第22話 悲恋だあ……
同時期、奈央子ちゃん曰くまろやかだった在さんと二人っきりになった折に惚気話を聞いた。
「どうしてそんなこと聞くの?」
そんな想定しきったことを言われた。在さんは仕事とそれ以外を割り切り過ぎている部分があって、僕とは仕事上の関係しかないと思っている。寂しいね。人の感情の機微に敏感な癖して奈央子ちゃんの恋心に気付くこともないのも同じ理由だ。仲間思いが強い人って扱いだよ。
「聞くと楽しくなるからです。ちょっとしたご褒美扱いで下さいよ」
僕役に立ってるじゃないですかあ、と肘で腕を小突いた。在さんはまだ不思議そうにしていた。
「創ちゃんのこと、どう思ってるんですか?」
自分でも分かる程にやけながら尋ねた。在さんは目を伏せた。そうね、と置いてから、ぽつりと答えた。
「勿体ないと思う」
良い感じに惚気てくれたぞ、と当時は思っていた。だから、奈央子ちゃんに言われまくって妙にマイブームだった言葉を軽いノリで言った。
「もっと、こう、具体的に言うと、どういうことなんですかあ!」
ただの相槌だ。今は聞いてよかったと思ってるけどね。
在さんは首を傾げて暫く黙って悩んだ。それから、首を戻して探るように静かに話した。
「……創は沢山色々なものをくれるけれど」
「もの? 具体的に何ですか? 物質的なことですか? 感情ですか?」
在さんはええとと戸惑った。
「物質的なものもくれるよ。料理とか」
「美味しいんですか?」
「美味しいよ。……物質的なものは等分に返せるでしょう? 意味を無視すればね」
「意味とか感情とかはそうではない、と」
そう、と在さんは言って、深堀りしてきた。
「全く同じように返せばいいものもあるけど、そうじゃないのもあるでしょう?」
在さんは、返すじゃないね、と難しそうに言った。
「応える、の方が適切なのかな。相手にもらったものがあって、それに応えようとした時、相手が望んでいるものが見えるでしょう? 表面に分かりやすく浮かんできているものもあれば、沈んで隠れているものもある」
哲学的な話になってませんか、と言いたくなったが、頷いて聞くことに徹した。ちゃんと理解できてなかったんだと思う。在さんは困ったように眉を下げて話を続けた。
「どちらかと言えば後者の方が大切なんだと思う。芯とか土台とか言えばいいのかな。表面に出ているものにどれだけ応えても、奥で求めているものに応えられなくてはいけないの、きっと」
「応えられなかったら、どうなっちゃうんです?」
あまり考えずに出た疑問だった。在さんはまた暫く黙って考えた。不器用な人だなあなんて思った。在さんは先程よりももっと難しそうに言葉を選んだ。
「辛く感じさせるんじゃないのかな。どれだけ表面的なものに応えられても満ち足りなくて、……意味がないように思わせてしまう」
僕は、と在さんは続けて、一度言葉を切った。僕が言葉を促すと、申し訳なそうに喋った。
「僕は創にできることはする。……できる範囲のことなら、何だってしてあげたいと思う」
そこだけ切り取って甘い言葉のように聞こえてた。当時の僕がテンションを上げると、在さんは冷水をかけるように言葉を重ねた。
「でも、本当に応えてあげなきゃいけないものには、僕は応えてあげられない」
驚いたが、在さんは特に補足することも無く締めくくった。
「だから、僕にとって創は勿体ないの」
僕はこの話を自分の都合よく解釈した。
――いやあ、愛されすぎちゃって困るよ!
そういう意味だと思っていた。でもね、在さんはそういうことが言いたかったんじゃない。言葉通りでしかなかったんだろうな。
四年経った今になって分かった。
在さんが感じていた創ちゃんが奥で欲していたもの、創ちゃんにあげたかったけどあげられないと思っていたもの。
多分きっとそれは愛という言葉が内包する意味だよね。僕は今そう思う。
愛だからさ、あげれなかったんだよね。他の人が持って行っちゃったんだろうね。
その人はずっと在さんの心の中に居座り続けて、こびりつき続けて、愛を貪り続けて来た。思い出という不可侵の存在になって在さんを囚えて放してくれなかった。
八年間、ずっと。
――末森甘夢は、在さんの心から消えてくれなかった。
それが漸く分かったのは、創ちゃんが告白してくれたからだ。
偶然顔を合わせれば挨拶はする。連絡先だって知っている。だけれど、積極的に関わろうとは双方しない。そんな薄っぺらい関係でしかない僕を彼女は初めて呼び出した。しかも、カラオケボックスという個室に連れて行った。
最初から思い詰めた顔をしていた。歌うどころかリモコンに触ることすら許されない緊張感があった、シリアスな空気に僕は流されるしかなかった。十分は無言で見つめ合った後、創ちゃんは震える声で語り出した。
「在と、別れました」
吃驚した。疑問が次々と浮かんで堰き止めることができなかった。どうして別れたの。いつ別れたの。突然奏君が桜刃組に来たことに関係してるの。どうして僕に言うの。僕に言うってことは他の人にも言うの。そもそも僕以外は知っているの。それとも今から言うのかな。こうやって一人ずつ呼び出すの。何でそんなことするの。
創ちゃんはどれにも答えず、俯いた。
天岩戸という言葉が頭の中にポップアップした。やっちゃった。血の気が引いていると、創ちゃんの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。あげずにはいられなかったよね、悲鳴をさ。
創ちゃんは白いハンカチを取り出して、目元に押し当てた。表情が僕から見えないまま、彼女は語り出した。
「私はずっと幸せでした。在の前では、なりたい私で……女の子でいられた」
創ちゃんは体を強張らせた。パフスリーブに包まれた細い腕が小刻みに震えていた。
「とても女とは呼べない、不出来なこの体を、私が見せたいように受け入れてくれた」
補足すると、彼女は――焉ちゃんと同じく――半陰陽だ。僕が知ったのは、三ツ矢の家がある喜珠村の田中さんが口を滑らせたからだ。その偶然が無ければ知ることができなかった。
知っちゃうと全て知り尽くしたくなるのが僕の性分だ。田中さんに追求したものの、詳しくは知らなかった。まあ、性器の具合なんて他人は知り得なくて当然。じゃあ、本人に聞こうとなっちゃった。
僕は実行した。隣に在さんがいる時に。第一声で二人は驚いた。優越感に浸りながら、言葉を続けようとした。在さんが僕の顎に指を這わせた。おっと思った時には顎の下に指を入れられ、強引に上を向かされた。在さんの目にあったのは侮蔑の色だった。怖くて逃げたくて目だけで創ちゃんを見ると、俯いて震えていた。それで漸く自分の罪が分かった。謝り倒したし、泣いた。勢いで他の人に言わないことを約束した。創ちゃんは許してくれたし、在さんも彼女の判断に従った。
というようなことがあったので、僕はこの時も黙った。褥を共にしたという生々しい話をされているのかと確認したかったし、やるとなったらどうやったんだというのも聞きたかったが、頷くしかしなかった。顔にも出さないよう頑張った。ちゃんとね、頭を動かしたよ。
創ちゃんは僕の反応に満足したようで、話を続けてくれた。
「私は幸福でした。……でも、それは、私だけだった」
彼女がふっと鋭く息を吐いた。
「自惚れていたんですね。隣にいる在だって自分と同じだと疑いもしなかった」
彼女は首を振った。結っていない黒髪が追随して揺れた。
「過去がまだ彼を蝕んでいることに気付いてあげられなかった」
ああ、と彼女が縋るような声を上げた。
「私は、彼を守ってあげられなかった」
彼女が震えながら顔を上げた。そして、濡れた双眸が僕を捉えた。落ち着いた桃色の口紅に彩られた唇が、秘密を告げようと動いた。
場面が切り替わる。
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