第4話 過去と出会って、
景色は真白な銀世界だった。遂に今朝、札幌に初雪が降ったのだ。
それほどの積雪では無かったが、一日で周りの景色が一変していた。
僕は、いつものベンチに積もっていた雪を払って座り、天を仰いだ。
おそらく今日も、何も起こらない事はわかっていたが、僕にはもう、ここに来る事しか、することが無かった。
ここ最近、仕事が忙しく、彩香との事やこの件など色々あって、夜あまり眠れていなかったため、ついウトウトとしてしまっていた。
その時、
「風邪をひくわよ。」
僕は、その声にびっくりして目を開けた。
「あ、あなたは。」
僕の前には、五日前にここで出会った女性が、腕を組んで立っていた。
「まったく、しょうがないわね。」
「ど、どうして・・。」
「毎日、こんな寒い所に座り込んで。」
「見ていたんですか?」
「その一途なところは、昔と変わらないわね、圭吾さん。」
「な、なぜ僕の名前を!」
僕は、彼女の言葉に衝撃を受けた。
彼女が僕の名前を知っていた。と言うことは、やはり彼女が夢の中の女性なのか。
「ここは寒いわ。どこかお店に行って話しましょう。」
彼女は、すっかり動揺している僕の様子を見て、ため息をつきながら言った。
僕は、おとなしく彼女に付いていくしかなかった。
今、僕の疑問を解明してくれるのは、彼女しかいない。
二人は、道路を渡ったビルの地下にある喫茶店に入り、一番奥のテーブルに向かい合って座った。
「なぜ僕の名前を知っているんですか?やはり、十年前に僕と会っていたんですか?」
僕は、椅子に座ると同時に、自分の中に溜まっていた疑問を全てぶつける様な勢いで質問した。
「その前にどうして、あそこに居たか教えて。いつから札幌に?」
僕の勢いを制する様に彼女は言った。
主導権は、完全に彼女の方にあった。
僕は、色々聞きたい気持ちを抑えて、彼女の質問に答えるしかなかった。
「こちらには転勤で、十月から住んでいます。」
「あなたと会った日の前日、偶然あそこを通りかかった時、意識が遠のいて行く感じがして・・」
僕は、夢の中の女性の事や十年前の事など、全てを話した。
彼女は僕の話しをじっと聞いていた。
「今も、その人の顔も名前も思い出せない、と言うこと?」
彼女は、僕が話し終えた後、ゆっくりと言った。
「はい、わかりません。」
「あなたは、その人のことが知りたいの?」
「知りたいです。過去に僕と何か関係があった人だと思うんです。あなたは、僕のことを知っていた。あの人のことも知っているはずだ。教えて下さい。」
彼女は、何も答えず考え込んでいた。
「お願いします。」
僕は、もう一度彼女にお願いをした。
「私達十年前に、あそこで出会い、三ヶ月ほど付き合った後、別れたのよ。」
彼女は注文したコーヒーを一口飲んでから、思い切った様に言った。
「・・・・」
僕は、返す言葉を失っていた。
「びっくりした?」
僕は頷くしかなかった。
「圭吾さん、あまり変わっていないわね。見た時、すぐにわかったわ。でも、本当にびっくりしたわ。まさか、あなたがあそこに居るなんて。」
「なぜ、この前は僕の事を知らないと言ったのですか?」
少しだけ気を取り戻した僕は、彼女にたずねた。
「急なことで、私も動揺していたし、あなた私のことを憶えていなかったから。」
「どうして今日は、僕に声をかけたんですか?」
「あれから気になって、ちょうどあなたと会った時間帯に、あそこを遠くから見ていたら、毎日あなたが現れて。」
「私、どうしようか迷ったけど、あなたの為にもちゃんと話した方が良いと思って。」
「そうだったんですか。」
「なぜ僕は、あなたの事を忘れてしまったのでしょうか?」
「あなたは当時、ノイローゼになっていたのよ。仕事の事や私との事なんかで。」
「ノイローゼに?」
「そう、そして仕事も辞めて、東京へ帰って行ったのよ。」
「二人の間に何があったんですか?」
「それは、聞かないほうがいいと思うわ。」
「なぜ?」
「色々あって、あなたの心はひどく傷付いてしまったのよ。おそらく、その傷が原因で私のことを忘れたんだと思うわ。」
「二人が別れた原因は、僕の方にあったんですか?」
「そんな事ないわ。お互い様よ。」
これまでの女性との付き合い方を考えると、原因は僕の方にあると思ったが、彼女の答えを聞いて、少しだけほっとした。
「ノイローゼになって記憶を無くす位だから、余程の事があったんですよね。何があったのか教えてくれませんか。」
「辛い過去は、忘れたほうがいいでしょ。その方が幸せよ。だから今さら、それをわざわざ掘り起こす必要も無いと思うわ。」
「でも、僕は知りたいんです。霧がかかって良くわからない記憶をはっきりさせたいんです。」
「あなたが、自らの意思で思い出を忘れたのよ。忘れる為にノイローゼになったのよ。」
「私も思い出したくない過去なのよ。わかってくれる。」
僕は、なんとなくスッキリしない気分だった。
「圭吾さん、結婚は?」
彼女は、話題を変えるためか、僕に質問をしてきた。
「結婚はしていません。」
「そう、彼女は?」
「一応、います。」
「一応って、その人との結婚は考えているの?」
「いえ、結婚は考えていません。」
「あなたの年齢でお付き合いをしていれば、普通結婚を考えて当然じゃない?」
「そ、そうですが・・。」
僕は、彩香との事を考えると言葉が詰まってしまった。
「もしかして、その夢が原因で?」
「いや、それは違うと思います。彼女との事と夢とは何の関係もないと思います。」
「そう言えば・・・。」
「どうしたの?」
「あ、いや、今になって考えると、彼女と付き合いはじめてから、あの夢を見るようになった気がしてきて・・。」
「そう。まあ、どちらにしても、夢の原因はわかったのだから、もうこれ以上考えるのはやめた方がいいと思うわ。」
「これからも、会ってもらえますか?」
「私は、結婚しているの。他の男性と会ったり連絡を取り合うのは困るわ。」
「いや、そういう意味ではなく、僕の知らない過去について、もっと色々教えて欲しいんです。」
「圭吾さん、私達十年前に別れたのよ。今の旦那に元彼と会っている事がわかったら大変な事になるわ。」
「お互いの為にも、もう会わない方がいいわ、わかった?」
「・・・・。」
確かに、既婚者である彼女にとっては、迷惑なことであると思い、それ以上お願いすることが出来なかった。
「あの、名前を教えてもらえますか?」
「ああ、そうね。言って無かったわね。名前は、中野秋絵よ。」
「なかの・・あきえ・・。」
その名前を思い出す事は出来なかった。
秋絵は、僕の顔を覗き込む様に見ていた。
「十年前、二人で、雪虫を見ていましたか、あの場所で?」
「雪虫?」
「はい、二人にとって、雪虫はとても大切なものだった様な気がするんです。」
「そ、そうね・・。確かに、付き合っていた時期は、雪虫の季節だったかもしれないけど、それは気のせいだと思うわ。」
「そうですか・・・。」
「私、そろそろ帰らないと。」
「えっ。」
「もうこれ以上、お話しすることはないわ。もう、いいでしょ?」
「は、はい・・・。」
聞きたい事は、まだまだあったが、おそらく、彼女はこれ以上の事は話してくれない雰囲気だったので、仕方なく承諾した。
二人は喫茶店を出ると、ビルの前で別れた。
彼女は、手をあげて、ちょうど通りかかったタクシーを止た。
僕は、タクシーに乗る秋絵を見ていた。
秋絵は、タクシーの窓を開けて、
「もう、昔の事は忘れて、これからを考えるのよ。」
と、まるで、大人が子供に言い含めるような調子で言った。
僕は軽く手を振り、彼女を見送った。
「ふう・・。」
僕は、大きくため息をついた。何か、釈然としない気分だった。
確かに、夢の中の女性が、秋絵だったと言うことはわかった。
わかったが、心の中の霧がすっきり晴れたとは、正直言えなかった。
自分の中では、過去がわかれば、きっと全てがすっきりとするだろうと言う期待のようなものがあった。
しかし、期待通りにはならなかった。
なぜなのか。
秋絵から、二人の事を詳しく聞くことが出来なかったからなのか。
いや、違う。例え全てを聞けたとしても、それとは別の、何か違和感のようなものを感じた。それが何なのか、わからないが。
しかし今、当時の記憶が無い僕には、彼女の話しを受け入れるしかない。
僕は、心の整理がつかないまま、アパートに帰った。
夜、布団に入ったが、なかなか眠ることが出来なかった。
「ほら、見て、ゆきむし・・・。」
その言葉が、頭の中から離れなかった。
(違う。やはり秋絵とは違う。)
僕は、心の中で叫んだ。
どうしても、僕には、秋絵と夢の中の女性がひとつにならなかった。
秋絵からはっきりと二人が付き合っていたと聞いたのに、なぜこんな事を思ってしまうのか・・。
そうだ!雪虫だ!
秋絵は雪虫に全く関心が無かった。
夢の中の女性は、とても雪虫をいとおしく思っている。あの声を聞いて、僕はそう思っていた。
この違いが、僕に違和感を感じさせていた原因だったんだ。
僕の心がすっきりとしなかったのは、二人が違う人だからだ。きっとそうだ。
と言う事は、秋絵が嘘を言っていると言う事になる。なぜ、嘘を・・。何のために、わからない。
もう一度、秋絵に会って話しを聞きたいと思ったが、今では、その術も無い。
(やはり、無理にでも連絡先を聞いておけば良かった。)
後悔しかなかった。
次の日、僕は仕事が終わった後、もしかすると、秋絵にまた会えるかもしれない、そんな期待を持って、再びテレビ塔に向かった。
今日は、朝から雪が深々と降り続けて、周りは真っ白な新雪に覆われていた。
いつものベンチも、こんもりとした雪の塊になっていた。
仕方なく、僕は立ったまま行き交う人達を見つめていた。
大通り公園では、ホワイトイルミネーションがちょうど今日から始まっていた。
色とりどりのライトで造られた花の形やハート型のオブジェが公園に飾られており、多くの人々が行き交っていた。
ここに居れば、秋絵が、またどこかから見ていて、声をかけてくるかもしれない。そんな期待を持ちながら立っていると、僕の少し前に、一匹の雪虫が飛んでいるのに気が付いた。
(もう雪が、こんなに積もっているのに、まだ雪虫が居るんだ。)
そう思いながら見ていると、その雪虫が、僕から離れていく様に、飛んでいった。
僕は、その雪虫が、なんだか、僕のことを呼んでいるような気がしたので、追いかけてみた。
多くの人々の流れに合わせて、僕は、きらびやかなイルミネーションの光の中を進んだ。
人混みのせいで、雪虫を完全に見失ったが、そのまま雪虫を探しながら歩いた。
多くの人達が写真を撮ったり、暖かい飲み物を飲みながら、楽しそうにイルミネーションを楽しんでいた。
僕は、西六丁目まで来た時、やはり戻って秋絵を待った方が良いと思い、一度立ち止まった。とその時、ふと左手の人混みから少し離れた所に立っている大きな木に目が留まった。
なぜか、その木がとても気になったので、僕は、近くまで行ってみた。
そこは、人波から離れた、明かりの届かない暗い場所だった。
何の木だろうか、見上げるとたくさんの枝が、風に吹かれてザワザワと音を立てていた。
僕は、そのごつごつとした木肌に手を当てながら、しばらく見ていると、
突然、脳裏に何かが、浮かび上がって来るのを感じた。
それは、この木の下で、僕と夢の中の女性が抱きしめ合っている姿だ!
おそらく、今日と同じ様にとても寒い日なのであろうか、二人の吐く息の白さが、とても印象的であった。
しかし、その寒さとは逆に、とても暖かく、ぬくもりに満ちたいとおしさで、胸がいっぱいになった。
(ああ、この感覚は、遠い昔に感じたことがあるものだ・・・。)
言葉では、言い表せない不思議な感情が、胸の奥から沸き上がって来るのが、わかった。
長い間、心の奥底にひっそりと静かに隠れていた熱い塊が、一気に溶け出して来る様だった。
(ああ!あの人が僕を呼んでいる!あの人のもとへ行かなければ!)
僕は、走り出した。
人波を掻き分け、近くにいた客待ちをしているタクシーに飛び乗った。
「電車通りを南に行って下さい!」
「は、はい。」
運転手が、勢い良く飛び込んできた僕に驚いた様に答えた。
そして、後輪を積雪でスリップさせながら、タクシーを発進させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます