第5章 朝から嫌な電話だよお……

第18話 昨夜は楽しかったなあ

 いつも通りにベッド横のチェストの上に置いていたスマホを手に取った。画面には付箋が貼ってあった。

 ――今日の十三時、清美の家に車で行く。

 見慣れない文字でそう書かれていた。幅は狭いが文全体のバランスは良い綺麗な字だ。清美君の字だと認識した途端、公園の街灯を頼りに書いてもらったことを思い出した。

 何故公園に立ち寄ったかは思い出せない。というか、断片的に色々思い出すけれど、上手く繋がらなかった。

「その時にねえ、桜刃組のこと教えてもらっとったらもうちょい悩まんで済んだんですよ。何で声かけてくれなかったんすか」と唇を尖らせる清美君が浮かんだ。アルコールで肌は真っ赤に染まり、眼鏡の奥の目が潤んでいた。壁に細長い紙が所狭しと並んでいた。中華料理屋の崑崙飯店――二軒目に行ったお店だ。

 踏切の音がした。規則的な音の間にくつくつという笑い声がした。僕は踏切の前に立っており、隣には清美君がいた。眼鏡はかけてない。肌もそこまで赤くなっていない。「ご機嫌だねえ」と声をかけたら、「安藤さんもでしょ」と笑い声交じりで返ってきた。良い感じだ。

 手を伸ばして鼻先に触れた。二つの黒目が僕の指先へと向けられた。二度の瞬き。背後には黒茶色の飾り気のない壁。前には壁よりも深い色の木のテーブル。一軒目に行った居酒屋、根の片隅だ。芯が定まらない感覚がする。話しておきたい事を全て話してから箍を外した記憶はある。でも、一軒目でこんな酔っていたっけ。指を顎へと移した。

 焼き餃子一人前がビニールに覆われた緑色のテーブルに置かれていた。皿の縁では緑色と朱色だけで描かれた鶴と亀が戯れていた。崑崙飯店のお皿だ。目の前に座る清美君が目を輝かせていた。宗助さんがこれをべた褒めしていたことを嬉しそうに教えてくれた。

 騒がしい街並み。隣を歩く清美君が目を眇めていた。肌はほんのり赤い程度だ。口が開き、白い歯が見えた。噛みつくように言葉が成される。「しつこいですわあっ」かなり怒りを含んだ声で、後半は濁音が余分に付きまくっていた。視界が手で覆われた。堅い指が頬の骨を圧迫した。

 やらかしちゃったな。何をやらかしちゃったんだろうね、僕。テンション上がって太腿擦ったことかな。割としつこくやった自覚があるぞ。でも、終盤っぽい公園のベンチでもやっている記憶があるってことは別だね。何だろう。色々考えられるけど、絞れないなあ。まあ、最後には仲直りしているってことはそんな大したことじゃないんだろうな。今日会う時に聞けばいいよね。

 電話は鳴り続けていた。無視してるって気付いてくれないらしい。この人こそしつこいよね。

 感覚的に朝っぽいけど何時なんだろう。時計を見れば、六時だった。思ったより非常識な時間じゃん。

 付箋を剝がしたら、ソフィア・ファーゴと表示されていた。

 彼女はイタリアの情報屋だ。奏君の関係者でもある。彼が桜刃組に来る以前に、イタリアでいずみいつとして情報屋をしていた頃、更にその前、家出してかどしょうとして恋人であるカルタ・ルアルディの料理屋で働いていた頃からの付き合いなんだって。年数で言うと七年。長いね。しかも、姉さんと慕われていたんだって、ソフィアちゃん本人が言うにはさ。本当かなあ。他人から見るとそう慕われてなかったんじゃないかという予感がね、ばりばりするんだよね。

 どうあれ、彼女は三ツ矢奏という人間の変遷をかなり把握している貴重な人物だ。そこの所、よく聞きたいね。だけど、僕が彼女と仲良くしているのは別の目的の為だ。

 ソフィアちゃんは無視する訳にはいかない問題のトリガーを引いた。ちょっと違うな。トリガーに指をかけて獲物を探していた所、ソフィアちゃんが獲物の方向を指さしたというのが正しい。結局トリガーを引いたのは、在さん自身だ。

 僕はこのことを知った後、ソフィアちゃんを探し出した。協力してもらう為にかなり頑張ったんだよ。朝っぱらから電話される程仲良くなっていたなんて僕凄い! 未だかけ続けるソフィアちゃんも凄い!

 まあ、もう頭がはっきりしちゃったので出るね。僕の負けだよ。

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