第4話 裸のリンゴ
ーーなんだ、これは。目を閉じれば真っ黒だけど目を開ければ真っ白だ。一体、これは何だ。なぞなぞか?『目を閉じると黒いけど、目を開けると白いもの、なーんだ』とか言うーー。
「答え、病ー院。起きてたんなら声かけろよ。ブツブツ訳わかんねえこと言って気持ちの悪ぃ」
村上は、目の前の人物を知っていた。
ーーいや、その金髪と、その夥しい量のピアスを知っていた。
「モリくーー」
「モリ“さん”な! 流石にガキからの“くん”はムカつくわ」
「ガキって……モリくーー」
「“さ、ん”! 」
「モリさん、俺とそんなに歳変わんないでしょう? おっさんたちの中でも抜きん出て動き良いし。現役のアスリートみてーだ」
村上が褒めると、モリくんーー改めモリさんは、何故か少しだけモジモジし始めた。
「わ、若いってよう、な、なんぼ位に見えてるわけ……? 」
「二十、二、三ですか? 」
モリさんは、一瞬鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を見せたが、直ぐに持ち直して首を振り、こう返した。
「流石にそりゃ言い過ぎじゃダボカスが。こんなんやと、ほぁー。モテん訳じゃわ。女の子と話したこともねーじゃろ」
「だ、ダボカス……。」
意味はわからなかったが、何となくとても悪く言われているであろうことは感じて取れた。
「それはそうと、モリーーさん。ここは病院なんですか? 」
「今更何を抜かす。ほうじゃ。ほれ、リンゴ食え」
モリから村上へ、リンゴが手渡される。
「え、丸一個……? 違う! ちゃんと皮は剥いてある! だけど皮剥いた跡なんか全然無いほどまん丸だ! スゴイ! 」
あまりのクオリティを誇るリンゴに、村上は暫く見とれていた。
「さっさと食べりん。茶色なるで」
「いや、すごいっす。モリさん。これ、どうやって剥いたんすか? ゆで卵みてーに、なんか、ちゅるんっ! て剥けちゃう方法が有るんですか? 」
村上は目をキラキラさせて、モリさんに訊ねた。
「そんな少年みてーな目で俺を見るな……。んなもん有るかい。包丁で剥いたに決まっとろうが。しばくど」
「へぇー……器用なもんすね。料理とかするんすか」
「家族が居るんじゃ……当たり前じゃろが」
モリさんは、呆れながら答えた。
村上がふとモリさんの方へ視線をやると、既にローテーブルには裸のリンゴ二つが鎮座していた。
「そ、それ、いつの間に剥いたんすか? 魔法みたいすね」
モリさんは再び先程一瞬見せたような表情になると、またも首を振り、こう答えた。
「今、剥いとったろうが! しばき回すど! 」
モリさんの声は、所々裏返っていた。
「モリさん、なんか、顔赤いすよ。ちょっと失礼」
村上は上体を起こし、モリさんの額に手を当てようとした。
「触んなクソ患者がァ! 」
そう叫ぶと同時に村上の手を払い除けたモリさんは、一瞬で間合いを詰め、村上の鼻の寸前にその拳を突き立てていた。
「ハァ、ハァ……。そうか、患者やったの……。そんだけ元気じゃったら、明日退院でけるわ。リンゴも食えるじゃろ。ここ置いとくでな。ちゃんと食べりん」
モリさんが病室を後にした時、ローテーブルの上には、五つの裸のリンゴが置かれていた。
「ワーオ……。こいつはマジにマジシャン……。イリュージョンだぜ」
ーー都内某病院 村上の病室前
五つ目のリンゴをローテーブルに置くなり、そそくさと病室を後にしたモリさんは、暫く横の壁にもたれかかっていた。
「ーーあんクソガキャ……。モテやんなんて、絶対嘘じゃ。なーにが『彼女の一人でも作れるように、モテ方を教えてやってくれ! 』じゃ、あん狸親父め。絶対後で一言物申しちゃるけぇの」
モリさんはその後、時々壁を殴りながら病院を後にした。
ーー都内某病院 村上の病室
「モリくんが珍しく体調不良だって言うからね、代わりに俺が来たよ。あ、やっぱりモリくんの方が嬉しいかな? 」
モリさんが病室を去った数十分後、ザキちゃんがやって来た。
「とんでもないす。ザキさん。バン部隊に指示してましたよね。遠いけどナカさんの無線で声拾ってました。マジかっこよかったっす」
ザキちゃんはあからさまに、喜んだ様を見せると、在り来りすぎる返答をした。
「またまたぁー! 褒めても何も出ないぞ! でも、ほら、お見舞いだから。それとは別にリンゴあげるねーー」
「いや、ザキさん。リンゴはもういいっす。ほら……」
村上が申し訳なさそうにローテーブルを指さすと、そこに置かれた物が何なのか、ザキちゃんは漸く理解した。
「えぇー!? これ、リンゴなの!? 作り物……? うっわ、冷た! えぇー、本物じゃんこれ。皮剥いてあんだ! まん丸だぁ……。えぇー……」
ザキちゃんも裸のリンゴ初見の時の村上と同じように、それを手に取り、回しながら数分見つめた。
「モリくーーさんが話しながらいつの間にか剥いててくれたんす。『魔法ですか?』て聞いたら、顔真っ赤にして怒って出て行っちゃって……」
「なんだい、そりゃあ」
「妙な話っすよね。モリさんってよくわかんないとこで怒る人なんすか? 」
「そんなところ見たことないけどなあ。村上工業は皆年上だから、大人しくしてんのかなぁ」
「いっぺん、溜まってないか聞いてみた方が良いかもっすよ。こんなガキが言うのもなんすけど」
「ケンさんと相談してみるよぉ。それはそうと、キミは何か聞きたいこととか無いのかい? 」
ザキちゃんが急に勿体ぶった口調で話し出すから、なにか深長な意味が含まれるものかと思って勘ぐったが、見当もつかないので、村上は普通に質問することにした。
「さっきモリさんに聞きそびれちゃったんすけど、俺、何で病院に居るんすか? 」
「え、えぇー……何で病院に居るかって? えぇー……」
ザキちゃんは、目で見てもわかるようにしどろもどろしていた。どうやら一番回答に困る質問をしてしまったらしい。
「ここで曖昧に返答して、ケンさんに任せるってとも……キミには不誠実な気もするしなあ……どうしたもんかなあ……キミはどこまで覚えてるの? 」
「空から怪獣に右ストレートお見舞いしたら、頭ぶっ飛んで大勝利を収めた所まです」
「その後は」
「そっからは、全く。今病院てことは、ありゃあ夢で、俺はやられちまったんすかね? 」
「そこからかぁー! 参ったなぁ! くぅー……よし」
ザキちゃんは腹を括ったような表情で、神妙に語り始めた。
「キミは間違いなくあの怪獣十八号を斃した。それは夢じゃあ無いから誇って良い。だけど、間もなく防衛省と取り決めたタイムリミットが来てしまったから、二号機……あー、キミの乗ってたロボットね? を強制停止させざるを得なかった。ここまでは理解出来てるかな? 」
「あー……。なんか、思い出して来たっす……」
村上は眼輪筋をピクピクと動かし、明らかに頭にきている様子だった。
ザキちゃんは今すぐにでもその場を逃げ出したかったが、世話焼きの血がそれを拒んだのと、今、ここを出るのはまずいと言う直感が働き、仕方なく話を続けた。
「それで、二号機を強制停止させてから、丸二日後にやっと二号機を搬出させる許可が出て、そこから半日かけて陸路で村工の倉庫へ移動。その後直ぐに首部風防が開けられ、君は引きずり出されたが……。カラッカラの脱水状態で、まだ生きているのが奇跡ってくらい、予断を許さない状態だった。で、即入院からの、三週間寝たきりってワケ。いや、今が夏なのが良くなかったね。脱水当たり前だもん」
「いや、春でも秋でも冬でも、あんな狭苦しいところに丸二日放置されたらどうにかなりますって……」
村上は、呆れてそれ以上何も言えなかった。
「お、怒ってる? 」
「流石に時間も経ってるし、病院だし、そうそう怒れませんて……」
「そっかぁー、良かった。それはそうと、モリくんね、入院してから毎日お見舞いに来てたんだよ。活動予定時間とか、確り教えられてなかった自分の責任だ、とか言ってさ」
意外だった。あんなに乱暴で自分に対しての当たりが異常に強い人なのに、こんなにマメな一面も兼ね備えているのか。
「別に、モリさんも責める気無いすよ。“バッタ”出来たのだって、モリさんがヒントくれたからだし、沢山リンゴ剥いてくれたし……。後でちゃんとお礼言っときますよ」
あまりに落ち着き払った村上の様子に、ザキちゃんは感動すら覚えていた。
「うぅー……。あんたはエライ! 何と人間の出来た子だ! 二号機乗っとる時は乱暴なことばっかり言っとったから心配しとったけれど、アンタになら、日本の将来、任せられる! 」
「大袈裟っすよ……あ、リンゴ食べます? 持ってきてくれたとこ悪いすけど……」
そう言いながらローテーブルへ目をやるとその上の裸のリンゴは三つに減っていた。
「ああ、既に頂いてるよ。こんなに蜜の詰まったリンゴはそうないわさ! カカカッ 」
ずっと話していると思っていたのに、ザキちゃんはいつの間にか裸のリンゴを二つも平らげていたと言うのか。
「ワーオ……。こいつはマジにマジシャン……。イリュージョンだぜ」
ーー次の日 明朝
病室のドアが、殴り込みめいた衝突音を響かせつつ開いた。
「息子よ! 手続きは済ませた! 退院だ! 」
そこに居たのは何故だかとても嬉しそうな父と、見知らぬおじさんだった。
それを見るや否や跳ね起きた村上は、父めがけものすごい剣幕で飛びかかった。
「ザキさんわりぃ。ありゃあ嘘だった。親父は殴る」
父の上に馬乗りになった村上は、父の顔面に何度も何度も拳を叩きつけた。
「実の息子を真夏日の中丸二日も放置しやがって! 鬼畜かてめぇは! 」
父の鮮血が廊下の壁に飛び散る。
「おう……ガワッ! げ、元気そウッ! 元気そうじゃあねえガワッ! 」
「お陰様でよお……ンッ! 三週間もよお……ラァッ! 寝かしてもらったから……よッ! こんなにピンピン動くぜバカヤロォーーオッ!」
齧歯類めいて両頬を張らせた父は流石に耐えかねたのか、指をクイクイ動かして後ろの男に指示を出した。
「せいっ」
その男が深く腰を沈めて、村上の鳩尾辺りに掌をぶつけると、直後村上はワイヤーアクションのスタントマンのように宙に浮き、およそ二メートル向こうの壁まで吹っ飛んだ。
「ガワーーッ! い、痛え……あ、知らない、おじさんだ……」
「ハァ……ハァ……。助かったぜ、カトさん。……ったくよお、昨日はモリくんに殴られるし、今日は息子か。厄年かね。」
父の後ろでイタリアンスーツを着こなした小柄な男は、神妙に名乗った。
「カトウだ。“丸五日”だった」
「はぁい!? 何の話だコラァッ! 」
カトさんはため息を吐きながらゆっくりと村上との距離を詰めると、今度は鳩尾の寸前に拳を縦に構えながら言った。
「皆まで言わせるな。俺がいなければ、“丸五日”だったと言っている」
「だから何の話だよ! 」
何故かカトさんは、既に次の一撃のため、拳に力を蓄えていた。
「あぁー! カトさん、ありがとありがと、ストォープ、ストォープ……どーどーどーどー……またあれ食らわしたら入院長引いちまうよー……あとは俺が説明するから、ちょい待ち。ね」
父が大人の前でおどける時は、本当にまずい時だというのは、先の怪獣戦で学んでいた。
そのため、村上は湧き上がる怒りを抑え、飢えた野犬のような目付きで父の説明を聞くことにした。
「誰だその、めちゃくちゃ強え、知らねえおじさんは……。俺に殴られると知っててボディガードでも雇ったんかこのクソヤロー……」
「さっき、自分で言ってただろうが……。こいつはカトさん。ウチの社員で、主な仕事は財布の管理とか、なんかあった時に顧問弁護士と話付けたりとか、まあ頭でっかちな仕事は大体カトさんが仕切ってる。そんで、今回怪獣と戦えるように防衛省と話付けてくれたのもカトさんで、本当は丸四日かかる現場確認が終わるまで二号機動かせんとなっていた所を、カトさんの交渉で何とか丸一日で二号機は動かせるよう手打ちにしてもらったんだ。だから、“カトさんが居なかったら丸五日”お前は炎天下の二号機の中蒸し焼きにされてたってワケ。俺もカトさんの手腕信じてたからお前をあの場にほっぽって行くって苦渋の決断が出来たわけだし、こうしてお前も生きてる。だからお前はカトさんに感謝しとけって話」
カトさんの一撃によるダメージがまだ残っていたことに加え、父の長い説明に疲弊した村上は、腑に落ちぬままとりあえず納得した姿勢を見せることにした。
「は、はあ。どうも、カトさん」
カトさんは、黙して語ることは無かった。
そのせいで生まれてしまった奇妙な間は、父にとって大変気持ちが悪いものだったので、小声で村上にフォローした。
「カトさんはあんまりお話が好きじゃあねーんだ。だからなんか、ほら、おっかない雰囲気だろ? あんなにちいちぇえのに。それでたまに口開いたと思ったらめちゃめちゃ頭切れんだこれが。たまに交渉に同席させてもらうと感動しちゃうね。ありゃあ」
実際にあの凄みを目にした後では、父のこの言葉にも大変な説得力があり、村上はただただ納得していた。
「親父親父、なんかこっちでコソコソ喋ってるからか知んねえけど、カトさんちょっとイライラしてねーか? フォローした方がいいんじゃあねーの」
父は背後のカトさんを一瞥すると、額から二粒の汗を流し、咳払い一つの後、何とか話を続けようと努めた。
「んんッ……こ、今回の退院もよ。本当はカトさんに間入ってもらって推し進めるつもりだったんだがよ。すぐ連れてって下さいってんで、カトさんの出番無かったんだ」
「確かに、俺は昨日目覚めたばかりなのに、その次の日にいきなり退院出来るなんて奇妙だぜ。何か理由とか聞いてないの? 」
父は、眉を八の字にし、明らかに不可解と言う顔をしながら、話し始めた。
「いやね、なんかお前を退院させたいって言ったら看護師さん皆青ざめて『どうぞ、どうぞ』てなもんよ。『何で? 』と、俺はそう聞いたね。すると年配の看護師さんーー多分婦長さんだろうね。ありゃあーー。が、奥から出てきて、『毎日、看護師が様子見に行くと、決まってローテーブルの上に“裸のリンゴ”が置いてあるって、患者さんは寝たきりで食べられないから片付けるけど、次の日にはまた置いてあるって。私たち皆もー気味が悪くて悪くて』だと。訳分かんねえ。んだよ、裸のリンゴって」
「あー……それね……」
村上は、ザキちゃんにもそうしたように、ローテーブルを指さした。
「ヒッ、ヒエエ! 裸のリンゴ! 」
父が乙女のように驚き飛び跳ねると、自分を世話してくれた看護師さんもこんな調子だったのかと急に情けなくなった村上は、なる早で病院を後にした。
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