第1章 6話
「……で、なんでこうなるんだよ!」
春風そよぐ校庭。
木の幹にしがみついて叫ぶレンの口に、慌てて人差し指をかぶせた。
「ちょっと、大声出さないでよ。いくら姿を消してるっていっても、そのヒトの質量──声や音までは消せないんだから。幽霊とかとはわけが違うのよ」
「だからって木の上に乗せるか?普通」
「文句があるなら今ここで力を解いてもいいのよ」
じろりと睨むとレンはようやく大人しくなる。
あたしも木の枝先に止まり、下の様子を眺めた。
二時間目は体育の授業だった。種目は徒競走。月末の運動会に向けた練習らしい。
保護者は木陰で涼みながら参観している──あたしたちを除いて。
「あ、愛那はあそこよ。新藤くんはあっち」
「どれどれ」
愛那は女子の整列を指揮していた。新藤くんはもうスタート地点に立っている。
愛那の勇姿も見たいけれど、本題はそこじゃない。
「徒競走なら順番待ちの時間が多い。お喋りを聞きつけるにはもってこいだわ」
「そういうもんか?」
ここで喋っていても
「位置について、よーい」
パン!と玩具のピストルが鳴った瞬間、待機列がわっと騒がしくなる。
あたしは耳を澄ました。
『……新藤ってああしてると意外とかっこいいよね』
『普段あんな馬鹿っぽいのにね』
『でも委員長が好きなんじゃなかった?アイツ』
『あれはふざけてるだけでしょ?全然相手にされてないし』
『りっちゃん狙うの?』
『んー、そういうのじゃないけどぉ。新藤はほら、みんなのものって感じじゃん?』
ざわめきの中から目的の会話だけを選び、光の速さでメモしていく。
……愛那の心配はわりかし当たっているようだ。
耳と手と目を同時に動かす。新藤くんがぶっちぎりのトップだ。
その横顔は確かに朝より凛々しい。
両想いだろうと楽観的に構えていたけど、早めに決着をつける必要があるかもしれない。
横でレンは茫然としている。
「ちょっとは妖精の力を信用してくれた?」
「……いい情報は掴めたのか」
「難しいところね」
うっかり事実を話してしまう。しまった、適当に誤魔化しとけばよかった。
案の定、
「は?どういうことだよ。90%両想いなんじゃなかったのか」
レンは面倒くさく絡んでくる。
「あのねえ、ただ二人をくっつければいいわけじゃないのよ。小学生にだって色々としがらみってもんがあるの」
「大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫よ。あたしは今の愛那にとって一番の理解者だもの」
「おい、一番は俺だろ。あんたは一昨日会ったばっかりじゃないか」
「あたしたちは会う前から契約者の適性を見極めてるの。愛那のことはよくわかってるわ」
「そんな仕事目的の薄っぺらい情報じゃなくてなぁ」
気づけば小声で火花を散らし合っていた。
「俺は幼稚園の頃から親より長い間面倒見てきたんだぞ。愛那のことは俺が一番よくわかってる。子どもの相談事だからってナメてかかるような真似は許さん」
「言いがかりはよして。舐めてなんかいないわ」
きっと睨み返す。
「あなた昨日言ってたじゃない、『恋愛ごとは身内に相談しにくい』って。これまでがどうだろうと、今、愛那の悩みに一番寄り添えるのはあたしなの。いつまでも愛那を子ども扱いしてるのはあなたのほうじゃないの?」
レンが真顔になる。
あ、ちょっと言い過ぎたかな。
そう思った瞬間──空がさっと黒く覆われた。
身体が浮き上がる。
「……え?」
頭上を見ると、一羽のカラスが
──しまった、油断してた!
「プリメール……!」
レンが叫びかけ、はっと口を覆う。
あたしは咄嗟に小枝に掴まり短く息を吐いた。吐いた息は宝石のような鋭い光を灯す。
光るものを追う習性のあるカラスはすぐさまその光に興味を移し、あたしを放り投げる──はずだったが、コントロールが悪かったのか光はあらぬ方向へ飛んで行った。
「男子は早く待機列に戻って。女子の3レース目、コースに移動してくださーい」
よりにもよって生徒たちのいる場所に!
「なにあれ、
「えーやだ、気持ち悪ーい」
光自体には何の凶器性もないけど騒ぎが広がったらまずい。慌てて軌道を修正するものの、咥えられたままじゃ思った通りに動かせない。
わずかに速度を落とした光は愛那めがけて落下する。
──よかった、愛那か。彼女なら後で事情を話せばわかってもらえ……
「危ない!」
子犬のように素早い影が横から駆けてくる。
愛那の腕を引き光をグーで掴んだのは、他でもない新藤くんだった。
「桜庭さん大丈夫?刺されてない?」
息が少し上がっている。2回も続けて走ったからか。
……なんだあの子、あんなに真剣な顔もできるんじゃないの。
「……あ、うん。大丈夫……新藤、虫素手で握ったの?」
「え?あっ、ごめん気持ち悪かっ」
「後で保健室行って見てもらったほうがいいよ。毒持ってるかもしれないし」
ありがとう。
そう言い残すと、愛那は足早にコースへと駆けていった。その横顔は林檎のように赤い。
「新藤ー!何やってんだ、早く戻りなさい!」
先生の声も届かずぽわんとしている新藤くんを眺めていると、
「……結果オーライ?」
呟いた瞬間、ポキッと軽い音が響く。
ぎりぎりで掴んでいた小枝が折れる音だった。
気づいたらカラスはあたしに興味を失い、遠い空へ飛び去っている。
「……痛っ」
羽根が傷ついたのか思うように飛べない。
マズイ、このままじゃ地面に激突する!
目を瞑って──硬い地面じゃなく、柔らかい人肌に抱き留められる。
恐る恐る瞼を開くとそこは掌の上。
ぐるりと周囲を見渡すと、木の幹に辛うじて掴まりながらほっと息を吐くレンの姿が目に入る。
少し緩んだ口元は、今までに向けられたどの笑みよりも自然だった。
「……妖精って、ヒト以外の動物には普通に視えるのか?」
「……そうよ」
気まずさを嚙み殺して答える。
再び木に登り、徒競走の様子を眺めた。
「さっきは悪かったわ」
一応謝っておく。
「別に。あんたがこんなとこで潰れたら愛那が悲しむだろ」
こっちを向かないまま答えるレン。
謝りたいのはそれだけじゃなかったけど、蒸し返す勇気はなかった。
徒競走は女子の組になっていた。愛那がスタート地点に見える。
十数度目のピストルが鳴る。
愛那は颯爽と走っていた。まっすぐ前を見据える目。正確なフォーム。
「低学年の頃はよくかけっこの練習に付き合ってたなー。最初はなかなか速くならなかったんだけど」
「そうなの?」
「ああ、何度も何度もヒザ擦りむいてな。逆上がりとか高跳びの特訓もした」
今のそつのない姿からはなかなか想像しにくい話だ。
「かっこいいわね、愛那」
学校での愛那を見ていると、頼られこそすれ自分から誰かに頼るような機会はあまりないように見える。
そんな彼女をレンだけがずっと見守っていたのかもしれない。
「ああ。自慢の姪だよ」
「今の愛那が在るのは、あなたのおかげなのね」
返事は返ってこなかった。
返ってこられても困るけど。
──何があっても愛那の味方よ。
自分が口にした言葉の責任を改めて感じる。
とんでもなく厄介だけど、レンの愛那を大事に想う気持ちは本物だ。その気持ちにだけは寄り添いたい。
あたしたちはひたすらに走る愛那を眺め続けた。
隣にある温度と向き合うのは、まだ少し照れ臭かった。
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