第3章 楽園のデスマーチ

第1話 闇へと誘う着信

 梅雨の足音が迫りつつある六月中旬。


 先日、非実体モンスターに対する戦闘要員としてお墨付きを貰った俺は、日々の業務に京都近郊の心霊スポット巡りが追加されることになった。

 皮肉にも全幅の信頼を勝ち取ったせいで、局長の同行は初回限りとなってしまったのだが……まぁ、それはさておき。


 また、それに合わせて日中の業務についても多少の変化があり、お遣いよりも一段階上のクエストも時々任されることになった。

 それはいわゆる運搬クエストというやつに相当し、各地の駐在員の元へ関西支局からの支給品を届けるという重要な兵站任務。


 つまりは、各所へ『御神酒』を配達するという酒屋のニーチャンのような仕事だった。


     ◇


     ◇


 『洛中』以外は京都やあらしまへん……なんてイケズを言うのは、碁盤の目のセンター付近に住まう極一部の者たちだけ。


 京都府北部の日本海沿岸。若狭湾と福井県に接するここ舞鶴市も、当然ながら立派に京都の一部である。


「はい、次は鯛の炊いたん。ごめんなぁ、折角やし生の岩牡蠣も食べてほしかってんけど、今日は市場に良いのあらへんかってん」


「も、もうそのくらいで……あっ、今日は車なんで、ビールも遠慮させていただきます」


 したがって、こうして自宅で延々と手料理を振る舞う漁協長の奥さんも京都人であり、加えて彼女は『特殊事案特別対策局』の非常勤嘱託職員でもある。


 当初の予定では、今日の昼メシは海自レシピのカレーにするつもりだったのだが……特異体質系異能【鮮度鑑定】を持つ奥さんの料理はどれもこれも美味しいので、まぁコレはコレでラッキーだった。


「……しかし、ご主人は本当に『御神酒』無しで大丈夫なんですかね? 朝イチから出来るだけ飛ばして来たつもりなんですが、まさか日の出前に単独で出港なさっていたとは」


「ははは、お父ちゃんイラチやけどベテランやから、何にも心配いらへんて。ニーチャンに持って来てもろた『御神酒』かて、たぶん半分くらいは海に撒くつもりやったやろし」


 漁協長さんが任せられているクエストは、原発周辺の警備や不審船の発見・拿捕……などではなく、大量発生したエチゼンクラゲ型モンスターの駆除。

 一応、人手が足りなければ同乗して手伝ってこいと言われていたのだが、どうやら漁協長はソロでも大丈夫らしい。


 ちなみに、日本海には多数の水中ダンジョンが存在するそうなのだが……地形的にも地政学的にも攻略後の維持管理が困難なため、『スタンピード』が起きてから対処するという後手後手な管理体制となっているそうだ。


「あぁ……そう言えば、あの『御神酒』は一部のモンスターにはダメージを与えられるんでしたね。味のほうも滅茶苦茶良いですし、クラゲごときに飲ませるのは何か勿体ない気もしますけど」


「ははは、そやねぇ。ニーチャンも局長さんみたいに『千本鳥居』使こて来てたら、お造りアテにして昼から美味しい酒飲めたのになぁ。アレの試験、年一回なんやったっけ?」


 奥さんが口にした『千本鳥居』とは、京都の観光スポットの代表格であるアレのこと。

 個人的には最高難度ダンジョンだろうと予想していたのだが、実際には全国約3万社あると言われているお稲荷さんへの転移ハブだったのだ。


 ただし、自由に利用するには内閣官房が発行する特別ライセンスが必要なため、試験を受けられる来年三月まで俺は各地を軽自動車で奔走せざるを得ないというわけだ。


「……あっ、そうやわ。今日は金曜日やし、よかったらウチに泊まっていかへんか? お父ちゃんおらんと一人で不安やし、若いニーチャンいてくれたら嬉しいんやけどなぁ」


「あー、すみません。できれば今日中に戻って報告書を提出しておきたいので、誠に申し訳ありませんが次の機会に……」


 ……彼女が【武闘式庖丁】とやらも使えるのは事前にチェック済みなので、妙な気を遣う必要はない。


 しつこく繰り返されるお誘いを何とか凌ぎ切った俺は、お土産に鯖寿司を丸々一本いただいて漁協長のお宅を後にした。


     ◇


「さて、どっかの道の駅にでも寄って山の幸も堪能していくか、それとも天橋立辺りまで足を伸ばすか……」


 近くのガソリンスタンドに寄って給油と洗車が終わるのを待つ間、俺はスマホで良さ気な寄り道ルートを検索する。


 ……実のところ、本件の報告書なんて『万事一切、問題無し』レベルで済む内容だし、カメさんへの提出だって週明けで全然OKだったりする。


「いや、せっかく金曜なんだから、本当に一泊してから帰るか? いい感じの民宿……いやいや、最高級リゾートホテルは、っと……」


 仕事に慣れてきた代償として最近気が緩みつつある俺は、金に糸目をつけない豪遊プランを検討し始めた。


 ……と、そこで音声通話の着信が。


『もしもし、今って大丈夫? ……もしサラさんと一緒なんだったら、また後でかけ直すけど』


「おぅ、久しぶり。今は出先で俺一人だぞ。それと、サラさんは電波を傍受したり心を読んだりは『マナーとしてやらない』そうだし、その辺は特に心配しなくて大丈夫だからな」


 今週一杯は山中サバイバル訓練だと言っていたイオリが、久方ぶりに電波が届く麓まで下りてきたらしい。


 声色を聞いた限り生存報告だけではなさそうな様子なので、警戒を解かせて話し易いように水を向けてやる。


 すると……


「や、やろうと思えば出来るんだ……まぁ、今はいいや。それより、何日か前にパイセンからメールが届いててね。今週末、サラさんに内緒でバイトやらないか? ……だってさ」


 なるほど……わざわざイオリ経由で俺を誘ってきたのは、パイセンもサラさんの傍受を警戒していたからか。


 どうにも怪しいお誘いではあるが、最近は日々の刺激が乏しいので興味は津々だ。

 ……スパイスが効いた個人レッスンも、サラさん多忙につき最近は頻度が落ちているのだ。


 ともあれ、俺はもう少し詳しい話を聞いてみることにした。


     ◇

 

 拘束時間は、本日金曜日の夜八時から明日土曜の夕方六時まで。ただし、基本的には休憩や仮眠を自由に取り放題。

 報酬はヤバめの治験かと思うくらいの高額で、さらにはパイセンが個人的に色々オゴってくれるという。


 あまりにも美味し過ぎる条件だが、その闇バイトの内容は……


「……直接会うまでは言えないってか。あのパイセンのことだから、只のサプライズなのか本気でヤバい仕事なのか判断が難しいな」


『そうなんだよね。話を聞いてから断っても構わないらしいけど、ちょっと迷っちゃってさ。あ、それとアズサにも知らせるなって』


 彼女の山籠りも平日だけのはずなので、週末のバイトなら声を掛けてやればいいのに。

 ……いや、サラさんの関与も意図して排しているあたり、女人禁制の秘祭か何かなのか。


 聞けば聞くほど謎が深まる求人に、俺の気持ちは何にせよ話だけは聞きに行く方向へと傾いていく。


「あー、それで正確な集合場所は何処だ? まだ舞鶴にいるから、滋賀県でも岐阜とか三重との県境とかだとキツいんだが」


『えっと、ちょい待ち……大丈夫、湖西エリアだね。ラーメン屋が経営してるスーパー銭湯あるでしょ、あの近くのコンビニだって』


 道路の混み具合次第ではあるものの、彼処ならば自宅で食事とシャワーを済ませても間に合うかもしれない。


 いや、いっそのこと……


「……よし! それじゃあ、こってりラーメンと露天風呂を遠慮なくタカりに行くか」


『……だね! 僕も久しぶりに雑草以外を食べたいし、滝壺以外にも浸かりたいしね』


 闇バイトの件はさておき……とにかく、イオリは早急に労ってやらねばならないな。

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