日の飛行データを解析します。そこから何か判るかもしれないので」
「自分も何か異常が見つかったら報告に行きますので」
「よろしくお願いします」
木佐貫はそう言うと格納庫奥のプレハブに向かった。そして歩きながら新田班長の言ったことを考えていた。瞬間的にでも9Gを越えたなら機体よりも神崎の体に何らかのダメージが残るはずだ。神崎の話によると急降下から機体を引き起こした際に一瞬グレーアウト症状を起こしたが、それ以外の旋回運動中にはなんら変わった事は無かったと言う。
木佐貫がプレハブの二階に入ると伊藤が既にフライトレコーダの解析を行っていた。
「おはよう。早いね伊藤君」
「おはようございます。早くデータを見たかったものですから」木佐貫を振り返ることなくデータを見ながら伊藤は挨拶した。
「何か気になる箇所はあったかね」伊藤の肩越しに覗き込むようにして尋ねると、
「一箇所あります。ここのところ」伊藤が指差しながら、
「一瞬ではありますが機体の真下方向に9Gが発生しています。その時の速度が時速900キロメートル、しかも高度が10メートル付近です」と言った。
「ちょっとありえない状況だな。特に高度が・・。これは?」
「はい、例の急降下した時のデータだと思います。直前の速度が時速1100キロメートルに達しています。毎秒250メートルから300メートルの割合で高度が落ちていますのでほぼ直角に降下しているものと思われます。そして、高度1800メートルを切ったあたりから減速が始まりGが急激に発生し始めています」
「そこから機体を引き起こしに掛かったというわけですね。それにしても高度10メートルとは、コンマ何秒かタイミングが遅れれば海面に激突だな」
「はい。ちょっと恐ろしいですね」
「それでいて戻ってきた時には平然としているんだから、戦闘機乗りの神経は凄いね」
木佐貫は呆れたように言った。
「ええ、でも一瞬でも9Gがかかって神崎さんがなんともなかったのが不思議で」
「彼等は耐Gスーツを着用している。そのスーツは2G程軽減してくれるので7Gぐらいの負荷だったのではないだろうか」
「そうですか。そう言えば昨日神崎さんは7Gに耐えられるように訓練されていると言っていましたよねぇ。それで大丈夫だったんですね」納得したように伊藤が言った。
「問題は機体の方だな。他に気になったところがないとなれば、やはりこの時に想定外の負荷が翼に掛かったのかもしれない。それが何なのか?何の力なのか?・・」
木佐貫は立ったまま腕組みをしてデータを注視した。
すると伊藤が椅子から立ち上がり、
「木佐貫さん、ここに座って検証してください。私、コーヒー入れてきますから」と言って一階に降りて行った。
木佐貫は椅子に腰を落ち着けると飛行データを始めから見直した。些細な事でも見逃すまいとじっくり見ていった。
一通りデータを見終わると椅子の背もたれに寄りかかり「うーん」と溜息混じりに低くうめくような声が出た。その時「遅くなりました」と言って伊藤がコーヒーを持ってきた。
「ちょうど神崎さんが来たもんですから話をしてたら遅くなりました」
伊藤は木佐貫の前の机にコーヒーを置くと「どうでした?」と尋ねた。
「いや、分からん」コーヒーを啜りながら「やはり、君が指摘した箇所に何かあるのかもしれない」と答え、「神崎さんとは何か・・?」と訊いた。
「ええ、そこの所を話したんです。そしたら神崎さんもビックリしてて、そう言えば海面すれすれの所で後ろの方から『ドン』という音というか振動みたいなものを感じたと言ってました」
「衝撃波? いや、それは無いな、音速を超えていたわけではないのだから」
「これは直接関係ないのかもしれませんが」前置きをして伊藤が続けた。
「新幹線がトンネルに侵入すると出口付近で『ドン』という音が聞こえるそうですが、それも衝撃波によるものだと聞いたことがあります」
木佐貫は暫し考え込み、
「空気の流れが何か関係しているのかもしれないな。とにかくこのデータに神崎さんの証言を添付して小牧に送って調べてもらおう」と言った。
10月8日、ワシントン、ホワイトハウス。
「ワインベイカーだが大統領は居るかね」
「お待ちください、今お取次を」そう言うと秘書官のウイリアムズが電話の受話器を取った。
「大統領、国防長官がまいりました。・・・・はい」
ウイリアムズは受話器を置くと「どうぞ」とドアの方に手を差し延べた。
ワインベイカーはドアをノックすると返事も待たずにドアを開けた。
「大統領、選挙中のお忙しい時に時間を割いていただき申し訳ありません」
「いや、構わんよ。大勢が見えてきたからね。昨日は日曜日であちこち飛び回ったが今日は一日ここに居るのでね」
「そうですか、勝利がみえましたか。それはおめでとうございます」
「いや、まだ油断は禁物だがね」と大統領のローガンは言ったが、その表情には余裕があった。
「それで、今日は?」
「はい、日本のFSXのことで」
「ああ、日本が開発している戦闘機だったかな? どこまで進んでいるのかね?」
さほど関心なさげにローガンが尋ねた。
「8月から自衛隊の松島基地に試作機を持ち込み試験飛行を繰り返しております」
「ほう」
ワインベイカーは一呼吸おいて、
「今度の試験飛行の時にF15を使い試作機にニアミスさせます。その時に万が一のことがあった時の対応を大統領にお願いしたく今日参った次第です」と言った。
「君がそこまでするということは、その戦闘機によほど脅威を感じているのかね」
「はい、CIAが入手したFSXの設計図とそれに関する資料をマクドネル・ダグラス社の設計士に見せたところ、F15に匹敵するかもしくはそれ以上の動力性能があると」
「なに?」ローガンは眉間にしわを寄せ睨むようにワインベイカーを見た。
「早めに潰しておいた方がよろしいかと」
「うむ・・、今度の試験飛行はいつだ? F15は何処から飛ばす?」
「はい、日本時間で15日に試験飛行が行われる予定なので、13日に沖縄の嘉手納から青森の三沢にF15を一機移します。そして、15日の試験飛行海域にバッファローを派遣し監視させ、試験飛行開始と同時に三沢からF15を飛び立たせます」
「撃墜するのか?」
「いえ、それはさすがに出来る事ではありません。本当にF15と同等の性能があるかどうかを確かめるだけです」
「分かった。何れにせよ日本側は何があっても公表できるはずがないのだからな。もし、何か言ってきたら私が対応する」
その言葉を聞いてワインベイカーは厳しい表情を少し崩した。
「それにしても日本はどこまで貪欲なのだ。自動車や家電製品、半導体では飽き足らず軍事分野まで乗り出してくるとは」
「しかし、開発したところで日本の憲法では輸出は出来ないはず」ワインベイカーが口を挿んだ。
「それは分かっているが、技術供与という名目で他国と手を組んで戦闘機を開発されれば、わが国の戦闘機輸出に影響が出て新たな貿易摩擦の火種になるとも限らん。それに、憲法改正という手もありえんことではない。いずれにしても早いうちに芽を摘み取っておかねばなるまい」
「それは同感でございます」ローガンの言葉にワインベイカーも同調した。
10月9日、自衛隊、三沢基地。
原村芳雄司令は午前中の業務が一段落するとデスクの電話機を見つめ息を吸い込み受話器を取りプッシュボタンを押した。
「三沢の原村だが富樫司令は在席か?」暫し待つと受話器の向こうから富樫が、
「おう、原村、久しぶりだな。三沢に行って1年ぐらい経つんじゃないのか?」と言ってきた。
「ああ、1年ちょいになるかな」と原村は答えた。原村と富樫は防衛大学校の同期だった。原村は成績が常に1、2を争うほど優れていたが気が小さく目立たない存在だった。対する富樫の成績は中の下といった所だが友達付き合いが良く、正義感が強く周りから信望を集めるタイプの人間だった。
「そうか、それで今日はどうした?」と富樫に尋ねられ、
「ああ、やっかいなお荷物を押し付けられていると聞いたものでな、どうしているかと思って電話してみたのだよ」と言った。
「FSXのことか?」
「うむ、どうなんだ? 実際の所使い物になるのか? 噂では優れた性能だということだが」探りを入れるように原村は聞いた。
「これは極秘事項になっているので詳しくは言えんが、まだ慣らし運転中みたいなもので本気で飛ばせてはいないのだよ」
「そうか」
「しかし、気を遣うことが多くて大変だよ。テスト飛行の時は基地周辺のパトロールや、墜落に備えヘリやT2を待機状態にしておかなければならないしな」
「それは大変だな。テスト飛行は頻繁にするのか?」
「週に1、2回程度だ。1回行ったら機体のあちこちを念入りに調べなきゃならんらしい」
「今度はいつだ?」
「ああ、15日の予定だ。本当は12日の予定だったんだがちょっとしたトラブルがあって延びたんだ」
それを聞いた原村は机のメモ用紙に15日と書き込んだ。
「いつまでそのお荷物の面倒を見なきゃならんのだ?」
「半年ぐらいとは聞いているがそれもはっきりしていない。三川重工さん次第と言うことらしい」
「気苦労が当分続くというわけだな」
「ああ、お前の方はどうなんだ? アメリカさんと同居じゃいろいろと大変だろう」
「そうでもないさ、昨日、今日に始まったことじゃないからな、うまくやっているよ」
「そうか、それを聞いて安心したよ。今度酒でも飲みながら愚痴りあうか」
「そうだな、互いに今の立場では愚痴る相手が近くにいないだろうからな。それじゃ、忙しい所邪魔してすまなかった」
「おう、じゃあな」富樫の言葉を聞いて原村は受話器をおかずに指で電話を切った。そして、指を離すとすぐさま別の所へ電話した。2回呼び出し音の後に「ハロー」と声がした。
原村は英語で話し始めた。
「マックか?」
「そうだ」
「今度テスト飛行が行われるのは15日だ」
「わかった」
その会話が終わると原村は受話器を置いた。
原村が電話した相手はアメリカ国防情報局のマクレガーだった。国防情報局はアメリカの国防総省に属する諜報機関でCIAとは別にFSXの情報を集めていた。国防情報局では1960年代から自衛隊内部に情報提供者をつくり増やしていった。表向きには親密な軍事関係を装っていても日本にとっては知られたくない内情は常にある。アメリカはその内情を常時把握しようと自衛隊組織の中枢人物に接触し情報収集していた。原村もその情報提供者の一人だったのだ。
マクレガーはアメリカ空軍三沢基地に滞在しCIA側と連携しFSXの情報収集に当たっていた。
マクレガーは早速ペンタゴンに報告をして、その後、空軍司令官室に向かった。
司令官室のドアをノックし「マクレガーです」と言うと、
「入れ」と中から声がした。
マクレガーが司令官室の中に入りドアを閉めると、ヘンドリクソン司令が椅子に座り書類に目を通しながら尋ねた。
「15日の件か?」
「はい。確認が取れました」
「うむ」ヘンドリクソンは書類を見るのをやめ老眼鏡を外し背もたれに寄りかかりマクレガーを見た。
「今朝、ペンタゴンから連絡が入った。13日に嘉手納からF15が来る。そして15日のテスト飛行開始と同時にここからF15を飛び立たせ、FSXの実力を調査させる。ということらしい」
「調査って、上空から監視するということですか?」
「いや、見ているだけでは動力性能などは分からん。空中戦でもせんことにはな」
マクレガーは驚いて尋ねた。
「空中戦に持ち込むんですか? 問題にならないんですか、そんなことをして」
「なるだろうさ。しかし、公けには出来んさ。大統領の承諾も得ているらしい」
「大統領が?」
「ああ、何かあったら大統領が対処するということだ」
「マック」少し呆然としているマクレガーにヘンドリクソンは続けた。
「15日以降は防衛庁の動きに注意しろと指示があった」
「は、はい。防衛庁ですか?」
「そうだ。15日を堺に日本側は情報漏洩元を探索すると思われるからな。CIAでは既に公安の動きを警戒し始めているということだ」
「了解しました」
「うむ。以上だ」
「では、失礼します」
マクレガーは司令官室を出ると、何かとんでもない事が起こりそうな予感に襲われた。気持ちを静めようとマクレガーは深く息を吸い込み静かに吐き出した。
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