第44話 よおし、漸く帰れそうだよ!

 桜刃組の突然の退却の流れに、白金会の皆さんは唖然としていた。その静寂を清美君が破っちゃったのだ。

 萌黄さんの腕の中のコーギーに向かって、ひらひら手を横に振ったのだ。

「また遊ぼなー。えーと、サモトラケちゃん」

 第三の名前を与えられたコーギーが尻尾を振って元気に吠えた。すかさず、萌黄さんと金時さんが訂正した。

「ニケです!」

「ニッケル基超合金だ!」

 清美君はけらけら笑って、その手を蛇蔵さんに向けた。

「高忍さんもまた遊びましょうねえ」

 蛇蔵さんが引き攣りながら答えた。

「遊んだ記憶ないですよう」

「遊ばれとったんちゃうんかっ、あんたはあっ」

 優翡さんが蛇蔵さんの三つ編みを引っ張って凄んだ。すると、奏君がぴょんぴょん飛び跳ねて話しかけた。

「優翡さん、また話の続き聞かせてくださいね」

 弾む声が瑞々しい年下の子モードだ。常にそのモードにしておいて欲しい。スイッチ何処かな。接着剤で固めたいな。

 優翡さんは真っ赤な唇で弧を描いて、今度な、と答えた。意外なことに萌黄さんが顔を顰めた。

「何の話? 若い男に色目使って恥ずかしくないの? おばさんの癖に」

 一オクターブ低い声だった。素だとしても、実の姉に向ける冷たさじゃない。サモトラケちゃんも顎を引っ込ませて変顔しちゃってる。

 優翡さんが萌黄さんをねめつけた。

「あんたみたいなじゃりんこには分からん話や」

 形成されていく陰険な空気に奏君が爆弾を投げる。

「若頭補佐との馴れ初めを聞いただけですよ」

 清美君もダイナマイトを投げた。

「少女漫画のようなラブロマンスでしたよ」

 萌黄さんと金時さんがどよめき、空気が切り替わった。

 愛がどうだこうだという驚きや恥ずかしさの声を背に僕達四人は瑪瑙御坂家を後にした。

 僕の足取りは自分でも驚く程に軽く、他の三人の機嫌も良かった。

 前日には想像すらできなかったことだ。

 車へと歩みを進める僕達に雨は来た時と変わらない勢いで傘を打ち付けた。

 壮大な雨音が僕の感情を洗い流す。恐怖、緊張、興奮、喜び。

 傘という個人的な枠組みの中で思考が整理されていく。出来事が意味を剝ぎ取られて単一に並べられていく。

 そうして、浮かび上がったのは、橘清美という存在の異様さだった。白金会のキーパーソンが集った重苦しくなる筈のあの場の空気を何度も切り替えたのは彼だった。

 穣芽さんが評した「場の支配」「魔性」といった言葉を思い浮かべずにはいられなかった。

 ぼんやりと恐怖を覚え、隣を歩く彼を見上げた。彼は僕に向かって嬉しそうに大きな口を動かした。

「怖いこともあったけど、何とかなって良かったわあ」

 清美君の温かい声に無機質な思考が掻き乱されていった。自然と彼の調子に僕のそれも合わせていった。彼の腕に腕を絡ませる。

「清美君は会長のリベンジマッチがあるけどね」

「あるのん⁉ いつ⁉」

「知らないよお」

 そう言って腕の位置を変えようとして、彼のスーツについたサモトラケちゃんの毛を見つけちゃった。バッグからハンディ粘着クリーナーを取り出して、清美君の腕に転がした。

「助かるー。そんなん持ち歩いとんのね」

「備えあれば憂いなしってのだよ」

 ついでに除菌ウェットティッシュも渡した。使用済みを鞄の中のゴミ袋に入れると、またも清美君に感心されちゃった。

「さ、清美君には頑張ってもらわなきゃね」

 彼の手をひいて、在さんと奏君が乗り込み始めた車へと走り出した。

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