第6話 女
ーー都内某所 区立荒草(アレグサ)高等学校
教室からギンガの声が無くなって、三日ほど経っただろうか。周りのクラスメイトからすれば、村上の入院期間も合わせて既に四週程経つことになるのか。
周りのクラスメイトは、その事実を特に気に留めることはなかった。ギンガより先にも疎開者が沢山居たからだ。この時代、東京の学校から転校生が出ることなど、さして珍しいことではなかった。
ギンガが居なくなったことへの心境について、実は村上も大して落ち込んではいなかった。
携帯端末のメッセージ機能を使えばいつでも話すことが出来るし、よく考えれば、東京から仙台まではリニアで30分前後で行けてしまう。話そうと思えばすぐに話せるし、会おうと思えばすぐに会えるのだ。
ギンガが居なくなったことで村上に増えた悩みといえば、後ろの席がギンガではなく、奇妙な小女に変わったことだった。
「おーい、プリント」
席につきながら振り返ったギンガは、後ろの小女へプリントの束を差し出した。
「あー、置いといてー」
この小女はいつもこうだ。授業中でもお構い無しに(現代においてはほとんど見られなくなった)スマートフォンを弄り回して何かをしている。そのせいで、プリントを配る度に滞りーー。
「村上ー! 早く回してよー! 」
更に後ろの席の女にドヤされるのだ。
その度、村上は一枚を小女の机に置き、残りを更に後ろの席へ運ぶ。
「村上ー。授業中に立つなー」
「はぁい!?」
そしてその度先生に緩く注意され村上が不服そうな態度を示すと、クラスメイトが笑い出すという奇妙なお約束が生まれた。
村上のいらつきが冷めやらぬ中、授業終了のチャイムが響く。即ち昼休みだ。
村上は、授業が終わったら、小女に一言物申してやると心に決めていた。
そうして、チャイムがなり終わる前に、後ろを向き、声を荒らげた。
「おい! ……あー、えーと、スマホちゃん? 」
村上は、小女の名を知らなかった。いつもスマートフォンを弄っているので、心の中では無意識に“スマホちゃん”と呼んでいた。
「……」
スマホちゃんは村上に一瞥もくれず、机の横に引っ掛けたカバンからビニール袋を取り出した。
「きいてますかー!? おいおーい」
村上の怒りを他所に、スマホちゃんは昼食にありつこうとしていた。
片手でスマートフォンを弄りながら、器用にビニール袋から取り出されたスマホちゃんの昼食は、真っ白な食パンだった。
「おいって! …………え、それ、そのまま食うの? 」
「……」
スマホちゃんは一貫して無視を決め込み、黙々と食パンを頬張っていた。
「ほら、これ食いなよ」
着の儘の食パンに齧り付くスマホちゃんを不憫に思った村上は、自分の弁当箱を開けるなり、小さなハンバーグを差し出した。すると、目にも止まらぬ速さでそれはスマホちゃんの口の中へ消えていった。
「……うまい」
スマホちゃんはそう呟くと、再び無視を決め込み、スマホを弄りながら食パンを齧る。
「これも食べなよ」
次に村上が卵焼きを差し出すと、それもまた瞬時にスマホちゃんの口の中へ吸い込まれて行った。
「……うまい」
そんな調子で、村上は自らの弁当の殆どをスマホちゃんに差し出してしまった。
そうして、スマホちゃんが食パンを食べ終えるのを待ってから、村上は穏やかに喋りだした。
「なあ、なんでいつもスマホ弄ってんだ? 」
スマホちゃんは、舌打ちを一つした後、『仕方ないな』と表情で訴え、更にため息を吐いてから話し始めた。
「……色々。投資とか。外貨とか。株とか。頭悪そーなあんたには分かんないだろうけど。少し目を離してる間に沢山損してたりするの」
『頭悪そう』が引っかかった村上は、それ以降の話があまり理解できなかった。
「は。俺だって、株? とか? 外車? とか? 知ってるし、やってるし。なめんなよ」
幼い頃から父の工場を馬鹿にしてきた奴とはとことん張り合ってきた村上は、バカにされるなり取り敢えず張り合う癖が付いていた。
「へえ……。じゃあもちろん。“村上工業”は知ってるわよね? 最近一番熱いの」
「知ってるも何も……。あの会社の社長、俺の親父だけど……。俺、村上だけど……」
「え!? 村上工業……? 村上くんって……? え? 」
スマホちゃんは目を満月のように丸くすると、右手に持っていたスマートフォンを机上に落とした。
これは、村上が初めて見たスマホを持たないスマホちゃんの姿だった。
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