第2章 2話
「この格好でいいのか?俺」
「妖精にとって人間の衣装なんてみんな同じよ。いいからほら、つかまって」
桜庭家の裏庭。
普段仕事でも着ていない(であろう)スーツ一式を引っ張り出そうとするレンの首根をつまみ、あたしは天を指さした。
「レンくん、お城の様子スケッチしてきてね」
登校前の愛那が壁にもたれて手を振っている。
「遊びに行くんじゃないんだぞ。……じゃあな、夕方には帰ってくるはずだから。気をつけるんだぞ」
「こっちの台詞だよ。プリメール、レンくんをよろしくね」
「任せて」
あたしはグーサインを出し、羽を広げ息を吸った。
レンの身体と自分を繋ぎ、妖精界への入り口を頭上に開く。
「行ってきます!」
降り立った先は妖精女王様の住処からだいぶ離れた一本道。
「城門をくぐるところからやるんだな」
「そのへんの礼儀は向こうと一緒ね」
遠く見える城に向かって羽(足)を進める。
「……ところで、ここは妖精の世界なんだろ?人間の俺にとって違和感のないスケールなのはどうしてだ?」
ああ。
「前言ったでしょ、過去の契約者に仕事の協力を依頼することもあるって。人間がここに来ること自体はしょっちゅう……ってほどじゃないけど、珍しくもないの。城にはそれ用のルートと空間が用意されてるのよ」
逆に言えば道の反対側にある街には人間が入ることはできない。とんだ大惨事になるからね。
「ふうん」
気のなさげな返事とは裏腹に、レンの視線はきょろきょろと泳いでいた。
木も草も空も、人間の世界とはやっぱり違う。観察眼が騒ぐのかしら。
……そういえば。
「ねえレン、あなた妖精女王様の肖像画を描いてたわよね」
「お……おう」
「あの方をどう思っているの?」
何気なく訊ねたつもりだったけれど、レンの顔色は目に見えて変わった。
「どうって……昔のことだし。愛那に語って聞かせた子供の頃の話はほぼ事実だし、なんかそれこそお伽噺の一幕みたいで、実感としては朧気なんだよ。あの絵も肖像画っていうより、記憶を繋ぎとめておくためって意味合いが強いかも」
「ふうん」
やたら早口だけどその答えは意外じゃない。妖精女王様は実際、大多数のヒトが抱く『妖精』のイメージに自らの姿を寄せているフシがある。
まあ今の口ぶりからして、レンが彼女に特別強い感情を寄せているわけではなさそうね……安心安心。あ、この安心っていうのは妖精女王様に変な虫がつく心配がないことであって……
「なんでそんなこと訊くんだよ」
「なんでかしら……」
「おい」
ほんと顔色の忙しい奴ね。さっきは青くて今は赤い。
もしかしたら人のことを言えないかもしれないけど。
そうこうしているうちに城門の前に辿り着く。
空を飛ぶ妖精が門を潜り抜けないよう、門と同じ高さに薄く結界が張ってある。
「契約妖精086459632。こちらの呼出状に従い、桜庭蓮二をシーシアス様の下へお連れするため参りました」
「よし、通れ」
看守がレンを一瞥する。
その視線に氷のような冷たさを感じ、ほんの僅か背筋が震えた。
……大丈夫。何を言われようが、妖精女王様がついているんだもの。
レンに危険が及ぶことはまずない、はず。
「契約妖精086459632。新米でありながら短期間で契約者の望みを叶え、任務を遂行させた貴殿の此度の働き、ご苦労であった」
「誠にありがとうございます」
妖精女王様のお屋敷の大広間。
あたしは膝をつき、頭上に降りかかるお言葉を粛々と受け止めていた。
この間と違うのは隣にレンがいること。
そして今頭上にいるのは、愛しい妖精女王様ではない。
「だがその働きに一つ見過ごせない要素があるな」
「……何でしょう」
相変わらずまわりくどい物言いがお好きなようで。
シーシアスの声は低く、感情を無理に平坦にしたような微かな揺らぎが特徴だった。
「その傍らにいる男──人間、桜庭蓮二がそなたの任務に度を超す干渉を行ったとの報告があるが、本当か?」
「偽りでございます、シーシアス様。確かにレ……彼は私の姿を捉え、契約者の恋路を共に応援しようと持ちかけてきました。しかしあくまで協力体制を取ろうという姿勢であり、妨害されたことは一度もありません。むしろ人間の協力者が存在したことで円滑に作戦を進められた部分が大きいです」
打ち合わせ通りの文言をすらすらと述べる。
「それは結果論ではないかね?」
眼鏡の奥がキラリと光る。
「契約妖精の任務に過去の契約者でない人間が関わることは本来有り得ない。実際、今期の契約妖精086459632の最終的な評価をどうするかで育成協会も頭を悩ませている」
「……そうだとしても、彼はこちらの事情を何も知りません。責任を負うとしたら私の方ではありませんか」
隣で肩が動く気配がしたけど構わず続ける。
「弁解するようで心苦しいですが──私は彼と初めて言葉を交わした夜、この羽で此処へと赴きました。そして妖精女王様に包み隠さず事情を説明いたしました」
妖精女王様の名を出した途端、シーシアスは眉をしかめた。
「その際、あの方はこう仰られました」
──人間にとって妖精が未知の存在であるように、妖精も人間の生態を知り尽くせるわけではありません。
──全てを無理矢理暴こうとすれば関係が破綻しかねない。かつての争いを繰り返してはならないのです。
「シーシアス様。妖精女王様はどこですか?」
さっきからずっと訊きたくてたまらなかったことを訊く。
「出向書の内容からして、私も彼もこの場で妖精女王様の申し開きを拝聴できるものと思っておりました。しかし彼女の姿が一向に見当たらない。どういうことでしょうか」
一息に、しかし感情的になりすぎないよう言い切った。
シーシアスは首を横に振り、
「全く……ティターニアめ、賢しい小娘を懐に置きやがる」
「え?」
バサッ、と羽が大きく揺れる。
シーシアスの羽音だ。
彼の吐く息が鋭い風になって、空気の鎖を作っていく。
その鎖が捕らえるのは──
「……レン!」
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