第6章 回想を含む悪夢を見たよ

第21話 恋する乙女は可愛いねっ!

 気付くと目の前に創ちゃんがいた。

 彼女がいる夢ということは、ママは出てこない筈だ。嬉し過ぎて抱き付きたかったが、体が動かない。どうやら回想してるだけの夢らしい。

 場所はカラオケボックスの一室。僕も創ちゃんもマイクは握っていない。創ちゃんは紺色のワンピースを着ている。襟に繊細なレースがついていて、アメジストの首飾りがより優雅に見えた。腰まである黒髪は珍しいことに何の細工もしていなかった。化粧も控えめで、普段よりも焔に似ている気がした。

 この日は、最後に創ちゃんに会った日だ。つまり、今年の三月。奏君が桜刃組に来た直後だった。

 三ツ矢創ちゃんは奏君と焔のはとこだ。小さい頃に両親を亡くしてから彼らと同じ家で暮らしていた。現在二十三歳で、今は京都市内の会社に勤めている。この日の後、そちらに引っ越した。

 創ちゃんは在さんの恋人だった。彼女が高校を卒業する年、推薦入試で受かった大学に入る直前、在さんが調子が良かった二十五年の一月下旬あたりから付き合いだしたから、だいたい四年くらい一緒にいた。アタックしたのは創ちゃんだ。在さんが三代目組長になったばかりの頃――今から八年前の一月くらいかな、在さんが焔にニコニコしているのを見て一目惚れしたんだって。その頃の在さんは身近な人達の死と桜刃組再興の重圧でメンタルズタボロにやられて表情筋ぶっ壊れてたらしい。僕はその年の秋に在さんと再会したけど、その時も今よりはよく笑ってた。それより酷かったらしい。事情を分かってないで見ると、まあ可愛く見える状態だ。普段からもっと笑えばいいのに。創ちゃんがアタックし出した時期に笑顔も大分落ち着いていた。まあ、だから焔が紹介したんだろうね。結構悩んでたけどね。

「創が此処まで主張することないから応援したいという気持ちと、ヤクザに恋慕しちゃ駄目だろという正論と、落ち着いてきた在には新しい恋人でもつくって更に落ち着いてほしいという願いと、あんな壊れた人間の傍にいたら気が狂ってしまうという心配と、在の面倒見なきゃならない俺の負担を減らしたいという怠惰がぶつかり合ってる。安藤ならどうする? それの逆にするから言え」

 なんてべろべろに酔っぱらった焔に相談されたなあ。懐かしい。その時点で奈央子ちゃんも在さんに恋してたので、紹介しないって答えたなあ。

 焔の葛藤をよそに創ちゃんはあっさり付き合って上手くやっていた。彼女も桜刃組の人が足りない時は手伝いに来てたんだよ。二人とも口数が少ない上、二人でいると更に喋らないから驚いた。穏やかな空気が流れてたよ。まあ、僕はそういう関係性はよく分からない性分だから、創ちゃんが一人になった時に分かりやすい惚気話を引き出そうとしたっけ。

 創ちゃんは真っ赤になって、俯いて人差し指でぐるぐる円を描いた。

「安心するんです、彼といると。私を受け入れてくれるから……」

 思い返すと、この時点で既に可愛らしいと思うのだが、当時の僕にはよく分からなかった。

「焔から聞いたけどさ、ニコニコしている在さんを好きになったんじゃないの。してないけどいいの?」

 創ちゃんはちょっと考えた後、ふわりと初雪のような微笑みを浮かべた。

「忘れてました。……彼、私といると安心しているのが伝わるんです。それが幸せで……それって最初に欲しかったものより重要だと思うんです」

 僕には完全には理解できないことは理解できたと同時に、何だか可愛くって尊くって素晴らしいことは分かった。――というのが当時の僕の感想だ。

 創ちゃんは鈴を鳴らしたような控えめな笑い声を上げて続けた。

「今も笑顔が好きだと思いますよ。時折見せてくれるんです。……あの頃見たものより柔らかくて、……甘くて……蜂蜜みたいに甘くて……何というか……ごめんなさい、どう言えばいいのか分かりません……」

 創ちゃん更に赤くなって俯いた。

 衝撃を受けたね。ちょうどそういうものに飢えていたから余計だね。僕まで頬が熱くなっちゃって一緒に俯いたね。そうしてないと体が弾け飛ぶような感覚があった。

 そんな気持ちを誰かと共有せずにはいられなくなって、その日は奈央子ちゃんと飲みに行った。

 今思うと、人選がいかれてる。でも、奈央子ちゃんは僕よりぶっ飛んでいた。なんかねえぎゅーっとなってふわふわしてねえぽっとしちゃったあみたいな抽象的過ぎる僕の話を恵比須顔で一頻り聞いて、パアンと自分の膝を叩いた。

「分かる!」

 あまりにも力強い返事だった。流石にねえ、この時点で自分の間違いに気付いたよ。

「……あの、辛くないの? 大失恋だよ」

「自分でもあれだと思う。悲しい気持ちも確かにあるけど、それより嬉しさが勝ってる」

 奈央子ちゃんが突然うっへっへっとにやけた後、顔をテーブルに打ち付けた。そのまま額を擦りつけた。マーキングしてるようだった。

 想定外の反応にびびっていたら、奈央子ちゃんが突然顔を上げた。目はキラキラ輝いていた。

「創さんと付き合ってから、在さん綺麗になってるでしょおっ」

 驚きのあまり反応が出来なかったら、腕を何度も突かれた。

「安藤さんピンと来ないかなあ。割と欠けた所あるもんねっ。顔の造りとか体型とかそういうんじゃないの! わっかるかなあ! 雰囲気とか表情の感じとかっ! 魂? 魂かなあ! それがこう綺麗? 綺麗だけど、こう、具体的に言うとだなあ! ふわふわきらきらが増しましたねっ! うーん、創さんが言った蜂蜜の甘さだね!  白砂糖とは別の柔らかい滋味を感じる甘さ! でも、なんかこう、もっと分かりやすく言うとだねえ」

 奈央子ちゃんは壺をつくるようにすうと両手を顔の高さまで上げた。

「……まろやか」

「まろやか?」

 鸚鵡返しすると、深く肯かれた。職人のような面持ちだった。

「まろやかがしっくりくる。そう、まろやかになった在さんを見るともうそれだけではち切れそうになる。私、気付いたの! そういう在さんを、幸せになった在さんを傍で見ていたいだけなんだって!」

「それは流石に負け惜しみじゃないの」

「何パーセントはそうかもしれないけど、そうじゃないのが勝ってるの! わっかんないかなあ! こう、具体的にっ、言うとだねっ」

 奈央子ちゃんは知恵の輪を解こうとするように指を動かした。

「とりあえず、自分で在さんを幸せにして自分も幸せになるという気概がねっ、私にはほぼほぼ無い! あっ、分からないなあって顔してる! こう、こうだね、具体的に言うとだねえ! 在さんが背負ってる荷物、こう、具体的に、あれだよっ、責任とか痛みとか重い感じの全般だよ、それをだね、一緒に背負う覚悟が無い! あと笑顔にできる自信も無いし、方法すら正直分からない!」

 んんんん、と唸ってから奈央子ちゃんは言葉を絞り出した。

「焔さん、凄いってなる時ない?」

「何で焔が出てくるの」

「在さんが心開いてるじゃない。焔さん、よくできるなーって思うでしょ」

「まあまあ分からなくもないかな」

「創さんは多分そこからねえ、自分ができるなって思えた人なんだな、多分」

「そんなこと無いんじゃない?」

 カアーッと鳴かれたので、否定を止めることにした。

「そう思わなかったとしても、できてるから凄いのっ!」

 そんでねっ、と腕を叩かれた。

「私は在さんが好きだから、それができる人に在さんを幸せにしてほしかったんだよ。なってから分かった! それでねえ、私は同じ職場の人間というだけの立場でねえ、幸せのあまりまろやかに綺麗になった在さんをねえ、見ていたいんだよっ。いつまでも! あー、今日も綺麗だなあって眺めていたい! 良かったねえって嬉しくなりたい!」

 それだっと指をさされて言われた。上手く消化できなかったのが顔に出てみたいで、奈央子ちゃんは頭を掻きむしった。

「頑張って理解してくれよおおおお」

「が、頑張るね!」

 反射的に返事してしまったし、その後、頑張って考えた。正直今もなお理解しきっていないと思う。でも、奈央子ちゃんを前につまみを食べつつ頭を動かした結果、その考えが聖なるものだとは認識できた。

「奈央子ちゃん凄いねえ。よくそんなこと考えられるねえ」

「凄くはない気がする」

「僕なんか在さんのこと好きだけどさ。あ、恋愛的じゃないよ。できるだけ縁を大切にしたいなあって思うんだよ。それでもねえ、何もかもおじゃんにしちゃっても良いから、抱いてほしいなとか抱かせてほしいなっていう衝動が湧いちゃうんだよね。奈央子ちゃんみたいな境地には至れないね」

 何も頭使ってないことを口走ったら、奈央子ちゃんがムンクの叫びみたいな顔になった。

「絶対それ在さん相手に出さないでよ!」

「もう言っちゃった」

「今からは言わないで!」

「相手にされたことないよ」

「されなくても! 私はっ」

 奈央子ちゃんは両手で拳をつくった。

「在さんと創さんの仲を壊すかもしれないものを、許さない!」

 それぐらいはしたいっ! いや、するんだからっしちゃうんだからねっ――と奈央子ちゃんは宣言した。

 その言葉通りなら、奈央子ちゃんが許してはならなかったのは在さんだったということになる。

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