第1章 11話




──あのね、初めて会った日、本当はこう言おうとしたの。

──え?

──私の恋が叶う見込みはどのくらいある?って。

──今も聞きたい?

──ううん。ここから100%にするんだもん!


瞬く間に時間は過ぎた。

「悪いわね、不法侵入させちゃって」

「ナチュラルに犯罪者扱いすんな。ちゃんと用務員に連絡して来たよ、『授業参観の日に忘れ物をしたので取りに行きます』って」

レンはがじがしと頭を搔き、校舎の壁に肘をついた。

「まさかあんたから呼び出してくれるとは思わなかったけど。──いいんだな? 俺も立ち会って」

肘の上にちょこんと乗る。

「ここまで来て今更蚊帳の外ってわけにいかないでしょ。ボーナスの前借りとでも思っといてよ」

精々すまして言うと、レンは目元を綻ばせた。

「前から思ってたけどあんた、割と俗っぽい表現使うよな。妖精も時代に適応するのか?」

「こ、これは妖精女王ティターニア様の──」

人間界トークに付き合ってたから、と言いかけて止める。

「……もう放課後ね。教室の様子を見てきましょう」

「新藤は本当に来るのか?」

あたしは答えない。

壁をカニ歩きして(姿を消してるからコソコソする必要もないんだけど)半開きの窓越しに愛那のクラスを眺める。

扉から生徒たちがどっと廊下へ流れていく。

その中に新藤くんの姿を見つけた。

焦るように駆け出す彼の首根を、男子グループの一人がきゅっと掴む。今朝ヘッドロックをかけていた男の子だ。

「メグ、んな焦ってどこ行くんだよ」

「あー……用事が」

「どーせ大した用事じゃねえだろ。な、またお前んちでマリカーやらせて」

「大事な用なんだ!」

はっきりと澄んだ大声が廊下に響く。

「ごめん。今は行かせてくれ」

落ち着き払った新藤くんの表情に、男の子は言葉を失っている。

何かが変わると悟ってしまったような顔をして。

廊下にいる生徒が好奇と戸惑いの視線を向ける中、新藤くんは今度こそ全速力で駆け出した。

ほう、と安堵の溜息が頭上から聞こえてくる。

「愛那は?」

溜息の主が聞いた。

「委員会の仕事があるのよ。だから余裕持って5時を指定したの」

ちなみに今は3時半。

「……あいつ、1時間以上も何してるつもりだ?精神統一?」

「あら、好きな子からの言葉を待つ心の準備なんて何日あっても足りないでしょう?」

あたしが下からウインクを飛ばすと、レンは何故かそっぽを向いた。

「とは言っても一人で中庭に待ちぼうけさせるのは心配ね。また結界を張るから見張りをお願い」

「え、大丈夫なのか?また倒れるんじゃ」

「昨日ほど強いものは使わないわよ。ほんの少しその場を目立たなくさせるだけ」

羽根を広げてレンに背を向ける。

「あたしはちょっと準備があるから、それまで頼むわね」

「準備?」

「ええ、大事な準備よ。時間までには絶対に戻るから」

「プリメール──」

そっと指先を掴まれる。

「どうしたの?」

振り返って問うと、レンは眩しげに目を細めて、

「……いいや、あとで言うよ。気をつけて」

「?……どうも」

「確かに準備は必要だよな。言われる側も言う側も」

手を振って今度こそ羽ばたく。

飛んでいる間も掴まれた指先が熱を持っている気がして、あたしはパンと両頬を叩いた。




夕暮れの校庭はもう人がまばらになっていた。

建物の間を最短距離ですり抜け、やがて目的地の中庭に辿り着く。

約束通りレンはそこにいた。

「準備はいいのか?」

レンが耳元に口をよせて、そっとささやいてきた。

「ばっちりよ」

本日二度目のウインクを決めてみせる。

中庭の物陰であたしとレンは息をひそめて待っていた。新藤くんがぽつんと立って、落ち着かないそぶりで辺りを見回している。

しばらくすると足音がさく、さく、と聞こえてきた。

やがて足音の主が現れる。新藤くんが、あたしとレンが、待ち望んでいた女の子。

不安げな顔をしているけれど、瞳はまっすぐに輝いていた。

──頑張れ、愛那……!

あたしが目を閉じて祈ると、

「なあ、プリメール」

レンが再びささやいた。

「何、あんまり喋らないで。姿は視えなくできても」

「声までは消せない、だろ。──ひと言だけだ」

レンが再びささやいた。

「プリメール。──ありがとうな、一緒に応援してくれて」

あたしは目を開けた。

すぐそばにレンの顔がある。

優しくほほえむその顔に、胸がどくりと鳴った。

「べ、別にっ。これがあたしの役目だもん」

あたしはふいと目をそらす。

さっきはこれが言いたかったのか……。キザな奴め。

「ほら、耳を澄まして。始まるわよ」

中庭を覗き込むと、愛那と新藤が黙って見つめ合っている。

愛那が口を開いた。

「わたしは──」

それが合図だった。

あたしはレンの肩に乗り、羽根を広げて息を吸う。

吐く息に光を灯すと、その光はふわふわと舞って愛那と新藤くんを包み込んだ。

どうか。

どうかこの光が、あなたの恋を祝福しますように。

手を組んで祈るあたしとレンの耳に、彼女の声がはっきりと届いた。


「あなたが好きです」


愛那の声はかすかに震えていた。

「わたしは……私は、意地っ張りだし、他の子みたいに可愛くも素直でもない。でも一緒にいてくれますか」

ここから表情は見えないけれどじっと見守る。想いを伝える乙女の顔は、それを受ける相手だけのものだ。

新藤くんはしばらくぽかんとしていたけれど、一気に頬を赤らめる。

「え、あ、」

舌が上手く回らないみたいだ。

「ご、ごめん。あっ違う!ごめんって言うのはそっちの意味じゃなくて、ええと昨日のことで」

赤くなったり青くなったりで忙しいな。

「その……昨日さ、桜庭さんに怒られて気づいたんだ。俺、みんなが楽しければいいって思ってたけど、そのせいで自分のこと後回しにしてたっていうか……そのせいで傷つく人もいるんだって、忘れてた。桜庭さんは最初から俺のこと、ちゃんと見てくれてたのに」

呼吸を整えて言葉を吐き出す様は、昨日とよく似ていて。

「えっと、だから俺が言いたいのは、俺もそういう桜庭さんと一緒にいたくて……あっあと桜庭さんは素直じゃなくないと思うし、か、かわ……いいと思うし、えっと……、こ、こちらこそよろしくお願いします!!!!!」

大音量が中庭に響く。

ま、元気があってよろしい。

今度は愛那の顔がみるみる赤く染まっているのだろう。


「……はい!」


やったぁ!

幸福の気配に心が満ちる。舞う光が輝きを増す。

すぐ隣を見る。この喜びを分かち合いたくて。

レンは涙ぐんでいた。

涙を気づけば拭っていた。

その仕草に目を見開いた彼の顔は、今までで一番愛那を思い出させた。

恋心に翻弄される愛那の顔を。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る