第5話 四億

ーー都内某所 村上家

「…………ただいま」

その日父は、奇妙な程に落ち込んでいた。

いつもなら、村上が拵えた飯を横取りしてヘラヘラしているが、この日は村上に一瞥もくれず、書斎へ潜り込んで行った。

父から立ち篭める異様な湿り気に我慢がならなかった村上は、父に問うた。

「お、親父ぃー? 何かあった? 」

書斎の座椅子に同化するようにもたれかかっていた父は、如何にも村上に聞いて欲しかったと言うように一瞬だが僅かに明るい表情を見せた。それを受け村上は、『しまった』と思った。

「あぁ……。良い話が二つと、悪い話が一つある。どっちから聞きてえ」

「回りくどいぜ……。じゃ、じゃあ。良い話、悪い話、良い話で、サンドイッチにしてくーー」

父は食い気味に話し始めた。

「良い話その一。我々村上工業の怪獣対策への妥当性が認められて、国から助成金が出ることになりましたー。その額五百万円也。こんなもんじゃあ二号機の修理費用にも足んねえけどな」

村上は『それ、既に悪いこと一つ目言ってね? 』と思ったが、それを“良い話”として語りながらも暗い表情の父に、何も言ってやることが出来なかった。

「わ、悪いことは……? 」

村上が唾を飲む。

「お前が体当たりで怪獣めり込ませたビルがあったろ。パイルバンカーも打ち込んでたっけな。あのビルと、中に入ってるテナントのオーナーから弁償しろって言われててな。向こうさんも『怪獣のことだからある程度は大目に見る』と言って下さって、カトさんが駆けずり回って保険とかなにやらを駆使した結果、ホントはもっと掛かる修繕費をな、大分安くできたんだ。それでーー」

「何が言いてえ」

「うちには借金がある」

「いくら? 」

「四億」

「お……。よ、よ……ん、お……くぅぅ……」

既に還暦が近いこの父だ。いつ弁済能力がなくなるか分からない。即ち、四億という借金の大部分は、自分が背負うことになるのではないかーー?

村上の脳裏には、白髪混じりでボロボロの繋ぎを着込み、年下の上司に叱られながら道路工事をし、三畳一間のボロアパートに帰っては、窓際に置かれたカイワレにむしゃぶりつく将来の自分が浮かんでいた。

村上の不安を他所に、父は続けた。

「国に怪獣退治が認められちまったせいで、奇妙な事だが今や村上工業のメイン事業は怪獣退治になっちまってる。だから、次の怪獣退治で、怪獣退治による村上の弁済能力を示せなきゃ、二号機はもちろん、村上の資産全てが差し押さえられる。全部売っぱらったって四億なんて額には届きようねーのにな……。ふざっけんじゃあねえ。“ロマン”が金で買えるかってんだ」

この父は一体何を言っているのか? 村上には全く理解できなかった。ロボットに乗った自分は父から三万のお給料を貰っていたけれど、そもそも怪獣退治が金になるのか?

「だから、お前にもあの二号機で……ぐぅぅ……が、がねをぉ…………稼ぐほうほォ……考えといてもらおうと思ってな……」

“ロマン”と金を結びつけるなど言語道断と生きてきた父は、村上に頼みながら血涙を流していた。

その様子を見た村上は、『気持ちが悪ぃ』と思ったが、落ち込む父を前に、口にすることはぐっと堪えた。

「ああ……。何か考えてみるよ……。多分何も出てこねーだろうけど……。で、もう一個の良い話は? 」

借金話の後に持ってくる話だ、余程良い話なのだろうと村上は僅かに期待した。

「さっき、お前が倒したあの怪獣十八号が消えた」

「はぁい!?」

新たな怪獣が現れる時、前例から言えば長くともその一ヶ月前に、その前に現れた怪獣の亡骸が、内側から光を放ち突然消え失せる。

怪獣十八号の亡骸が消えたということは、おおよそ一ヶ月以内に怪獣十九号が現れることを示唆していた。

「いや、親父、良い話は? 」

「怪獣が消えた。次の怪獣が来る。また二号機が活躍できるから、考えた……ぐぅぅ、き、金策ゥゥ……、を、試せる。借金が返せる。ほら、良い話じゃあねーか」

『めちゃくちゃだ! 』村上はそう思ったが、突然降りかかった四億という借金が父の頭をおかしくしてしまったのは何よりも明らかだった。不本意ながら巨大ロボットで金を生み出さなければならないというのも、ひたすら愚直にロマンを追いかける父にとっては身を切る思いだろう。『二つの良い話に一つの悪い話』の中身が、蓋を開ければ『なんの影響もないほどの良い話一つと悪い話三つ』だった事も、真っ向から非難出来なかった。

「違いねえ」

これは、村上が初めて父に気を遣った瞬間だった。

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