第1章 12話
翌日の教室は案の定大騒ぎだった。
「新藤、昨日アンタなにやったの!?」
「委員長と何かあったんだろ」
「まだつきまとってたわけ!?」
人一人がもみくちゃにされている図を間近で見るのはなかなかに圧巻だった。
新藤くんは何とか顔を突き出し、呼吸を整えている。
「何とか言えよ、メグ」
まず君らが落ち着きなさいよ。
「……ああ、そうだ」
彼の一言に一同がびくりと肩を震わせた。
「俺は桜庭さんと付き合っているのだ!昨日から!正々堂々とだ!も、文句がある奴はかかってこい!」
教室中に響く大声で、新藤くんは見事言い切った。じゃっかん棒読みではあるけれど。
皆声の出し方を忘れたように静まり返っている。
一人目が我に返る寸前──がらりと教室の扉が開いた。
「そういうわけだから。あ、ちなみに告白したのは私からです」
頼れる学級委員長のご登場だ。
先に教室へ入っていたあたしに密かにウインクし、愛那は人だかりに向かって颯爽と歩いて行った。
「い、委員長」
「桜庭……マジで……?」
「あっ桜庭さん、おはよう!今日は記録何日目でしょうか」
大型犬のようにじゃれつく新藤くんを、
「十日目。それはいいけど新藤、寝癖はねてる」
水のようにさらりと受け流す愛那。
そんな一見何も変わらないような「彼氏」「彼女」のやりとりに、クラスの皆はどうコメントすべきか悩んでいる様子だった。
「い、いや委員長、マジ?新藤だよ?絶対釣り合わないって」
女子グループの一人が恐る恐る声をかける。
「……そうだね。私は新藤みたいに明るくないし、100メートルを光の速さで走ったりできないし、給食のおかわりジャンケンで3連続勝ったりできないし……」
しおらしい表情を作る愛那。
「え、いや、そういう意味じゃ」
狼狽えた女の子の手を愛那はすかさず握る。
「ありがとう、心配してくれてるんだね。でも頑張るから、私と新藤を信じて応援してくれないかな?」
天使のような微笑みがとどめだった。
グループの女の子たちは顔を見合わせ、目線で渋々頷き合った。おおかた「今は引いておこう」でまとまったのだろう。
愛那はクラス全体を見回して言った。
「別に付き合ったからって今までと何も変わったりしないけど。みんなも何も変わったりしないよね?」
ここでようやく全員が気づいたようだ。
愛那が何を言いたいか。
「……うん、まあ……」
「本人たちがいいなら……」
「私は応援するよ─!」
心なしか肩を縮めている子、泣きそうな子、心から祝福している子、ばらばらに拍手が巻き起こる。
似合わないファイティングポーズを取っていた新藤くんも涼しげな表情を保っていた愛那も、このときばかりは少し照れくさそうだった。
もちろんあたしも拍手を贈る。音が響かないようにそっと。
愛那と新藤くんとそれから、ここにいない脚本家に向けて。
「おかえり。ひとまずうまくいったわよ、脚本家さん」
「……ただいま」
玄関前に佇んでいたあたしを、レンは面食らったように見つめた。
「いや、俺は方向性を示しただけだって」
学校での愛那の立ち回り。彼女に直接アドバイスしたのはあたしだけど、昨晩あたしに助言をしたのはレンだった。
『新藤の奴の性格からして、クラスの連中に隠し通すのは無理だろう』
『絶対無理ね』
『かといって公認カップルみたくするのは愛那が嫌がる──って、最初は思ってたんだがな』
『……どういうこと?』
『要は下手に囃し立てられなきゃいいわけだ。昨日見た感じ、愛那は女子人気は高いだろ?その立場を利用すればいい』
『……はあ』
『有象無象共に【あいつらには迂闊に触れちゃいけない】って思わせれば、こっちの勝ちだ』
「最後の最後に一番役に立ってくれたわね。恋愛成就とはあんまり関係ない部分でだけど」
「一言余計だ」
実際レンの目論見は概ね果たされた。皆気づいたのだから。
今まで「真面目な委員長」としてイジリの対象から外されていた愛那が、その立場を利用して
新藤に心無いことを言ったらどうなるか、わかるよね?──と。
「クラスの皆が完全に納得したとは思えないけど」
「そりゃそうだ、あくまで一時的な封じ込めだし。でも大抵の奴らは出鼻をくじかれたら一つの話題にそこまで執着しない。本当に不満な奴がちょっかい出してきたら……」
レンは一瞬口を噤み、迷いを断ち切るように言った。
「……ま、俺の姪と姪が見込んだ男ならちょっとやそっとのことで挫けたりしないだろ。最初から俺が出しゃばるのは筋違いだ。愛那が助けを呼んだらそのとき力になるさ。きっとそうしてくれる」
腰を屈めて目を合わせる。
「俺は愛那を信じてるからな」
「……それは何より」
一昨日自分がかけた言葉を振り返るのは、なかなかに恥ずかしいものがあった。
微妙に顔を逸らすと、窓から甘い香りが漂ってくる。
「……ん?愛那、何か作ってるのか」
「そうそう。今まで一緒にクッキーを焼いてたの。『レンくんには心配かけちゃったから、ごめんねも込めて』ってね」
「愛那……」
涙ぐむレン。
「さ、いつまでも立ち往生してないで入りなさい。あたしは退散するから」
玄関の扉を指し示すと、
「あんたは食べ……られないんだったか」
「愛那と同じこと言うのね」
思わず苦笑すると、レンは少し口を尖らせた。
扉から明かりが漏れる。
「……これからどうするんだ?」
「あたし?愛那の部屋で報告書を書くわ」
「いや、そうじゃなくて──」
言い淀んだレンの真意を察する。
「……そうね。上司に報告したら契約期間は終了。あたしはじき次の契約者のもとに行くわ」
「そうか。寂し……がるな。愛那が」
それはそうだろう。
「あたしも寂しいわ。でも永遠の別れじゃないし。あたしはずっと人間界で仕事をするからね、そのときは過去の契約者に仕事の協力を依頼することもあるわよ」
リビングに近づくにつれお互い小声になる。
「そういうもんなのか」
「他にはそうねぇ、いっそあなたが契約者になるとか。今度は愛那とあたしであなたの恋路を応援するわよ」
突然げほっと咳き込む音がした。
「え、大丈夫?」
「いや……ううん……何でも。さ、可愛い姪の手作り菓子にありつくとするか」
急に妙に明るい声色になったレンを見送り、あたしは愛那の部屋へ向かった。
背中の羽から一通の封筒を取り出す。
愛那の告白を見届ける前、妖精界で受け取ったものだ。
一つ大きな深呼吸をしてから、慎重に封を切った。
『桜庭蓮二殿
呼出状
契約妖精保護管理法第99条により、契約妖精086459632(以下プリメール)の引率の元下記の通り出頭を命じる。
出頭先:妖精界 契約妖精育成協会会長(以下ティターニア)邸大広間
出頭の目的:
貴殿のプリメールの本年度上半期契約業務への度重なる干渉について
貴殿の潜在的な異界生物認識能力について
ティターニアの貴殿に関する情報の隠蔽・秘匿・暗躍について
申し開きを求めるものとする。
契約妖精育成協会副会長 シーシアス』
10分の1サイズの便箋が手から零れ落ちる。
壁を隔てて愛那の、レンの、平和な笑い声がやけに耳に響いた。
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