第1章 3話

「行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」

翌日、朝の玄関。

愛那の元気な声にレンは笑って手を振る。彼女の肩に乗るあたしが見えてるなんて思えない自然な動作だ。

妖精女王様には「様子を見てみます」と言ったものの、昨日の今日でこいつとまともに話せるはずもない。

……でも、よく考えたら学校に行っちゃえばこっちのものよね。あんたが知らない愛那の情報をばっちり掴んでやるんだから!

愛那にバレないよう思い切りあっかんべーをすると、レンの眉がぴくりと動いた。

「ちょっと、アイ」

「なーに?」

「右肩にゴミがついてるぞ」

長い爪がにゅっと鼻先に迫り、あたしは思わず肩から離れた。

愛那もどぎまぎしている。レンにあたしの姿が見えることは当然彼女に話してないけど、反射的に構えるのは仕方ないだろう。

「と、とれた?」

「いや。気のせいだった」

(なにすんのよ!)

口パクで抗議するとレンは微かに唇をつり上げる。悪戯めいたその表情に、ふつふつと怒りが沸き上がった。

──やっぱりこいつと協力なんて絶対無理!




愛那の通う小学校は家から歩いて10分くらいのところにある。

校門を抜けると、

「委員長!おはよう」

女の子グループに声をかけられた。

「おはよう。今日は遅刻ギリギリじゃないね」

「だって委員長に褒められたいもーん」

リーダー格らしい女の子が愛那にふざけて抱きつく。

「もう」

笑う愛那の顔は家で見るそれよりだいぶ大人びていた。

まあ、身内と友達じゃ態度が違うのは当たり前か。委員長って学級委員かな?やるじゃない。

そうこうするうちに下駄箱を抜け、賑やかな廊下を通る。

「委員長が怒るからさ、アイツも最近真面目に来るよねー」

「そうそう。愛の力じゃない?」

『アイツ』?

肩の上でぴくぴく耳を動かす。

「何言ってんの。そんなわけないでしょ」

「委員長つれなーい」

「まあ、アイツじゃ委員長とは釣り合わないよねー」

女の子たちが笑い合うのを愛那は複雑そうに聞いていた。

その表情が気になったけど、ここで話しかけたら彼女が怪しまれてしまう。あたしはひとまずこらえた。

教室のドアが開かれると、

「お、おはよう!」

鼓膜が吹き飛ぶほど元気な挨拶に迎えられる。

「……おはよう。新藤しんどう

そう返事をする愛那の声が、さっきより一段と低く感じた。

『新藤』と呼ばれた男の子は机から身を乗り出し、焦ったようにしゃべり続ける。

「ね、俺今月ノー遅刻だよ。しかもぎりぎりじゃなくて10分前。すごくない?」

子犬のようにじゃれつく彼を、

「それが当たり前なのよ。大体まだ8日目じゃない。褒めてほしいなら丸一年続けなよね」

愛那は一刀両断する。

あたしは思わず彼女の顔を覗き込む。

家の中での砂糖菓子みたいに可愛らしい表情はどこへやら、クールを通り越して氷のような眼差しがそこにあった。

「あーあ、今日もふられてんじゃんめぐむ

「いいかげん諦めなよー。委員長があんたみたいなお調子者、相手にするわけないんだから」

「ばっ、そーいうんじゃねーし!俺はクラスの皆をビョードーに愛してるの!」

「キモいよメグ―」

「うっせ!」

彼と愛那の会話をきっかけにクラスが一気に騒がしくなる。この男の子はクラスの中心人物なんだろう。

だけど愛那は、

「みんな。騒ぐのもいいけど一時間目は移動だよ。準備しなきゃ」

当事者の一人だというのに、冷静すぎるくらい冷静に笑っている。

「はーい」

「さっすが委員長、全然動じてねー」

まばらに散っていくクラスメイトをよそに、あたしは愛那と新藤くん──今も名残惜しそうに愛那のほうを見ている──の顔を交互に見比べる。

愛那はあたしだけに見えるよう、口をへの字に曲げていた。

メグ──新藤慈しんどうめぐむ

彼こそが昨日写真で見た愛那の片思いの相手……のはずだけど、どうやら一筋縄じゃ行かない事情がありそうね。

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