第2話 バッタ

ーー旧東京電波塔前

計六台のヘリコにより優しく地上に降ろされた鉄巨人は、未だ横たわっていた。眼前の怪獣が大人しいことがまだ幸いである。

「息子よ、聞こえるか? 父さん着いたから、立って見せろ」

父たっての希望で、自分が到着するまでは立つなと言われていたので、村上を首部に乗せた鉄巨人は約二十分に渡り横たわっていた。

「じゃあ立つぞ。……えーと、立つには……」

村上はメモ帳の手順通りに立ったつもりでいたが、非常にぎこちなく、直立するまでにはおよそ三分を要した。

『うわあああ! 村上工業製巨大人型ロボット第二号機、大地に立つ! “宇宙世紀”の第一ページは、我ら村上工業が刻む! 』

鉄巨人の胸部に堂々と輝く“村上工業”の四文字を潤んだ目で見つめながら、父は狂喜乱舞していた。

「ーーまさか、俺がずっと待たされてたのって、それ言う為? 」

『そうだが』

「特に作戦とかではなく? 」

『そうだが』

「俄然心配になってきたぜ……」

普段であれば父とのくだらないやり取りには腹を立てていた村上であったが、この日ばかりは何故かひどく冷静だった。

ーーモリくんから教えて貰って、ちゃんとメモ帳に書き取れたのは、前進の方法、曲がる方法、止まる方法の三つだ。モリくんは『ああ! もうしゃらくさいのお! あとァワシがおせーやんでも、ケンさんが勝手に喋るやろで! ワシゃあもう疲れた! 』と言っていたが、本当に大丈夫なのか? しょぼい自動車学校だって、この三つに加えてバックの方法くらいは教えてくれるぞーー。

「さっきはあんなにブチ切れとったのに、信じられんくらい冷静すね、息子さん」

「あいつはな、こんなクズみてーな親父持って、最愛の母親もチビの内に亡くしちまって、頼りの兄貴もどっか行っちまって……それでも思い出のある村上の家だけは守りたかったんだろーな。自分が長男みてーに気ぃ張ってよ。学校でも親父がしみったれた工場だってバカにしてくるやつには男張ってよ。もう自分しか居ねえとなって、やる時ゃあやる男なんだよ。それが村上のバカヤロウの血だよ」

「へえ、まだ若いのに、結構苦労してんすね。(大体の苦労はあんたのせいじゃあねーか)」

このやり取りは無線を切って行われていたため、褒められていたということを知る由もない村上は、ただただ不自然な間に苛立っていた。

『ケンさん! バン部隊、持ち場に着いたよ』

「オッケー。展開しちゃってー」

ザキちゃんが号令を送ると、怪獣から約200メートル前方に待機した二台のバンのバックハッチが開き、中から計八人の外骨格を纏った男が現れた。

『息子よ、聞こえるか。今バンから出てきたパワードスーツの人達は、お前の作戦をサポートしてくれるウチの社員だ。ただ交戦自体は国の許可取り付けられなくて、出来るのはあくまで補助までだ。そもそも村上工業製のパワードスーツは自衛隊の物ほどパワフルじゃあねえから、戦力的には期待すんなよ。』

「た、頼りねえな……」

『はい、じゃあバン部隊。ワイヤ外してー』

父の号令を聞くや否やバン部隊は、鉄巨人のフックに残った鋼線をサーカスのように目にも止まらぬ速さで取り外した。

「す、すげぇー……」

そして、バン部隊の内の一人が、首部風防に手をついて肩部に立ち、メットのバイザーを上げた。

『聞こえとったぞ、ボウズ。これでもワシらは長年村上工業製外骨格全型番のテスターをやっとる。ロートルだが、まだまだ歳にゃあ負けとらんぞ! そもそも村上の外骨格は体の弱い老人や病人でもアスリート並のーー』

肩に乗った男は、くどくどと村上工業製外骨格の魅力を語り始めた。

『ナカさんの村上愛は分かったから、早く持ち場戻って! 息子よ、お前も失礼なこと言ったこと謝れ! 』

ナカさんは、上の兄姉達に見捨てられた両親の介護を二十代半ばから行ない、疲弊しきっていたところを村上製の外骨格に救われ、時間に余裕が出来たことから、その恩返しをしたいと村上の門を叩いた人情に厚い男だ。

「ご、ごめんなさい! 頼りにしてます! 」

『ハッ! 若いモンは素直が一番よ。最初からそうせえ。大体、ワシの若い頃はーー』

『ナカさん! いい加減にして! 』

父に窘められると、ナカさんはそのままバック宙をして鉄巨人の肩から飛び降りてしまった。

驚き、心配になった村上がカメラで下を映すと、ナカさんはピンピン動き回り、持ち場へ向かった。

『どうじゃあ、ボウズ、ビビったろ! これが村上の外骨格じゃ! カカカッ』

「す、すげぇー……」

この鉄巨人も、あの頑丈なパワードスーツも、父が陣頭に立って作られているのだから、実はこの父親は凄いやつなんじゃあないかと村上は思いかけていた。

『お前らがモタモタしてっから、あと一時間しかないよ。現場規制は十五時まで。それ以降は一切妥協せず国家転覆罪にするってフジマキさんから言われてんだから。さっさと型ァ、つけるぞ』

『おおッ! 』

村上重工の面々が奮い立つ。鉄巨人を駆る村上もまた、目の前の巨悪に対し心を震わせていた。

「よお、怪獣……今までやりたい放題してくれたじゃあねーか。なあ、今まで一体何人殺してきたんだよ。何万人不幸にしてきたんだよ。俺ァそんなの全然知らねぇ! 屁でもねぇ

! だって見てみろよ! お前の後ろの東京タワーはこんなにでっけえ! 並んじまえばおめえなんかちっぽけだ! 人類の叡智の圧勝だ! お前なんか怖くねえ! かかって来いよバカヤロォ! 」

村上は威勢よく啖呵を切りながら、ギンガの最後の言葉を思い出していた。

『俺とムラッチみてーによお、離れ離れになる親友がいて、ある所にゃあ職場潰されて生きる希望失った家族がいて、また

別の所じゃあ結婚直前まで愛し合ったのに、あいつに恋人殺されたやつがいて、それで。

ーーいやね、あいつをさ、バカーンッ! てやっつけてくれるヒーローがよ、どっかから突然現れねえかなって。そうしたらこんな悲しい人達が生まれねえで済むのにってよ。引越し決まってから時々考えんのよ。怪獣だって突然現れたんだ。ヒーローが突然現れたって良いだろ? 俺たち皆を笑顔で救ってくれる、そんなかっけぇヒーローがよ』

「なってやるよギンガ! 俺が皆を救うヒーローによ! ヒーローになるんだよ俺が! つーかもう俺がヒーローじゃねえとやってられねえんだよ! やり切れねえんだよ! 行くぞ怪獣バカヤロォ! ヒーロー見参! ヒーロー見参! ヒーロォォォ! 見ッ! ザァァァンッ! 」

啖呵の勢いとは裏腹に、足部無限軌道はキュルキュルと愛らしい音を立て、鉄巨人はゆっくりと怪獣ににじり寄っていった。しかしーー!

「ケンさんまずい!二十キロ位出てる! 息子さん止めないと! 」

十キロ以上出しては行けないことを確りと教えていないと追求されることを恐れ、流石のモリくんも焦った!

『おい、バカ息子! スピード出しすぎだ! 何かプランでもあるのか!? モリ、アイツにどこまで動かし方教えた!?』

「は、走る、曲がる、止まる……」

『クソの自動車学校でもそれにバックくらいは教えるわこのバカタレ! てことは、あいつに“攻撃”する方法は何も教えてねえってことか!? まずい、あいつは熱くなっちまってる! おい、バカ息子! まずは止まれ! あとは攻撃の仕方教えるから、よくーー』

「うるさい! ガキに一線任せる腰抜け大人共が! 外野は黙って見てろ! 」

『なっなにぃー!? 』

村上の気迫に圧倒され、父を始めとした村上重工の面々は何も言えなくなってしまった。“ガキに一線任せる腰抜け大人”は特に効いたのだろう。

走行している間に、鉄巨人の走行速度は時速三十キロを突破していた。怪獣との距離、およそ百メートルーー!

そのとき、鉄巨人はその進路上に放置された瓦礫に躓き、感性の法則に従い、前方に投げ出される形で宙に浮いた。

「エ」

『エ』

「転っーー」

『転っーー』

「ぶ、かァーー! バカヤロォォォ! 」

『ぶ、なァーー! ヒーロォォォ!』

親子の熱い想いが重なった時、雪崩のような轟音を上げ、鉄巨人はその左拳と左足を地面に突き立てた。

何とか転倒は免れたが、風が吹いたら倒れてしまいそうなギリギリのバランスだ。

ーーどうするーー?

ここまで勢いだけで突っ走ってきた村上も、この状況になって漸く“走る、曲がる、止まる”しか習得していないことを重篤に思い出した。

ーーやばい、俺、なんにも出来ない、どうする? どうするーー?

その答えは、腰抜け大人が持っていた。

『“バッタ”だ、息子よ! 』

「“バッタ”使え! クソガキャァ!」

「“バッタ”しろー! 」

『村上伝家の宝刀、“バッタ”じゃ! 』

ーー“バッタ”? なんだそれ。ーーそれに使えだの、しろだの、訳分かんねえ。俺があまりに不甲斐ねえから、大人たちは頭が狂っちまったのか? どうせこのまま何も出来ねえんだから、考えてみるか。“バッタ”ーー?

ーー“バッタ”と言やぁ、ピョンピョン跳ねるアレか? 草っ原によく居るーー。

そのとき、無線の音声がけたたましく響く。

『貸せ、ケンさん! おいガキャァ、聞こえるか! ギリギリじゃから手短に言うぞ! 第二号機は“バッタ”で、“歩く”んじゃあ! 』

これは、モリくんの声だ。何を言っているのか全然分からない。無限軌道による移動だけで、鉄巨人は歩くことなんて出来ないんじゃあ無かったか?

『聞こえるか! 若いの! 村上の“バッタ”はのォ、何よりも高く“とぶ”んじゃァ! 』

これは、ナカさんだ。歩くだの、とぶだの、認識が食い違っては居ないか?この大人たちは、本当に同じものについて語っているのか?

疑心暗鬼になりつつも、村上は限られた時間の中で、二人の言葉を無限に反芻した。

ーー“バッタ”、“歩く”、“とぶ”ーー。

ーー“バッタ”、“歩く”、“とぶ”ーー。

ーー“バッタ”、“歩く”、“とぶ”ーー。

ーー“バッタ”、“歩く”、“とぶ”ーー。

ーー“バッタ”、“歩く”ーー!?

何度も“歩く”ということについて考える内、村上は朧気に聞き流していたモリくんの教えを思い出した。

『一応二足で歩くように移動する方法も有るんじゃが、これは勿体ぶって教えるよーにとケンさんから言われとるで、後のお楽しみや。ほんで無限軌道の話に戻るけどーー』

ーーこっ、これかァー!? “二足で歩くように移動する方法”ーー。それが“バッタ”ーー?

そこを行くと、ナカさんの方の“とぶ”はどういうことだーー?

村上は、先程ナカさんと初対面してから今までにあったことを瞬時に思い出した。

ーーナカさん、パパっとワイヤ外したと思ったら、肩に乗って小言言ってーー。親父に宥められてそれからーー。飛び降りても下見たらピンピンしててーー。めちゃめちゃビックリー……。待て、俺は、あの外骨格の頑丈さだけに驚いたのか? ーー否! 一番面食らったのは、ジジイだと思ってたナカさんがすげえ高さ跳んでバック宙したことだ! 普通のジジイがそこらの外骨格つけたところで、あんなに高く跳べるはずがねえ。まさか、あれが“バッタ”なのかーー?

ーー“二足で歩くように”、“とぶ”ーー。

ーーーー“跳ぶように歩く”

ーーーーーーそれが、“バッタ”!

「ととのったぜ! 」

モリくんは、鉄巨人の基本的な動かし方は、引越しとかに使う外骨格とさほど変わらないと言っていた。要はこんなにでかい鉄巨人の手足も、自分の手足の延長みたいに感覚的に動かせるということだ。

ーーそして“バッタ”! これ程単純明快な名付けは無い! ならば、やることはひとつ!

村上は、思い切り左脚を屈折させ、一気に蹴り出した。

「“バッッッッ! タァァァァァア! ” ジャァァァンプ!」

村上のあらんばかりの蹴りに呼応するように伸ばされた鉄巨人の左脚は、怪獣により荒れ野となった地面を深く抉り、その体躯を吹き飛ばし怪獣の胴体へ猛烈にぶち当てた!

「ギャアアアア! 」

「ハァ……ハァ。やってやったぜ! ーーああ、頭使ったからしんどい」

怪獣の金切り声が、大人たちの耳を劈く。この声こそ、ちっぽけな中小企業の技術の結晶と、村上の機転が怪獣を凌駕した何よりの証明だった。だがーー。

『息子よ、バテバテのとこ悪いが、まだ終わってねえぞ』

怪獣は、吹き飛ばされ埋まったビルの壁面から徐々に体を起こし、ゆるゆると前進していた。

その眼にも見える機関は、今度は確りと鉄巨人を見据えていた。

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