第3話 記憶を求めて、(二)
その女性は、三十歳位の髪が長い、とても綺麗な人だった。
「もしかして、僕の事を知っているんですか?」
僕は、直感的に彼女が僕の事を知っていると思い、その女性に近づきながら、ストレートに質問した。
「えっ。」
彼女は意外そうな顔を見せた。
「すみません。もしかして、十年前に僕とここで会っていませんか?」
「なぜ、そんな事を聞くんですか。自分で憶えていないの?」
「は、はい。はっきりとは憶えていないのですが、十年前にある女性とここで会っていた気がするんです。」
「どうして、その人が私だと思ったの?」
「さっき、驚いた様な表情で僕の方を見ていたので、もしかしたら、と思い声をかけたんです。」
「そう、そういう事だったの・・。」
彼女は、一瞬考え込でいる様に見えた。そして言った。
「その人の顔も名前もわからないと言うこと?」
「はい、そうです。」
「ごめんなさい、人違いだったのよ。知人にとてもよく似ていたから。」
「その知人とは、僕のことではないですか?」
「いいえ、違うわ。こうして話したのだから、間違いないわ。」
「そうですか、すみませんでした。」
はっきりと違うと言われたので、これ以上質問する訳にもいかず、僕は諦めてベンチに戻った。
そして、その女性もゆっくりと僕の前から去っていった。
その後も少しベンチに座っていたが、何も起きなかったので、仕方なく家に帰った。
そして、その日も同じ夢を見て、真夜中に目が醒めた。
真っ暗な部屋で天井を見詰めながら僕は考えた。
何の確証も無いが、確かに昔、夢の中の女性と会っていた。今、この時になって、その事は、僕の中で紛れもない事実となっていた。
しかし、なぜ憶えていないのか。頭を打って記憶喪失にでもなったのだろうか。
疑問は尽きることが無かったが、どうすれば良いのか、まったくわからなかった。
翌日は日曜日で久しぶりの休日だったので、夢の中の女性を思い出すキッカケになればと思い、十年前の思い出の場所を訪ねてみる事にした。
まず最初に、当時住んでいたアパートに向かった。
電車で大通りへ行き、地下鉄に乗り換えて北十八条駅まで行った。
この界わいは、大学が近いことから学生街であり、多くのアパートが立ち並んでいる。
僕は、駅からアパートまでの道を懐かしく思いながら歩いた。
(たしか、ここだったはずだ。)
かつて住んでいたアパートがあった場所に着いてみると、きれいなマンションに建て替わっていた。
確かに、当時は安さを優先して選んだアパートだったので、かなり古かった。建て替わっても当然だなという感じだ。
仕方なく、近くをぶらぶらしながら、当時良く行っていたスーパーや食堂などにも行ってみることにした。
もしかしたら、あの女性はそこの店員さんだったのかも知れない。などと考えながら行ってみると、スーパーも食堂もそのままの姿で残っていた。
とても懐かしかったが、あの女性に繋がる様なものを思い出すことは無かった。
次に、勤めていた会社に行ってみることにした。
ここから歩いて十分程である。当時、不馴れな土地だったので、職場の近くに住むことにしたのだ。
しばらく歩くと、北二十四条駅に着いた。
この近辺は先ほどの学生街と比べると飲食店や事務所などが多く、とても賑やかで人通りも多い。
僕が働いていた会社は、繁華街から少し離れた場所にある三階建てのビルだ。
果たして、今もあるかどか少し不安に思いながら行ってみると、見覚えのあるビルが見えてきた。
外壁は新しくなってはいたが、間違いなくかつてのビルそのものであり、看板の会社名も変わり無かったので、少しほっとした。
窓ガラス越しに中を覗いて見ると、休日出勤なのか、人影が見えた。
僕は、思いきって訪ねてみる事にした。
玄関のドアを開けて中に入ると、二人の男性が机に向かって仕事をしていた。
その内の若い方の男性が、こちらに気付き声をかけてきた。
「何か、ご用でしょうか?」
「突然、すみません。私、以前こちらに勤めていた者でして・・。」
「あれ、もしかして、えっと、高橋君?」
様子を見ていたもう一人の中年の男性が声をかけてきた。
「はい、そうです。」
「いやぁ、やっぱり。懐かしいね、久しぶりだね。」
「その節は、ご迷惑をお掛けしました。」
「いやいや、たしか、一年で急に会社辞めちゃったんだよね。当時は、みんな心配してたんだよ。」
この朗らかな感じの男性は見覚えがあった。
一緒に仕事はしていなかったが、同じ職場の先輩で、よく話をしていた。
僕たちは、しばらく当時の同僚や仕事の話しをして過ごした。
話しをしているうちに、かつて職場で一緒に仕事をしていた人達を思い出していた。
その中には、女性職員も何人かいたが、夢の中の女性と結びつく人はいなかった。
結局、一日いろいろ歩いたが、懐かしくはあったが、失くした記憶を取り戻す事は出来なかった。
理由はわからないが、テレビ塔の下だけが、僕の心を強く引き付けた。
それからも、仕事が終わった後はテレビ塔に行って、寒さに耐えながら、再びあの不思議な体験が起こることを待った。
しかし、あれ以来、何も起こらなかった。
雪虫は、もう見ることは無かった。そろそろ雪が降って来るのだろうか。
完全に手詰まり状態だ。あの女性と会っていたと言う確信はあるが、それを確かめる術がわからない。
相変わらず、女性の事を深く考えると激しい頭痛が襲ってくる。
知りたい事が目の前にあるのに、そこに有る扉を開く事が出来ない。
心の中で、どうしても思い出さなくては、と言う焦りの様な感覚がどんどん強くなってきた。
そんな悶々とした日々が続いていた。そして、テレビ塔に通いはじめて五日目の夜だった。
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