第1章 四年前に名古屋へ行ったんだよ

第3話 大学時代の清美君だよ

 寿観二十五年――今から四年前の十一月、地下鉄が低い唸りを上げながら駆けていた。

 車内の席は全て埋まっていた。立っている人は疎らだった。その状態を混んでいると表現すべきか否かは、僕は此処、名古屋に縁がないので分からなかった。

 僕のスマートフォンに表示させていた小説の中では、女の子が楽しげにお洒落していた。それを無視しながら、目の前に立つサラリーマン二人組の間から見える光景に密かに集中する。そこにはドアがあり、左の方に五人組が固まって立っていた。

 そのうちの一人である橘清美こそが僕の目的だった。

 彼はグループの中で飛び抜けて背が高かった。百八十半ばはあるだろう。僕よりは十センチくらい高い。桜刃組の三代目組長のやく神子みこざいさんより少し低いだろうか。その身長が際立つように体付きはしっかりとしていて安定感があった。肩幅が広めで各パーツが程よい太さを保っていた。

 抱きしめ合ったらさぞ心地が良いに違いない。正直、体の方は僕の恋愛対象の好みにかなり合致している。清美君が桜刃とほんの少しも関係がないならば、確実に口説き落としていた。いや、やたら血の気の多かった一年前なら、強引に関係を持っていた。頭が冷えているこの時期に知ることになるだなんて、世の中上手くできている。できてほしくなかったけど。恋愛したくならない唯一の要素である、年下という事実を心の中で繰り返した。

 観察を始めてから殆どの時間、彼の表情は柔らかだった。ふわふわとにこにこしてばかりだ。高校時代の恐ろしさは何処に行ったのだろう。

 しかも、相手は全員オタク。それも分かるだけでもかなり濃ゆい。

 清美君の左隣にいる吾田菊次郎は、「阿賀次郎」として昆虫と小人が共同生活するコメディ漫画を雑誌連載している。その傍ら、「菊田」として虫姦の同人誌をコンスタントに出していて界隈では名が通っているらしい。商業作品では繊細で幻想的と思えた絵柄が、同人誌では妙に生々しくおどろおどろしく感じられた。右隣の狩野春彦は「SPR」と名乗って、女性アイドルゲームの二次創作の百合漫画を頻繁にSNSで公開している。綺麗で優しくて可愛い部分を極端に出す作風だ。徹底的にヘテロの恋愛感情や男性を出さず、レズビアンが当然という作風で面を食らった。右斜め向かいの洲山泰一は、女性がサディストのSMを中心におねショタや男の娘等色んなニッチな漫画を描いて「白熱」として公開している。他の三人と違って、彼のSNSは積極的に三次元のニッチなポルノに言及していた。左斜め向かいの瀧川紀香は、「セクセン」としてBL漫画を描いて公開している。それが肉質的な表現でかなりえげつない。僕の友人のBL愛好家は少女漫画的な作風を好んでいるので、それとのギャップに驚いた。

 何でそんな性癖博覧会の中に清美君が楽しげにいれるのだろう。サディストだからか、他にえぐい性癖でもあるのか。在さんの嫌がる部分と重なっていたら面倒だよね。家に入って探るかハッキングするか……なんて考えてたら、春彦君が清美くんに対して舌を出して広げた両手を顔の横で振って挑発していた。清美君は唇を尖らせて、春彦君の額を軽くチョップした。その後すぐに元の調子に戻った。僕の調子はそれで崩れた。愛媛の「最終兵器」――と書いて何故か「アンゴルモア」と読む――とまで言われたのは嘘だったのだろうか。いつの間にそんな丸くなってしまったのだろうか。愛玩犬のような雰囲気の清美君を眺めながら、情報を整理する。

 ――橘清美。寿観五年四月四日生まれ。二十歳。愛媛の蜜柑農家で生まれ育つ。中学生までは絵に書いたような優等生だったが、高校生になってから喧嘩に明け暮れ不良になる。異様な強さを誇り、不良界隈で広く名が知られていた。高校を卒業した後に地元から失踪したと噂されている。実際は、此処の大学の文学部に通っていた。住居は大学近くのアパートだが、吾田の職場兼自宅のマンションによく出入りしていた。

 彼の父親は橘宗助。旧姓はづか。桜刃組の元組員だ。薬師神子じゅんが二代目組長となって暫くした頃、淳にたてついてリンチにあって組を抜けさせられた。宗助は初代組長の薬師神子じゅんろうに心酔していて、かなり組に執着しているようだ。淳が亡くなって在さんの代になった頃から、兎良うらしまたけ――桜刃組に元々いたけれども今は白金しろがね会傘下の組の組長をしている――と接触を繰り返すようになる。しかし、他の桜刃組の関係者には接触してこなかったようだ。

 宗助さんの性格から推測するに、清美君も同じ思想を植え付けられているだろう。そして、彼の暴力性も裏社会に属することを見越して仕込まれた可能性が高い。

 清美君は桜刃組の為に躾けられた人間のはずだった。

 だから、僕は彼を桜刃組に連れて行く為に此処に来た。

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