第17話 焔は癖が強いね

 焔が思い出したように、帰ると言い出した。対在さん用のぶっきらぼうな顔をつくった。

 在さんが焔の頭に手を伸ばすと、焔が即座に叩き落とした。

 清美君が目を丸くした。初見らしい反応だった。僕も初心を忘れずにいたいものだけれど、残念ながら見慣れちゃってもう心が動かなかった。

 在さんは特に痛がりもせず、焔に話しかけた。

「今日、元気だね」

 焔が半眼になった。それから、瞳だけで天井を眺めた。射干玉はすうと降りて、在さんを再度捉えた。

「桜刃に人が増えたから、嬉しいんだよ」

 一音一音が茨を纏っているかのように響いた。在さんはその棘の痛みが気にならないらしく、すんなり受け入れて柔らかく返事をするのだった。

「焔や三ツ矢の手を借りることもきっと少なくなるね」

「有難い事だね」

 焔の言い方は妙に平坦だった。どういうことか、長い付き合いの僕には分かっちゃうんだよね。カチンと来ちゃってるんだよ。面倒な人間だね。迷路みたいにぐちゃぐちゃな性質、何とかならないのかな。

 幼馴染の在さんにも本心は筒抜けなんだろう。彼は曖昧に口角を上げてから、またも焔の頭に手を伸ばした。再度叩き落された。先程と同じく在さんは気にした様子を見せなかった。焔が一瞬だけ視線を床に落とした。隣の奏君が舞うように在さんの隣に移った。意地悪気な声が小さな口から飛び出した。

「もっと増える予定だったりして」

 焔が声を上げて驚いた。口元に手をあてて、わなわなと震えた。凄い驚くじゃん。

「許容量超えてないか?」

 焔の瞳を向けられた在さんが、そうだね、と返した。認めちゃうのか。

「橘が上手く馴染めたら、という仮定の先の話だよ」

 清美君が両手を拳にして、在さんを見え上げた。

「頑張って早く馴染みますね!」

 いい子オーラが突き刺さった。大きな背中を撫でながら応戦した。

「僕も頑張って協力しますね!」

 在さんはちょっと間をおいてから小さく相槌を打った。

「別に気を張らなくても、なるようになれば良いから」

 普段から睡眠促進効果がありそうな調子だけれど、この時は特に酷い。乗り気ではないのを隠しもしてくれない。

 焔がなんだと言わんばかりにじとりと目だけで僕を見た。

「前と同じか」

「今回は止めないよ。絶対やり遂げちゃうよ」

「前と同じか……」

「前よりも本気だもん。僕だけで動くんじゃないし!」

 宗助さんのことだったが、焔は思い当たらなかったらしい。

「猪沢さんを振り回すなよ」

「今回は殆ど蚊帳の外だよ!」

 在さんと同じく乗り気じゃないし。桜刃組の上位二人が億劫そうっていうのは良くない気がするけど。

 この後分かったことだけど、優作さんは清美君を手放す気はなさそうだった。彼も在さんも結局来てしまえば追い出すことはしないのだ。拍子抜けしちゃった。遠慮なんかいらないよね。どんどんいっちゃうぞ。

「それはそれでどうなんだ」

 焔は溜息と共に視線を逸らした。何か言いたげだったが、言葉は続かなかった。分かりにくい人間だね。

「人がいっぱい来る前に、焔はもうちょい分かりやすくなりなよ。今いる人達がさ、焔のひねくれ具合を受容できる奇特な人ばかりなのが奇跡なんだよ」

 いっぱい、と在さんが小さく呟いた。奏君が元気に繰り返した。焔が奏君の真似をした。あ、僕の有難い忠告を無視する気だね。もう一回言おうと口を開いたら、焔が先に喋り出した。

「安藤が干渉的なだけだ。人の心の奥まで土足で入り込んで大騒ぎするの好きだろ。だいたいの人間はそんな疲れ果てることはされたくないし、したくもないんだよ。表面上だけ上手くいっていれば、それで十分なんだ」

 焔が清美君に対し、営業スマイルを向けた。清美君はカッパ口を返した。それで終わりかと思ったら、清美君は言葉をつけた。

「そういう言い方、少し寂しいです。程度の問題じゃないですか」

 焔が、そう、と返事しながら笑みを消した。

「食い潰されないようにね」

 不穏且つ失礼。抗議しようとしたら、またも焔が先に言葉を放った。リズムゲーム感覚なのかな。

「じゃあ、帰る。今度こそ帰る。三度目の正直だ」

 在さんが不思議そうに瞬いた。

「まだ二度目じゃないの?」

「お前が来る前に帰るつもりだった。会いたくなかった」

「そう。間に合って良かった」

「悪い。一刻も早く立ち去りたくて仕方がない」

 焔はむすっとしたまま、僕へと瞳を動かした。火花が散りそうな程鋭く視線がかち合った。

「安藤は帰らないの?」

 投げられた言葉の意味以上の圧が伝わった。嫌がっているのかと思ったが、それにしてはしつこさが無い。じゃあ、まあ、都合のいい方にとっておく。

「まあ今日は予定がないからねえ。ずっと清美君についておこうかな。サポートしてあげよう」

 奏君に微笑んでみると、冷たく睨みつけられた。反応がしょっぱいよお。感情が削がれた声が向けられた。

「邪魔です。不要です。迷惑です。目障りです。大きなお世話です」

 折れそうになる心を支えつつ、在さんに笑顔を送った。

「僕がいちゃ駄目ですかあ? 在さん」

 無意識に自分の頬を両手で指さしちゃってった。小心者だから、大袈裟に演じないとやっていけないんだよ。

 在さんは下がり眉で僕を見た。表情の変化は眉の角度程度しかないんだけど、どうやって言えばいいのかなあ、慈愛を感じたんだよね。雰囲気が温かいというか。在さんは表情の変化が乏しいんだけど、慣れれば感情を隠すのが下手というのが分かってくるんだよね。言葉にできない雰囲気で伝わっちゃうというか。説明が難しいなあ。

「構わないよ」

 在さんはあっさりと言った。安心感を覚えさせるように響いた。

 奏君は苛立ちを隠しもせずこっちを睨み続けてきた。僕は震えそうな声を抑えつけながら必死に煽った。

「在さんが良いなら良いよねえ! ボスの決定は絶対だよー!」

 奏君は舌打ちした。しかし、何も言えないようだった。清美君にきつくするだけあって、上下関係というのを流石に弁えている。社会性より野性味を感じるのは何故だ ろう。

 在さんが焔を見た。柔らかく口角を上げていた。うわあ、分かりやすい愛情羨ましいぞ。三ツ矢属性欲しいなあ。

「焔もついてくる?」

「帰るって言っただろ。帰るんだよ、帰る」

 焔は喋りながらついに階段を下り出した。ひらひらと手も振っていた。清美君が律儀に振り返していた。幼さがあって可愛いね。

 焔が見えなくなると、在さんが奏君の頭を撫でた。奏君が頬を膨らませた。

「心配無用ですったら」

 拗ねたような言葉は事実だった……と言ってあげたかったけれど、無理だったね。

 この後、清美君と奏君について回ったら、痛々しいほど分かっちゃったよね。奏君の先輩適性の無さが。教えるのは下手じゃないから不思議だ。気付けば口喧嘩し出すのは謎だ。馬が合わないって訳でも無さそうなんだけどなあ。

 潤滑油になってあげようと頑張ってみたよ。補足もしたよ。でもねえ、最終的に奏君から言われちゃったよねえ。

「安藤さんって、申し訳ないですがはっきり言わせていただくと、うざいですよね。よく言われません? あー、ごめんなさい。浅はかでした。言われませんよね。言ったら更にうざい態度とりそうですもん。適当に流すのが一番ですよね。だから、今までそこまでうざい存在でいられたんですよね」

 メンタルが完全に死んだよね。笑顔で隠そうと思ったけど、口角が上がらなかった。半泣きもしちゃってた。自分だけでは立て直しができなかった。

 だから、仕事終わりに清美君を食事に誘っても仕方がないよね。割と一気に話したい事話しちゃったのもしょうがない。お酒をちょっと多めに飲んじゃっちゃったことも、アルコールのまわりがやけに良かったのもやむを得ない。

 こうして電話の音で目が覚めて、自分のベッドで眠っていたことに驚いたのも当然だよね。

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